「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年09月24日

ブラディ・サンデー事件報告書、さらに延期

2008年11月に、「サヴィル・レポート、1年延期」が報じられた。(「サヴィル・レポート」とは、トニー・ブレア政権下で発足したブラディ・サンデー事件の真相究明のためのサヴィル委員会の最終報告書のこと。)
http://nofrills.seesaa.net/article/109285429.html

この時点で既に、とっくに出ているはずだったサヴィル・レポートは、これで予定から大幅に(「年」単位で)ずれ込んで、「2009年内に公表される」ということになった。

そして今日、報告書の公表がさらにまた遅れるという報道がなされた。「来年3月」だそうだ。

Bloody Sunday inquiry delay angers victims' relatives
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/sep/24/bloody-sunday-inquiry-delay1

Families' dismay at Saville delay
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/foyle_and_west/8272031.stm

Bloody Sunday relatives demand meeting over report delay
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/bloody-sunday-relatives-demand-meeting-over-report-delay-14506270.html

ガーディアンの記事から。
Lord Saville, the judge presiding over the 11-year-long inquiry into Bloody Sunday, had been expected to have published his report before Christmas.
ブラッディ・サンデー事件についての11年におよぶ調査を率いている判事、サヴィル卿は、今年のクリスマス前に報告書を公表することになっていた。

...

The Saville report is virtually complete but it is understood that technical difficulties linked to its printing is holding up the process. ...
サヴィル報告書は事実上完成している。しかし、印刷に関する技術的な問題があって予定通りに進んでいないとのことだ。


1998年(11年前)に開始されたサヴィル・インクワイアリーの調査のプロセスそのものは6年前に終わっている。当初、調査のプロセスが終わって1年で最終報告書が出るという話だったはずで、となると当初予定から5年遅れているということか。昔懐かし、「ソ連の五カ年計画」ですか、という。(←冷戦世代は、社会科で必ず習いました。)

再度、ガーディアン記事から:
Downing Street had expected to take delivery later this year, by Christmas at the latest, and when ministers do eventually get a copy they are then expected to take two or three weeks, maybe longer, to consider the findings before agreeing to go public.

OMG. つまり、今年中に報告書が首相や閣僚に渡されて、しばらく時間をかけて内容をよく検討したあとで、公表についての合意。

ということは、政治的に大きな動き(ぶっちゃけ「政権交代」ですが)がありそうな時期はさけないとグダグダになる。(というか、とにかく今の労働党政権のうちに決着つけておかないと、保守党政権では何をどう隠蔽しようという力学が働くかわかったもんじゃないと私は思う。NI紛争の時期に「アイルランド解放」のスタンスに寄っていた/酔っていた政治家が少なくない労働党でも、都合の悪いことは非公開にしているのだから。)

……ということも含めて展望的なことが書かれているのがベルテレさんの記事。4,500ページもあったら、閣僚の分を印刷するだけでも大変だ。というか、誰が読むんだそんな大量の文書。

The report, which is expected to run to 4,500 pages, is virtually complete but its understood technical difficulties linked to the printing of it is holding up the process - heightening fears among the families that with Easter approaching and the distinct possibility of the UK getting ready to go to the polls, then it could be close to the summer before they get sight of it.

つまり、1972年1月30日のあの国家テロの犠牲者の家族は、現在サヴィル卿が提示している3月22日という日付について、イースター休暇間際であり、また2010年は英国は総選挙があるので(やるなら5月)、家族がその報告書をみるのは夏も間近になったころ、と言うことになる可能性もある、と。

で、家族はNI担当大臣に対して働きかけを行なっているそうだ。印刷が間に合わないなどという理由ではさすがに唖然とするしかないのだけれども(印刷しないで配布すればいいじゃん、と思うのだけど、ああいうものは、紙に印刷されていないと読めないのだろう)、実際、今はNYを訪問中のNI担当大臣は、サヴィル卿から年内は無理と聞かされて、「ひどくショックを受けている」という。

……根本的に、段取りが悪いんだと思うけどね。あと、「何が何でも間に合わせる」とは誰も考えないのかということ。

あと、BBCの記事はこう書かれています。エイモン・マッカンのコメントの切り方が大胆すぎるけど。

Eamonn McCann of the Bloody Sunday Trust said it would be bad timing to publish the inquiry's findings in March.

"It is possible that the report will be published in the middle of an election campaign," he said.

Solicitor Des Doherty, who represents the family of one of the victims, said he was "seriously concerned" the government will be given the report before the families.

"The government, and potentially sections of the Ministry of Defence and the treasury solicitors and their clients may know what's in this report well in advance of the families, and of course the lawyers for the families.

"We will be no doubt be pushed before the world's media on the day this is published and yet again the government will be well in advance in respect of their knowledge of the report," he said.


MoDへの不信は、MoDがこれまでに行なってきた隠蔽工作が原因なのだけれど、しかし根深い……。

※この記事は

2009年09月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼