kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年12月02日

イラン、英国人ヨットクルー解放との報道

前記事:
2009年12月01日 イラン領海で英国人拘束
http://nofrills.seesaa.net/article/134413293.html

先週、ヨットが故障して漂流してイラン領海に入ってしまったということでイラン当局に身柄を拘束されていた英国人のヨットクルー5人の身柄が解放されたとイラン国営系が報じているらしい。現状、英外務省がその報道について調べているとのことで英メディアが報じているが、ほぼ確実に解放は事実だろう。

UK sailors 'freed by Iran' claim investigated by FCO
Page last updated at 07:45 GMT, Wednesday, 2 December 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/8389946.stm
Iranian radio said they had been freed at 0730 local time (0400 GMT). It is thought they were held on Siri island.

A statement by the Revolutionary Guard said interrogations had revealed their "illegal entry" had been "a mistake".

...

Iran's official IRNA news agency said the five had been freed after an interrogation by authorities established that their yacht had entered Iranian waters "by mistake".


この人たちが拘束されていたというSiri islandは、地図を見る限り、かなり沖の方にある。革命防衛隊が、彼らは「不法に入国した」が、それは「間違い」だった(意図的なものではなかった)という声明を出している。そしてIRNAが、当局が彼らのヨットが領海に入ったことが「間違い」だったことを事実と確認したあとで、5人は解放されたと報じている。

※この記事は

2009年12月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼