「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年10月18日

【速報】イラン南東部で自爆、革命防衛隊司令官複数名死亡

イラン南東部、シスタン=バルチスタン州のPishinという地域で、地元の族長と革命防衛隊の会合が行なわれていたところ、何者かが自爆し、革命防衛隊の上層部の司令官6名を含む20名が死亡した。(死者数はこれから増えるかもしれない。)

日本時間午後7時半ごろのBBC Newsトップページ:


BBCの記事が、まだ全然落ち着いていない(同じURLでの更新が続いている)のだが、イラン当局は「アメリカの仕業」だとか「英国の仕業」だとか言っているらしい。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/8312964.stm

シスタン=バルチスタン州といえば、「多民族国家イラン」の中でも特に不安定なことで知られている地域。2年前に日本の大学生が誘拐されたのがこの州の西の方(ケルマン州と接するあたり)だったが、東の方(パキスタン国境のほう)はもっと不安定で、Jundallahという武装組織の活動が活発だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jundallah

検索したら2007年3月のIPSの記事がjanjanで日本語化されているのが見つかった。
アフガニスタン、パキスタンと国境を接するイラン南東部シスタン・バルチスタン州の州都ザヘダンでイラン革命防衛隊(IRGC)が乗った車が爆破された。11人が死亡、18人が負傷した事件を受け、当地域における派閥間の緊張の拡大が報告されている。

 犯行声明を出したのはパキスタンにネットワークを持ち、バルチスタン州の分離独立を目指すジュンドアラー(神の兵士)と称するスンニ派武装集団。イラン、パキスタン両国がテロリスト集団と認定する組織だ。イラン労働通信社(ILNA)は、今回の襲撃事件は「外国」から指揮されたものとする地元保安担当者の声を紹介している。……


この保安担当者の言う「外国」は、「米国や英国」のことだ。イラン当局は、米国や英国がこの「テロ組織」を支援していると何度も非難している。

この組織がガチで「反政府の武装闘争」を展開していることはウィキペディアのページに羅列された事件を一覧すればわかると思うが、2009年6月の大統領選挙後は特に大きな活動の話はなかった。(ムサヴィ支持者らの抗議デモには、彼らスンニ派の組織が関わっているという話は出てこなかった。)

ただし、2009年5月末、大統領選挙の投票まであと少しというときに、今回と同じくシスタン=バルチスタン州のモスクを標的とした爆弾攻撃があり、25人以上が死亡している。
http://en.wikipedia.org/wiki/2009_Zahedan_explosion

イラン当局がこの事件の「犯人」として逮捕したのではないかと言われるジュンドアラーのメンバー13人は、数週間後には処刑された。(イラン当局は処刑時にはこの事件の犯人を処刑したとは言っていないようだが。)
http://english.aljazeera.net/news/middleeast/2009/07/2009714132021426228.html

追記するかも。→しません。記事クリップは下記で。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Iran/
(2009年10月18日から19日にかけての分を探してください。中にはこの件とは関係のない調べもののメモも入っていますが。)

※この記事は

2009年10月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:04 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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