「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年01月12日

アリスター・キャンベル@チルコット・インクワイアリ

今日は、チルコット・インクワイアリでアリスター・キャンベルの証言が行なわれています。BBCがネットで、インクワイアリの中継をしています。

Alastair Campbell faces Iraq inquiry - LIVE
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/8453563.stm

今は昼休みですが、現地14時(日本では23時)から、午後の部が始まります。

上記BBCはテキスト実況つきです。

テキスト実況は各メディアでやってます。ガーディアンがとても読みやすい。(文脈を補うのがうまい。)
http://www.guardian.co.uk/uk/blog/2010/jan/12/iraq-war-inquiry-alastaircampbell

ほか:
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6984703.ece

デイリー・テレグラフ、インディペンデントはテキスト実況なしらしい。

BBCの実況中継の画像。


全部ではないけど合計で2時間ちょっとくらいは聞いてたんだけど、久々にネオコン思想のかたまりみたいなのに接して、胃のあたりが気持ちが悪い。白眉は「イラクの変化に我々が果たした役割をproudに思っている。イラク戦争があったればこそ、リビアが国際社会との関係を変えたのだ」云々。

キャンベルは北アイルランド和平のときのトニー・ブレアの側近なのだが、じゃあProvisional IRAが最終的に武器を置いたことについて、アルカイダはproudに思ってよいのだろう。(←皮肉を意図しているのであり、本心ではありません。)

2001年9月11日、ニューヨークで亡くなった人たちの中には、アイリッシュもたくさん含まれていた(消防士や警官にはアイリッシュ・アメリカンが多い)。それによって、IRAの言っている「(民族解放のための)武装闘争」とは実際にどのようなことなのかが初めて(←アホかと思うけど)、アメリカのIRAサポーターにわかった(ついでに、そのときにようやくIRAが「左翼ゲリラ」だってことを知った人もたくさんいたらしい。1916年の宣言も読まずにIRAをサポートできるほどのアホがいるとは、私はそのときまで思いもしなかったが)。それで、IRAの活動にとって極めて重要だったアメリカからの心理的なサポートも、資金的なサポートも尽きた。

同時に、アイルランド島で暴れていたIRAの人たちにも「俺らはアルカイダの奴らとは違う」といった心理が生じた。(そこで一方では「民間人を巻き込まないよう配慮したIRAのテロはきれいなテロ」という事実に反するプロパガンダがまたばらかまれもしたのだが。)(「IRAは民間人を殺さない」というのは嘘。「Bloody Sundayの報復」だったBloody Fridayなどを参照。)

北アイルランドでは先週、ついにUDAが武装解除を完了したことが確認された。これでリパブリカンのIRA, INLAと、ロイヤリストのUVF, UDAという4大武装組織のすべてが武装解除したことになる。その出発点は1994年のロイヤリスト停戦とIRAの停戦にあるのだが、沈滞し、停滞し、膠着状態に陥りながらも、2000年代に「紛争の終わり」が現実のものになったのだが、2001年9月11日のショックがなかったら、もっとずるずると沈滞し、停滞していたかもしれない。

アリスター・キャンベルのいう「我々がさまざまな犠牲を払ってまでイラク戦争を行なった結果、イラクは解放され、リビアは変な野心を捨て、世界はよりよくなった」という考え方へのむかつきのあまり、わけのわからんことを考えて書いてしまった。

※この記事は

2010年01月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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