「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年09月17日

兄貴、パネェっす。。。&バックステージ・リクエスト集

元々音楽メディア(確かSounds)で書いていて、今はガーディアンの文化面で音楽ネタを書いているジョン・ハリスが、10月1日に新著を出すっていうことで、そこからの抜粋で構成されたろけんろーるな記事:

Music and madness: the rock'n'roll circus
http://www.guardian.co.uk/music/2009/sep/17/music-and-madness-rock

この記事の最後の方にあるポール・ウェラーの毒舌集がすごい。1983年の「U2ってさぁ、毛が長くてヘアバンドでもしてたら、誰も見ようと思わないでしょ」という発言とか(それはU2であろうが誰であろうが同じ。まあ、長髪にヘアバンドしてるようなバンドを見たいと思う人もいたのが80年代なんだけどね)、2006年の「ジェイムズ・ブラントとデュエットとかするくらいなら自分のクソでも食ってたほうがましですっていう」という発言とか、「ていうかなんでおれが90年代のクラプトンとか言われてんの? おれの音ってあんなに甘いか? そうだっていうんならとっとと引退するし。ていうか自殺するし」という発言とか、「国民を裏切ったサッチャーを処刑せよ」とか……。

ということをTwitterに投げてみたら、英国の音楽友達が「爆笑した」とレスをくれて、イギー・ポップお父さんのバックステージ指示書がすごいよって教えてくれた。ちょっと見てみたらなるほど、これはすごい。お茶ふきつくした。全体を全力でネタにしているので、指示書の体をなしていない。これを指示書として淡々とセッティングをする裏方さんは、すごいプロだと思う。
http://www.thesmokinggun.com/backstagetour/iggypop/iggypop1.html
※3ページ目以降、加速度的にモンティ・パイソン化していく。

同じサイトで、NINのバックステージ指示書も上がっている。これはお蔵入りの後ご本人のP2Pネットワークへの放流で話題になったClosureが撮影されたころのものだろう。「コーンスターチをたっぷり」は、ロビン・フィンクさんが「失礼ですが、どちらの星から?」とききたくなるような風体のときのものだ。
http://www.thesmokinggun.com/backstagetour/iggypop/iggypop1.html

ほかもけっこうすごくって、例えばビーチ・ボーイズは「私たちは環境に配慮しています」と大文字で書いておいて、ペットボトルの水を銘柄を指定して注文しているという、まあ、ビーチ・ボーイズだからいいんじゃね、というか、アメリカ人っていうか。
http://www.thesmokinggun.com/backstagetour/beachboys/beachboys1.html

ミート・ビート・マニフェストはヴェジだし:
http://www.thesmokinggun.com/backstagetour/meatbeat/meatbeat1.html

ルー・リードも食べ物うるさいし:
http://www.thesmokinggun.com/backstagetour/loureed/loureed1.html

という感じでかなりおもしろいっす。
http://www.thesmokinggun.com/backstagetour/index.html

※この記事は

2009年09月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:51 | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼