kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年10月23日

チャーチ・オヴ・イングランド/スコットランド/アイルランド

The Church of England
The Church of Scotland
The Church of Ireland

この3つの「教会」のうち、1つだけ宗派が違います。さて、どれでしょう。

答え:
The Church of Scotland.
この教会は長老派(プレスビテリアン:カルヴァン派)です。

長老派とは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%80%81%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A
(改革派が)ジョン・ノックスによってスコットランドに伝えられ、この地で発展し、教会制度によって「長老派」(プレズピテリアン)を名乗るようになる。……1567年からスコットランドの国教。以後、大陸の改革派とイギリスの長老派はそれぞれ信仰告白を整備し、準拠する信仰告白によって呼び分けられるようになる。……


一方で、The Church of England, The Church of Irelandはアングリカン(「イングランド国教会」)です。ちなみに、スコットランドのアングリカンはThe Scottish Episcopal Churchです(数的には「弱小勢力」といえる範囲です)。Episcopalという語はアメリカ合衆国のアングリカンも正式名称の中で使っています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglican_Communion#Provinces_of_the_Anglican_Communion

アングリカン(聖公会)、すなわち「イングランド国教会」は、イングランド王国が隣国を飲み込む形で「連合王国」を築き上げる過程で、隣国への出先機関的に「どこそこ国教会」を作った……のならこういうことにはならないわけで、ああもうほんっとに、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国はめんどくさいですね。

日本語圏では(日本語圏でなくても「連合王国」と「イングランド」を同じ語で呼びならわしている言語圏では)、さらにめんどくさいことに:
「イングランド」=「イギリス」=「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」=「英国」
ゆえに:
「イングランド国教会」=「英国国教会」

この翻訳はかなりの程度まで「誤訳」に近く、これでは、「英国(連合王国)」全体が「英国国教会(イングランド国教会)」(つまりアングリカン)……というふうな思い込みが生じても仕方がない。ていうか私も昔はそう思ってたし!

実際には、スコットランドはイングランドとは違って、長老派です。なお、オリヴァー・クロムウエルで有名な「ピューリタン」は、イングランド国教内で、「長老派うらやましすぎる」となった宗教的にがちがちな人たち。クロムウェル以前、「神と直接のつながり」をいう彼らはイングランドの体制にとっては危険な存在であったので、弾圧の対象に。そしてメイフラワー号でイングランドから逃げ出した人たちが新大陸に渡り……という話が、私が高校1年のときの英語の教科書に載ってたんですけど。「ピルグリム・ファーザーズ」って。



※この記事は

2009年10月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼