kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年08月26日

【訃報】テッド・ケネディ

2008年5月に脳腫瘍と診断され、手術を受けていたテッド・ケネディ上院議員の訃報。77歳。癌の診断から1年3ヵ月ほどでの死去である。

Senator Edward Kennedy, 77, dies
http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/8221686.stm
4分弱の「生涯を振り返る」映像つき。(ただし北アイルランドとテッド・ケネディとの関係についてはまったく言及せず。)

つい2週間ほど前には、お姉さんのユーニス・ケネディが88歳で亡くなっていて、ケネディ家の9人きょうだいで存命なのは、1990年代、ビル・クリントン政権下での北アイルランド和平プロセスのときに駐アイルランド共和国大使をつとめていたジーン・ケネディひとりになってしまった。

テッド・ケネディと「北アイルランド紛争」のかかわりは、1971年(1972年1月30日のブラッディ・サンデー事件の前)から。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ted_Kennedy
In October 1971, Kennedy made his first speech about The Troubles in Northern Ireland: he said that "Ulster is becoming Britain's Vietnam", demanded that British troops leave the northern counties, and called for a united Ireland.


こんなスピーチをしたテッド・ケネディは、「UK(という“国体”の)維持」が他の何よりも重要と考える人たちからは「敵」認定されている。その話は「続きを読む」以下で。

とりあえず、アイリッシュ・タイムズのキャプチャ(画像内の記事見出しクリックで記事に飛びます):



BBC(上記投稿から数時間後に追加):


ケネディ家は――彼らについて最も手軽に読めるものとして、司馬遼太郎の『街道をゆく』のアイルランド編に詳しいが――はしょっていえば、ものすごいガチガチの「フィニアン」で、UKの一部であることこそ重要という考えの人たち(ユニオニスト、ロイヤリスト)の間では、ひどく嫌われている。JFKやロバート・ケネディはあくまで「アメリカの政治家」として距離を置いて見ている人でも、テッド・ケネディについては、その北アイルランド紛争へのかかわりから、ちょっと一言よろしいかしら的な行動をとるものであるらしい。

私は北アイルランド関連でユニオニストが書いた文章などもわりと頻繁に読んでいるから、テッド・ケネディに対する、ほとんど「呪詛」といってもよいような言葉ももちろん読んでいるのだが、とにかく、「テッド・ケネディ」という文字列を見たら何かを言わずにはいられない人たちというのはいる。ベルファスト・テレグラフで、訃報の見出しの下に表示されている関連の過去記事で、今年4月のもの。

Ted Kennedy's a true friend
Tuesday, 14 April 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/opinion/letters/ted-kennedyrsquos-a-true-friend-14268171.html

記事本文は、SLDPの地方議会議員がベルテレに寄せた手紙で、その内容はDUP(ユニオニスト)のサミー・ウィルソン(ガチガチのユニオニストであり、なおかつ宗教的にファンダメンタリストである=「カトリック」に対する敵視)が、テッド・ケネディに名誉爵位が与えられるということについて発言したことについてのナショナリストとして、またシン・フェインと対抗する政党としての反論で、要するに「いつものあれ」でしかない。

わざわざこの記事に言及するのは、コメント欄に投稿されている一般読者の反応が、おそらく私以外の誰にとっても、言い方はわるいけどとても「興味深い」ものだからだ。

テッド・ケネディの叙勲については、ウィキペディアにソースつきで書かれている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ted_Kennedy#2000s
On March 4, 2009, Prime Minister of the United Kingdom Gordon Brown announced that Kennedy had been granted an honorary knighthood by Queen Elizabeth II for his work in the Northern Ireland peace process, and for his contribution to UK–US relations,although the move caused some controversy in the UK due to his connections with Gerry Adams of the Irish republican political party Sinn Féin.


※あとで書き足すと思う。

※記事がどんどん増えてくるのを身ながら、書き足すべきことを考えていたのだけれども、とても重い。「USAの政治」には特に興味がないので、例の自動車が湖に落ちて女性が死んだ事件の顛末とかは私は追わないのだが、あれはあれで重いとして、それじゃなくて、「アイリッシュ・アメリカン」としてのテッド・ケネディのやったことと、テッド・ケネディの受容のされ方のギャップが重いというか、結局「アイルランド人嫌い」(レイシズム)に還元されていく話だよね……

※この記事は

2009年08月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼