「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年10月21日

Trafiguraのinjunctionが公開されている。

前記事はTrafiguraのタグから:
http://nofrills.seesaa.net/tag/Trafigura

Trafiguraという石油商社が、西アフリカで硫化水素など毒物を不法投棄して、人々の間に広く深刻な健康被害を引き起こしていたであろうことを表ざたにすまいとして、法廷で報道差し止め命令を取っていた件、そろそろ「まとめ」の段階に入り、英メディアの話題は「BNPがBBCのテレビ討論番組に出る」という件と、それに時期をあわせたとされる「英軍のお偉方と、北アイルランド、フォークランド、湾岸戦争など過去の戦争で戦った退役軍人たちが、勝手にイメージを利用されたことでBNPに立腹している」件と「BNPの名簿がリークされた」件に移っているのだが、ここに来て、Trafiguraの最終章が開幕。

問題の差し止め命令の文書そのものが、ガーディアンによって公開された。そもそもの発端で「あの件について書きたいのに何にも書けないんだよ、参ったなぁ」とTwitterとガーディアンの記事でぼやいた編集長が、この差し止め命令について詳細に解説している。もちろん、ただのinjunctionではなくsuper-injunctionと呼ばれるのはなぜかということも。

Trafigura: anatomy of a super-injunction
Alan Rusbridger
guardian.co.uk, Tuesday 20 October 2009 18.22 BST
http://www.guardian.co.uk/media/2009/oct/20/trafigura-anatomy-super-injunction

Injunctionの文書そのものはPDF。下記から。
http://image.guardian.co.uk/sys-files/Guardian/documents/2009/10/20/SUPER-INJUNCTION.pdf

このPDFにも、編集長の解説が書き添えられているので(なので横幅が広い)、PDFをプリントアウトすれば電車の中で読んで、どういうものかが理解できそう(法的な文書なので単に英文として難しいけれども)。

しかしすごいな。ガーディアンの調査報道はすごいと思わされてきたことはこれまでもあるのだが(特にBAEの件)、Trafiguraの件は、世間一般を巻き込んだメディアの活用といったことも含めて、「伝説」に近いと思う。

※この記事は

2009年10月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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