「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2010年01月12日

テヘラン、核物理学者爆殺事件、続報(冒頭に追記あり)

【UPDATE@13日早朝の時間帯】
時間が経過して情報量が増えるにつれてわけのわからないことになっています。下で「現地のビデオ」としてURLをはってあるBBCの記事の、14:39 GMT, Tuesday, 12 January 2010の更新分では、最初にこのBBC記事を見たとき(ありゃ、うっかり時間を控え損ねてた)とは違うことも書かれている状態。具体的には:
Reports in the Iranian media described Mr Mohammadi as a nuclear physicist, but it appears that his field of study was quantum theory.
→被害者は「核物理学者」だとイランのメディアは報じていたが、実際には「量子論」の分野の人らしい。

There was also confusion as to whether the attack had any political overtones.
→この攻撃に政治的な意味合いがあったのかどうかについても混乱している。

One university official said Mr Mohammadi was not a political figure. But other reports said his name appeared on a list of academics backing opposition leader Mir Hossein Mousavi before the 2009 presidential election.
→ある大学当局者は、被害者は政治的な人物ではなかったとしているが、別の報道では、2009年の大統領選挙前、ムサヴィ候補を支持する研究者のリストに彼の名前があるという。

※追記ここまで


夕方に簡単にメモした件、続報。

まず、夕方のメモのエントリでKwoutで貼り付けたPress TVの記事:
http://www.presstv.ir/detail.aspx?id=115934§ionid=351020101

これの新たに書き加えられた部分に
Press TV correspondent Amir Mehdi Kazemi, reporting from the scene of the assassination, quoted security officials as saying that the equipment and system of the bomb used in the attack had been related to a number of foreign intelligence agencies, particularly Israel's Mossad.


つまり、現場から中継しているPress TVの記者は、「この爆発を起こした爆発物に使われているものやその組み立ては、複数の外国の諜報機関に関係している、特にイスラエルのモサドに」という治安当局者のコメントを紹介している、とのこと。

最初「学者が爆殺された」と「殺されたのは核物理学者だ」ということを聞いたときに私が思ったのは、当局はまた「背後にMKO」という発表をするのだろうということだったのですが、その予想を軽く上回って一気に「モサド」まで。(^^;)

この事件の現場の様子も報じられています。現地のメディアがテレビニュースで流した映像が、下記のBBCの記事にエンベッドされています。英語のニュース解説つき。(今は私は別の物を聞いていて、このニュース解説は聞いていないので内容はわかりません。)(→このエントリをタイプしている間にニュース解説を聞いたので、あとで書き足します。)

Israel and US behind Tehran blast - Iranian state media
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8453401.stm

殺された学者さんのご遺体が布に包まれて担架に乗せられるシーンがありますが、手足が胴体から千切れたりはしていないようです(少なくとも、両脚と右手は映像にある)。自宅前の路上駐車スペースに出たところ、ご自身の車の近くに止めてあったバイクが爆発したとのことですが、下記AFP BB記事にある写真を見ると、かなりの爆風または衝撃波があったらしく、現場付近の建物は3階(だと思う)のガラスも割れています。



BBCの記事にエンベッドされてる映像ですが:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8453401.stm

25秒くらいのところで警察の人たちの姿がカメラに入りますが、顔はフレームの外ですね。ひとり、制服ではない捜査員らしき人がしゃがんで何かを拾い上げようとしているのですが、映像の中では既にオレンジ色の作業服の人たちがほうきを持って路面を掃いていたりもして、がっちがちに編集されつくした映像だろうという気がします。

で、BBC Newsの解説は、おそらくジョン・レインさん(テヘラン特派員で今はロンドンにいる)の解説で、現地報道を英訳してまとめている、という感じ。(内容的には同じことが記事のほうに書かれていると思います。)「イランの各報道によると、今朝、テヘラン大学の核物理学の先生であるマスード・アリ=モハマディが、自宅を出たところ爆発が起きて、モハマディが死亡した。爆発物はオートバイにしかけられていたようだが、あるいは可能性としては自宅前のゴミ箱にしかけられていたのかもしれない」、「現地メディアは即座にモハマディについて『忠実なる革命の僕』と説明し、『反革命勢力の犯行』と述べた」などといったこと。で、「写真は反体制派 opposition のサイトにも掲示された」といったことも。

その後、「イランの核問題」についての分析が少し続きます。

それから、Press TVに戻りますが、Press TVでのワーディングは明らかに、モハマディさんは「標的として殺された」という方向(「爆発に巻き込まれた」ではなく)。

Press TVではこんな記事もあります。「政治的な活動はしていなかった」、「有名な物理学者で著書も複数ある」など。

'Killed Iranian lecturer not politically involved'
http://www.presstv.ir/detail.aspx?id=115955§ionid=351020101

なお、昨年6月の大統領選挙後に起きた、選挙の不正に対する抗議デモ(当局も選挙にいろいろ変なところがあったことは認めているが、抗議デモが要求した「票の数え直し」をするほどの規模のものではないとした)は、「反イスラム革命」ではまったくなく、「1979年のイスラム革命後に出来た体制の維持ではなく、イスラム革命の精神の復興を」と求める立場での大衆運動です。この運動のリーダーとなったのが、選挙不正への抗議の中心だったミル・ホセイン・ムサヴィで、ムサヴィは1979年革命後に首相のポストにありました(後に首相のポストが廃止されたが)。ムサヴィは宗教家ではありませんが、同じく選挙不正を批判した大統領候補(落選)のメフディ・カルヴィは宗教家です(頭にターバンを巻いていることからもわかるように)。彼ら抗議陣営は、抗議運動の始まりから夏のある時期まで、毎晩9時とか9時半といった時間にそれぞれの家の屋上に出て、「アッラー・アクバル」という言葉を唱えるという形での、体制への抗議運動を継続していました。

いずれにせよ、今回のボムでイラン当局が公然と「イスラエルのモサド」を名指しした以上、今までのように、事態はイラン国内だけに留まっているとはちょっと考えられないように思います。

(事態がイラン国内に留まっていればいい、というのではありません。そうやって「密室化」していくことが――「いやな奴は出て行けばいい。出て行って、体制に影響を及ぼすな」という方向で、いわばビルマのような状態になることが考えられたのですが――、それが長期的にどうなのか、という点から、2009年後半の「緑の海」運動があったのですから。まあ、すべてを「背後に西側の陰謀」っていって納得したい人たちとか、「西洋以外の国にはナショナリズムと民族自治の権利があり、すべては彼ら自身の判断だ」ってことで、国内少数派に対する白色テロの事実を黙殺していても平気な人たちには、「ウクライナのオレンジ革命みたいなもの」と思われているんでしょうけど。)

※この記事は

2010年01月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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