kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年11月27日

Iraq Inquiry (Chilcot Inquiry) 始まる。

さて、24日から英国でイラク戦争開戦から2009年夏までをめぐるイラク・インクワイアリ(真相究明のための正式な手続き)が始まっている。ちょうど日本で「事業仕分け」が連日トップニュースになっているのと同じような感じで、英国のニュース(ウェブ版)は連日このインクワイアリをトップニュースとして伝えている。

右のキャプチャ画像はガーディアンのRichard Norton-Taylorによる24日の記事で、「米国は9.11の前からイラク侵略を考えていた」というような内容(Iraq war inquiry: Britain heard US drumbeat for invasion before 9/11)。写真は、「英国がイラク戦争に参戦するという判断をした責任者は誰かを明らかにするよう求めるキャンペーンの人たち」というようなキャプションがついているが、参戦の責任を負うべきなのが誰かなどということは、わざわざ言葉にしなくても自明だ。しかし、"Blood on his hands" は久しぶりに見るなぁ……。

さて、インクワイアリを率いるのがSir John Chilcotなので、このインクワイアリはChilcot Inquiryとも呼ばれている。



サー・ジョンをはじめとするパネルのメンバーについては下記参照。

Who is on the Iraq war inquiry committee?
Tuesday 24 November 2009
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/nov/24/chilcot-inquiry-iraq-committee

サー・ジョンはバックグラウンド的には北アイルランド庁(それも1998年グッドフライデー合意の前の7年間だから、メイジャー政権下丸ごとという感じで、つまりかなりいろいろあった時期だなあ)。で、サー・ジョンという人は前回、2004年のバトラー・インクワイアリにも関わっていて、ゆえに「彼が率いるインクワイアリがイラク戦争開戦の核心に切り込むことははなっから期待できない」という諦めムードのようなものがただよっている――ううむ、それにしても、あれからもう5年以上経つのか……。バトラー・インクワイアリーについてはウィキペディアがいいリンク集になっている(ウィキペディアだけでは全然ダメだけど、入り口にはなる)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Butler_Review

インクワイアリの公式サイトで公開されている情報が非常に多くある。
http://www.iraqinquiry.org.uk/

メディアの報道も記事が多いので、どこかひとつの媒体を決めて記事を追うのがよいだろう。ガーディアンは下記URLにチルコット・インクワイアリの記事がまとまっている。私はほとんどガーディアンだけで追うことにすると思う。(初日にいきなり「英国はレジーム・チェンジの違法性を認識していた」ということがでかでかと報じられている状態であり、とっくの昔に、イラク戦争について「法的根拠に問題はない」という立場の人たちとの論争にくたびれきっていたような私にはすでに、あちこちのメディアを見るようなエネルギーは残っていない。)
http://www.guardian.co.uk/uk/iraq-war-inquiry

このインクワイアリの結果ひとつ確実なのは、2003年とか2004年とかに出た「ブレアにとってのイラク戦争(の正当化)」を説明した本は、(何があったかを淡々と記録したものは別として)書き直しの必要が出るだろうということ。ブレアが好んで多用していた言葉だが、「歴史が証明する」ってことだ。【ここに罵倒を省略】

以下、インクワイアリーが始まった日(24日)のメディアのトップページのキャプチャとか、今日(26日)のキャプチャとか、リンク集というか覚書として。

24 November 2009:




26 November 2009:






しかしこのニュース、報道を見れば見るほど無気力にさせられる一方である。こんなこと、なんで2009年の11月に聞かされていなければならないのだろう。


※この記事は

2009年11月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼