kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年09月19日

「アードマンの新作」が「うごメモはてな」で!

「はてなダイアリー」や「はてなブックマーク」を運営する「株式会社はてな」さんは、「うごメモはてな」というサイトも運営している。ここは、ニンテンドーDSi用の「うごくメモ帳」というソフトで作った「メモ」を、ユーザーが投稿・公開するためのサイトで、2008年12月にスタート。「うごくメモ帳」の日本国外版 (Flipnote Studio) の提供が始まった2009年8月には、「うごメモはてな」のインターナショナル版(英語・ドイツ語・フランス語など欧州5言語)、「Flipnote Hatena」がサービスインしている。

そのFlipnote Hatenaで、『ウォレスとグルミット』などクレイアニメの映画で知られるAardman Animationsの作品(新作)を見ることができる。それも、毎週1本ずつ。
今回の作品は「クリスマスまでの12本の作品」というシリーズの初回で、今後12月4日までに毎週1本ずつ動画が公開されていく予定になっています。なお、この作品の作者はアードマン・アニメーションズの広告ディレクター ティム・ラッフルさんとのこと。

―― うごメモはてなに「ウォレスとグルミット」のアードマン登場 新作が30,000再生を突破 - はてなブックマークニュース
http://b.hatena.ne.jp/articles/200909/433


ティム・ラッフルさんによるThe Sandwich Twins (20秒くらい):


アードマンといえば、今年でWallace and Gromitは20周年だそうで、10月のロンドン・フィルム・フェスティヴァルで特集があるとのこと。

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アードマンは、2005年秋に倉庫が火災にあい(←リンク先、当ブログ過去記事@旧アドレス)、ストーリーボードなどが失われてしまったのだが、第一作の「チーズホリデー Grand Day Out」のロケットは、ニック・パークが自宅で愛でていたので、無事だったらしい。

YouTubeのAardmanのチャンネルには、W&G以外にもクリップいろいろ。
http://www.youtube.com/user/aardman



※この記事は

2009年09月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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