「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年01月17日

そんなことで歴史が動いていいのか、北アイルランドよ。

アイリス・ロビンソンの件が明らかになって1週間となる金曜日ごろからは「北アイルランドのニュースをチェックするたびにお茶をふく」状態がおさまってきていてよいはずなのだが、次から次へとほんとにもう……。

DUPとシン・フェインがついに握手を交わしたらしい。BBC NIもトップニュースとして報じている。(笑)



「DUPとシン・フェインの握手」については、2007年3月の、ペイズリーとアダムズの初の直接会談のときの過去記事(下記)のコメント欄を参照。端的にいえば、「握手」という行動の高い象徴性をかんがみて、両者は握手を取り交わさないことにしている、ということになる。

2007年03月27日 「敵」どうしが、公式に、互いを「敵」としなくなった日〜ペイズリー・アダムズ直接会談と合意
http://nofrills.seesaa.net/article/36970526.html

アダムズとの会談の後、自治政府が再起動して、首相(ファーストミニスター)にペイズリー、副首相にマーティン・マクギネスという2トップ体制が成立してからは、「チャックル・ブラザーズ Chuckle Brothers」とあだ名されるほどの「2人で並んで大笑い」の写真が何点も何点も、いろいろな場所でいろいろな機会に撮影され、メディアに掲載されてきたが、それでも、このふたりの間で握手が交わされることはなかった(とペイズリー本人は述べている。私もそれは真実だろうと思う)。

それが今回、ついに破られた――DUPのピーター・ロビンソン党首が、シン・フェインのマーティン・マクギネスと握手をしたのだという。まさに歴史が動いたんだけど、その理由が……。

アイリスの破壊力、おそるべし、ってことなんです。あれのおかげでみんなが「人間」になった、みたいな。わけわからんし、解釈としてもそれでいいのかどうかもわからんけど。

Robinson shakes hands with McGuinness for first time
Page last updated at 11:49 GMT, Sunday, 17 January 2010
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8464128.stm

Mr Robinson told the Sunday Times Mr McGuinness reached out his hand in a private meeting to commiserate with him over his personal troubles.

"He expressed sympathy to me and put out his hand," he said.

"I thought it would be wrong of me in those circumstances to do anything other than that (shake it)."

つまり、非公開の会合を開いた際、マクギネスが「今回はいろいろと大変ですね」ということで、ロビンソンに手を差し出した。ロビンソンは、こういう状況でそれを無視するのもおかしいだろうということで、握手に応じた。そういうことをサンデー・タイムズに語ったそうだ。

で、サンデー・タイムズに行くと……奥さん、あったわよ。

January 17, 2010
My week: Peter Robinson
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6990961.ece

McGUINNESS LENDS A HAND マクギネスが手を貸してくれた
Tuesday and Wednesday I spent working from home on the outskirts of Belfast. My Japanese koi carp were hibernating over winter at the bottom of the pond.
火曜と水曜は、ベルファスト郊外の自宅で仕事をした。うちで飼っている錦鯉は池の底でじっと冬眠している。(※高給取りのロビンソン夫妻が自宅で高価な錦鯉を飼っていることは有名。)

I've handed over some duties to Arlene Foster, my colleague, for up to six weeks, but maybe it will be only two. I'll see. People are asking what effect this will have on the political process, but I will continue to lead the negotiations with Martin McGuinness on the devolution of policing and justice. We are down to the last three issues. He kindly sent me text and voicemail messages and spoke to me privately. When I saw him he expressed sympathy and put out his hand. We’d never shaken hands before but I thought it would be wrong for me, in those circumstances, to do anything other than respond. That was a first.
自治政府首相としての責務のいくらかを、同僚のアーリーン・フォスターに引き受けてもらうことにした。今後最大6週間そうすることになるが、2週間で終わるかもしれない。このことで政治プロセスにどのような影響があるかと質問され通しだが、警察・司法権限の移譲についてのマーティン・マクギネスとの交渉は引き続き私がリーダーとして担当する。残すところ課題は3項目という段階である。彼(=マクギネス)は親切にも携帯電話のテクストメッセージやヴォイスメールを送ってくれ、プライベートで話をしてくれている。実際に会ったときには、彼は大変ですねと言って、手を差し出した。私たちはそれまで握手をしたことは一度もなかったが、このような状況では、握手に応じる以外のことをするのは間違っていると私は考えた。それが最初だ。

My office has been inundated with interview requests, even from Hello!. I have lost about 33lb since this began in March. I run on the treadmill while watching television. Unless you were watching the TV you would be bored out of your skull.
私のオフィスにはインタビューの申し込みが殺到している。『ハロー!』誌(※日本の『週刊女性』みたいな、芸能ネタ中心の女性週刊誌)ですらインタビューしたいと。3月にこれが始まってから、16キロほど痩せた。テレビを見ながらトレッドミルで走っている。テレビでも見ていなければ、退屈で死んでしまう。


「退屈で死んでしまう」っつって見ているテレビは、What have you done, Mrs Robinsonって内容なのかな。いやいや、いくらなんでもそんな自虐的な……「ケーブルテレビで映画」とか「ケーブルテレビで通販番組」とか「ケー(略で料理/自然/旅行番組」とかだよね。

しかしこれまでこの人がこんなにおもしろい人だとは思っていなかった。いろんなところで書かれているのだけれど、この件で初めてピーター・ロビンソンが「人間らしい面」を見せた――25年以上も、情熱と感情に訴える宗教家のイアン・ペイズリーの有能な右腕としてさくさくと仕事をこなしてきたロビンソンが。しかし「季節が季節なので鯉も相手してくれません」とかいうのは、一気に見せすぎだと思う。

ああ、そうそう、ブクマだけしてこっちには書いていなかったのだけど、ベルテレさんでの独占インタビューはこちら↓です。これもすごいよ。「おふとんかぶって、胎児のように丸くなって、そのまま出てきたくないです」とかいう感じ。あのピーター・ロビンソンが。

Exclusive: Peter Robinson full interview - Truth about Iris and me
By Gail Walker
Friday, 15 January 2010
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/exclusive-peter-robinson-full-interview--truth-about-iris-and-me-14637227.html

しかしこの記事↑の写真に出てるクッションがすごすぎるんだ。



こんなクッション、ブリテン島ではまず売ってないと思う。売ってるとすればBNP関連だ。まあ、おそらくこれは北アイルランドで買ったものか、あるいはDUP支援者の手作りとかかもしれないけど。いずれにしてもこのクッションを見た瞬間に私はお茶(略

それと、女性週刊誌的なことを言うと、このインタビュー(アイリスが19歳の子を口説き落として寝てたことが大々的に報道されてから1週間後のもの)の写真でピーターの手に結婚指輪があることからも察することができるように、離婚の方向性での動きはないみたい。スキャンダルが報じられたときは「スキャンダルのせいで、ロビンソン夫妻の結婚はおろか、北アイルランド自治政府まで危機にさらされている。具体的に自治政府にとって何が考えられるかというと……」というワーストケース・シナリオへの展望のなかで、ふたりの離婚は決定的、というトーンだったのだけど。

しかし、火曜日にメディアに出た写真のピーター・ロビンソンが、とてもすっきりした顔だったのは照明のせいとか、瞬間的な表情とかではなかったのだろうなあと改めて。

あと、何かを検索していたらピーター・ロビンソンの宗教的バックグラウンドがよくわかる歴史的資料が見つかったのでそれもメモ。

Capital Punishment for Capital Crime
http://overthebridgeni.wordpress.com/2009/02/25/capital-punishments-for-capital-crime/
... a pamphlet based upon an address given in Limavady, 1976 by the then Secretary of the Ulster Democratic Unionist Party, Peter Robinson.

...

The argument is based on Robinson’s interpretation of Christian teachings and quotes generously from the Bible. He denounces ‘humanitarians’ those who ‘refuse to live up to their responsibilities’ and those who seek to use secular reason in place of Biblical precedence. He also addresses the somewhat glaringly obvious point of the 6th Commandment ‘Thou shalt not kill’ and boldly proclaims that ‘a state whose law operates on the principles of forgiveness and love would invite it’s own destruction’. ...


アイリス・ロビンソンのスキャンダルは、単に「浮気騒動」としてもワイドショー的におもしろいのだけど(「ミセス・ロビンソン」だし)、上記の1976年のパンフレットにあるような宗教的なバックグラウンドで見る必要もある。



あと、マーティン・マクギネスとイアン・ペイズリーの写真、本当に握手の写真は1枚もありませんが、2人の関係が少なくとも「同僚」と呼べるようなものであること、「敵」どうしのそれではなく、人間と人間との関係であることを物語る写真は何点かあります。例えば下記のガーディアン掲載の写真。80代のペイズリーにそっと支えの手を差し伸べている60歳くらいのマクギネス。
http://www.guardian.co.uk/uk/gallery/2007/may/08/northernireland?picture=329815097

この写真を最初に見たときは、私は泣いた。「いい話」としてではなく、ペイズリーの "Ulster Says No" という主義主張は一体何だったのか、と。すこし経ったら「いい話」として見ることもできた。

それから、非常に紛らわしい「握手」写真。オーストラリアのABC掲載。フォトグラファーも写真を選んだ編集者も、にやにやさせたくてこの写真を使ったのだろうけど、よくこんなの撮れたなあという気が。
http://www.abc.net.au/news/stories/2007/05/08/1917860.htm



関連する別件だけど、アイリス・ロビンソン・アフェアを日本のワイドショーが取り上げたことが、Slugger O'Tooleで報告されている



Slugger見に行ってこんなのがあった日には、目からお茶が……。アナウンサーがテレ朝の人たちよね、これ。デーブ・スペクターが自信なさげなのが笑えるのと、BBCの作り方でアイリスの件を知らされてきた自分には、日本のワイドショーで使われるフラップのマンガ調の演出(目がハートになってたりするの)も、ハっとしてグーでバイバイ哀愁でいと。(イミフメイ。)

でもこれ、ほんとにしっかりと裏が取れてるんかという話が大きく取り上げられているので注意。「アイリスの浮気は3度目だ」という件、番組ではベルファスト・テレグラフに電話してコメントを取ってるけれど、ベルテレでは記事の体裁のある記事になってない。(これを記事にしたのはダブリン拠点のサンデー・トリビューンというメディア。ベルテレでは、ほかのことについての記事の中で短く、「肉屋の息子は、あらゆる意味で、父親のあとをうけた」という誰かのコメントが掲載されていただけ。←あたしもたいがい、ウォッチャーよね。)

(誰ですか、「筋金入りのウォッチャー」とか言ってる人は。否定はしないけどw)

(真面目に分析してる人や研究してる人にとっては、こんなことでDUPとシンフェインの初の握手が達成されてしまったというのは、「えーっ」って感じだと思うのですよ、本当に。緑側であれオレンジ側であれ、あの「戦争」を戦った「義勇兵」たちにとっては、研究者以上にそうでしょう。「妻に浮気された夫」というメロドラマの持つパワー、おそるべし。)

でね、Sluggerのこのエントリをはてブに入れたんだけど……Sluggerのエントリをはてブに入れると普通、「カテゴリ」が自動的に「コンピューター・IT」になるのね。意味わかんないけど、英語のページはデフォルトでそういう分類になるのが仕様らしい。(笑)

でも「アイリスのスキャンダルが日本のテレビで」のエントリだけは、「おもしろ」にカテゴライズされちゃってる。



一粒で何度お茶ふけるのか、いや、何リットルお茶ふけるのか、まだまだ底が見えないIRAことIris Robinson Affairでした。

ちなみにアイリス本人の英国下院からの辞職は木曜日には既に完了しており、北アイルランド自治議会からの辞職は月曜日に手続完了とのこと。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/politics/iris-robinson-to-resign-as-an-mla-on-monday-14634913.html

※この記事は

2010年01月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:33 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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Excerpt: Googleマップを開き、"derry ireland" を検索する。Googleが送り返してくるのは、"Londonderry, UK" だ。 私の検索ワ..
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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