◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年10月23日

ベルファスト、英軍基地で爆発。外部から爆発物が投げ込まれたらしい。

木曜日午前1時半から2時の間に(現地時間)、ベルファスト北部のAshfield Crescentにある英陸軍TAの兵舎で爆発が起きた。警察の偉い人の話では、正面の門の上を越えるかたちで爆発物が投げ込まれていたようだ。爆発はかなり大きかったようで、近隣の通りには破片が散乱、もし街路を歩いている人がいたらかなり悲惨なことになっていたかもしれないが、現実には死者・負傷者は出ていない。

記事は下記のKwoutのキャプチャから。





今日は、ついに開始された郵便ストと、BNPがBBCの討論番組に出演するのでいろいろと緊張が高まっているということがトップニュースでになっており、ベルファストのボムは扱いが小さい。

というか、郵便ストとBNPよりも大きな扱いにしなければならないほどの被害がなくてよかった、としか言えない。

ガーディアンでは、ヘンリー・マクドナルドがわりと詳しいことを書いている。(ただし、この人が書いた記事はときどき先走りすぎということが後から判明したりするので慎重に。)

Dissident republicans bomb Belfast army base
No one injured by small device thrown at home of North Irish Horse Regiment
Henry McDonald, Ireland correspondent
guardian.co.uk, Thursday 22 October 2009 12.38 BST
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/oct/22/northern-ireland-army-base-attack

で、この記事から事実関係の部分と、そして先日の警官を標的にしたと思われる自動車のブービートラップについて:
The base is the home of the North Irish Horse Regiment, a Royal Armoured Corps unit. Soldiers train at the camp every Wednesday, according to the Ministry of Defence.

The attack comes just under a week after republican group Oglaigh na hEireann admitted it put a boobytrap bomb under a woman's car last Friday in east Belfast.


ブービートラップについて、ONHが犯行声明を出していたとは知らなかった。毎日一度はベルファスト・テレグラフを見ていますが、大きな記事にはなってなかったはず。

Oglaigh na hEireannというのは「アイルランドの義勇兵たち」という一般名詞でもあり、それを名乗った1910年代から20年代の(つまりマイケル・コリンズの時代の)IRAのゲール語名称でもあり、アイルランド自由国が成立した後はアイルランド国軍のゲール語名称でもあり、という語なのだが、2009年の北アイルランドで、非主流派リパブリカンについて用いられるOglaigh na hEireannは、Continuity IRAから最近分派した超超超過激派の集団。(ほんとに分派が多すぎていやになるわねー。でも、これでも1970年代の分派の数々や別組織名の多さに比べれば全然……。)

ブービートラップの犯行声明の件については:

Bomb allegedly was the work of dissidents
By Lauren Mulvenny
Wednesday, 21 October 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/community-telegraph/east-belfast/bomb-allegedly-was-the-work-of-dissidents-14537754.html

……ううむ、「ある新聞」というだけでどの新聞か明示されてないのか……。

(少しうろうろ)

わかった。(via このページ ←ここにある画像は、このONHの紋章などではありません。キーワード検索で引っ張ってくるとこういうことになるから面倒。これは、マイケル・コリンズの時代のIRAがアイルランド自由国でアイルランド国軍となったときの紋章で、今もアイルランド共和国軍のバッジはこのデザインのはず。)

We planted car bomb: ONH
By Allison Morris
17/10/09
http://www.irishnews.com/articles/540/5860/2009/10/17/630263_397231448170Weplanted.html

このソースならガチです。

なお、今回爆発物で襲われた基地の場所は下記:


あと、ONHは先月のForkhillのボムでも犯行声明出してる。(600ポンドの爆発物が発見され、軍の専門家が処理した件。爆発物が詰まれた車から伸びていたワイヤーはボーダーの南に……。)

Brian Rowan: Terror groups who walk with a spring in their step
Wednesday, 7 October 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/brian-rowan-terror-groups-who-walk-with-a-spring-in-their-step-14523094.html

今回の、北ベルファストのTAの兵舎への攻撃はまだどこからも犯行声明が出ていないようだ。ベルテレさんによると、爆発があったとき、兵舎には軍人は誰もいなかったと考えられる(民間の警備員が巡回はしていた)。兵舎の周囲は普通の住宅街で(現場で撮影された写真は、高い塀があるわけでもなく鉄条網があるわけでもない。角度の問題などだろうと思うが、北アイルランドで英軍や警察の施設といえばすごい壁とすごい鉄条網がつきものなのに)、警察があれこれ調べている間は封鎖されている。就寝中に爆発音で目が覚めたという住民は「昔に戻ったような気分」だと語っている。

こういうのが、1度や2度ならまだしも、何度も重ねられることで、雰囲気とか心理状態といったものが本当に「昔に戻ってしまう」ことが最も危惧されることだ。同時にそれはまた、「彼ら」の思う壺でもある。ロイヤリストがジャッキー・マクドナルドのような重鎮によってがつんと引き締められたまま、先日アナウンスされたとおりに武装解除を進めてくれればよいのだが。

追記:
Slugger:
"We are obviously very concerned at the level of threat.."
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/we-are-obviously-very-concerned-at-the-level-of-threat/

RTE:
http://www.rte.ie/news/2009/1022/belfast.html

4NI:
http://www.4ni.co.uk/northern_ireland_news.asp?id=101555

※この記事は

2009年10月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:00 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ベルファストの警察施設攻撃、Real IRAが犯行声明。
Excerpt: 2010年2月の警察施設攻撃、2009年10月のTA施設攻撃について、Real IRAが犯行を認めた。
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2010-02-05 00:32

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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