http://nofrills.seesaa.net/article/123355601.html
そのU2が、今週末(24, 25, 27日:日曜日はお休み)に「里帰り」し、ダブリンのクローク・パークでライヴが行なわれる。金曜日の公演のレビューは、BBCに上がっているのを土曜日に読んだのだが、数ヶ月前に亡くなったダブリナーズのロニー・ドリュー追悼でダブリナーズの曲を一曲演奏したとか、Walk Onという曲ではアウン・サン・スーチーさん(現在裁判中)のお面をつけた人たちが出てきたとか、観客は1晩で8万人だったとか、経済効果がどうとかいうことは書かれていても、「例のあの曲」については書かれていなかった。
で、「U2のファン」というわけではない自分としては、今はそれが一番気になるのだが……と思っていたところ、Twitterで「YouTubeに映像が上がってますよ」という話が流れてきた。
おお、例の円形モニタに流す映像がパワーアップしている。
U2 Dublin 2009-07-24 Sunday Bloody Sunday
イントロのバスドラ4つ打ちの段階でモニタに映し出される、抗議行動の女性たちと治安部隊(ライオット・ポリス)の列の映像を見ただけで頭の中が大変なことになる。なぜならこの曲がSunday Bloody Sundayで、この場所がクロークパークで、モニタの中の暴力は現在進行形だから(土曜日の夜も、テヘラン北部のVanakという地域でかなりひどい衝突があった)。
ギターが入るときに映し出される「血まみれの手で顔を押さえる男性」も、その後で映し出される「プラカードを掲げる女性」も、「(負傷者を運ぶなどして)血に染まった手をかざす男性」も、「緑色のおくるみと帽子の赤ちゃん」も、これまで何度見たかわからないほど何度も見た写真。(このときに画面に流れているペルシャ語が、「ペルシャで最も偉大な詩人」と言われているルーミーの詩。)
そして30秒のところで出てくる「警察に腕をつかまれている髪の長い男性」は、これは6月14日とか15日とかの段階で英語圏の大手メディアが掲載していたAP通信か何かのフォトジャーナリストの写真なのだけれども、この写真のときに「ここで殴られているのは私だ」っていう人の言葉(英語)をどこかで読んで、そしてその直後にいろいろ流れてくるものの中で、米ABCテレビのジムさんが路上で取材したフィルムで「歩道に立っていた中年女性の目に向けて、通りかかった治安部隊のひとりがいきなりペッパースプレーを噴射」とか、「バス停に立っていた女の子たちに治安部隊が警棒で殴りかかり、女の子のひとりがローキックとミドルキックで反撃」といった光景を見た。
そんなことを思い出しながら、I can't close my eyes and make it go away (目を閉じて見なかったことにすることはできない)という歌詞のところでカメラがズームアウトするのでふとわれに帰ると、ダブリンの空は藍色で、ステージが緑色に輝いて、360度のモニタの真ん中にオレンジ色のものがある(これは何だろう)。
そして、How long, how long must we sing this song? の次の Tonight, we can be as one のところで、緑色のリボンを巻いた指で「ハート」を形作る女の人の手、という、これもまた何度見たかわからないような写真がモニタに映し出され、YouTubeの映像の下の方で観客席が一斉に動く。
モニタがバンドの映像に切り替わり、ステージの上にある色は明らかにアイリッシュ・トリコロールだと思っているうちに、エッジのソロになって(この日の演奏はあんまりアイルランドアイルランドしていない)、照明が白くなったと思ったら、聞こえてくる歌詞は:
Sharif don't like it
Rockin the casbah
Rock the casbah
http://en.wikipedia.org/wiki/Rock_the_Casbah
http://www.youtube.com/watch?v=OAkfHShATKY
1979年のイスラム革命後、ホメイニ師は「ロック」という音楽を禁止してしまった。この曲は、ロック禁止令に反対する国民と、そういう国民など殺してしまえと戦闘機を出動させる国王と、命令を無視してコクピットのラジオでロックを流す戦闘機のパイロットとの寓話であると解釈できる(とウィキペディアにある)。
U2のライヴのデータベースによると、SBS+RTCは2005年から2006年にかけてステージで演奏され、今回の2009年のツアーでは7月21日のアムステルダムのあとに演奏されている。
http://www.u2gigs.com/Rock_The_Casbah-s446.html
アイルランドのメディアに掲載された24日の公演のレビューをU2.comから読んでみたが、このSunday Bloody Sundayをまともに扱っているレビューはない。
http://www.u2.com/news/title/simply-blistering
もともとこの曲自体が微妙というか、アイルランドとしては「できれば北アイルランド紛争のことは聞きたくない」という変な距離感のあったところに切り込んだ曲で、ろくに中身も確認しようとしないバカどもにとってこの曲は国家テロを含む暴力を非難するとかいうより自分たちのアジェンダを支持するものに聞こえ、結果的に「レベル・ソング」として機能してしまったりもしていて、バンド自身にとってそれは不本意なことであり、その流れで1972年1月30日の血の日曜日事件のあったデリーの人たちとU2との間には心理的に変な距離があるみたいだ。それでも事実として、東洋の島国で、試験勉強をしながらラジオを聞いていた私が、「ブラッディ・サンデー」という事件があったことを、そして「北アイルランド紛争」なるものがリアルタイムで継続していることを知ったのは、この曲がラジオでかかったからだ。
私自身、U2は90年ごろにはほとんど聞かなくなっているのだが、この曲だけは本当に特別だ。
もうひとつ。
今回のツアーはU2は、360度どこからでも見えるようなステージを作っていて、フットボール・スタジアムを会場にしているのだが(カンプノウとかサンシーロとか)、クロークパークもそういうスタジアムだ。ただし、カンプノウやサンシーロとは違い、元々は「サッカー(アソシエーション・フットボール)」ではなく、「ゲーリック・フットボール」など、GAAのスポーツのためのスタジアムだ。(今ではサッカーやラグビーなどBritなスポーツの代表戦でも使用される。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Croke_Park
19世紀末にオープンしたこのスタジアムは、アイリッシュ・ナショナリズムにおいてシンボリックな施設だ。
24日のライヴで、ダブリナーズのロニー・ドリューに捧げるThe Auld Triangleをやったあと、Bonoは「世界中から人々がダブリンに来ている。それは、U2をライヴで見るならダブリンが最高だからだ」に始まり「アイルランド人は負けることはない」など、かなりパトリオティックな調子のスピーチをしている(「♪ばばんばばんばんばん、税金納めてるか?」と言いたくなるけどね)。その一部は、アイリッシュ・タイムズのレビューにも掲載されているが、最も濃いところはアイリッシュ・タイムズでも言及されていない――この映像の3分過ぎから、Bonoは次のように言っている。
Hill 16 right behind us (inaudible) out of the rubble of the Revolution in 1916. They built a beautiful stadium, and more importantly, they built a great country. And there is nothing we can't do if we believe in ourselves.
最後の一文でいきなり自己啓発セミナーみたいになるのはスルーしていい。注目すべきは最初の方、「1916年の革命での瓦礫から、ヒル16が作られた」という部分。
「1916年の革命 the Revolution in 1916」は、1916年の蜂起(イースター蜂起 the Easter Rising)のこと。あれを「革命 revolution」と呼ぶのにも例によって政治的ななんちゃらがありそうだが、今はそんなことはどうでもいい。ただこの6月以降のイランについても、「これは革命 revolution である」説と、「革命ではない」説がある、ということはメモしておこう。
そして、「ヒル16」。これはこのスタジアムのテラスのひとつで、クロークパークのスタジアムができたころからしばらくはただの盛り土程度のもので、60メートルという長さから、第一次大戦でのBattle of Hill 60と同様に "Hill Sixty" と呼ばれていた。それが、"Hill Sixteen" となった理由については諸説あるが、最も有力な説が、ここにちゃんとしたテラス席を設営するときに1916年イースター蜂起での瓦礫が用いられているから、というものだそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hill_16_%28Croke_Park%29
その「ヒル16」は、今回のU2のライヴでは使われていない。だからツアーが「360度」ではなく「270度」になっていると書かれているが、使われていない理由は書かれていないというイマイチ中途半端なものではあるが、上のほうでリンクしたBBCのレビューをさらに詳しくした感じのアイリッシュ・タイムズのレビュー。
http://www.irishtimes.com/newspaper/ireland/2009/0725/1224251308267.html
こういう「歴史」のあるクロークパークには、まだ「歴史」がある。1920年11月21日日曜日のこと。
アイルランド独立戦争中のこの日の朝、マイケル・コリンズの指揮下にあるIRA戦闘員が、ダブリン市内各所で、英当局のスパイを暗殺する作戦を実行した。スパイ14人が殺され、6人が負傷。IRAは目標の3分の1くらいしか達成できなかったのだが、IRA側の人的被害はほとんどなく、英当局の動きは麻痺状態に陥った。だが、植民地主義全盛期の英国治安当局が、「このまま慎重に反撃の機会をうかがいましょう」とかいうことになるわけもなかった。
同じ日の午後、ゲーリック・フットボールの試合が、クロークパークで行なわれることになっていた(独立戦争はあるけれど日常生活もねっていうことで開催されていたとのこと)。クロークパーク=GAAのスタジアム=英国から見れば「アイリッシュ・ナショナリストの連中、テロリストども」の巣窟……。
この日の朝からの不穏な空気のなか、試合は30分遅れて3時15分に開始されたが、そのときにはスタジアムの外には英国の治安当局が待機し、スタジアムに踏み込もうとしていた。最初の銃声は3時25分に確認されているらしい。
治安当局(警察)は当時、「IRAに撃たれたので反撃した」と証言していたが、その根拠は確認されていない。(1972年1月30日のデリーでも、2003年の西岸地区でも、2004年のファルージャでもバグダードでも《中略》2009年1月のガザ地区でも、6月のテヘラン大学でも……How long, how long must we sing this song?)当時の英メディアの取材では、スタジアムのチケット売りがIRAのガンマンと誤認されたのではないかということだそうだ。(えー。)
ウィキペディアから:
The police kept shooting for about ninety seconds: their commander, Major Mills, later admitted that his men were "excited and out of hand." Some police fired into the fleeing crowd from the pitch, while others, outside the Park, opened fire from the Canal Bridge at spectators who climbed over the Canal End Wall trying to escape. At the other end of the Park, the soldiers on Clonliffe Road were startled first by the sound of the fusillade, then by the sight of panicked people fleeing the grounds. As the spectators streamed out, an armoured car on St James Avenue fired its machine guns over the heads of the crowd, trying to halt them.
警察は90秒ほど撃ち続けた。司令官のミルズ少佐は後に、部下たちは「興奮しており手に負えない状態」だったと認めた。警察の一部は、ピッチから脱出しようとしている群集のなかに銃弾を打ち込んでいた。スタジアムの外では、スタジアムの壁をよじ登って外に脱出しようとする観客を、橋の上から撃っていた。スタジアムの反対側のエンドでは、兵士たちが一斉射撃の音と、一斉に逃げてくる人々の様子にあっけに取られていた。観客があふれ出してくるなか、セント・ジェームズ・アヴェニューの装甲車両が群集を止めようとして、群衆の頭上ごしにマシンガンを撃っていた。
By the time Major Mills got his men back under control, the police had fired 114 rounds of rifle ammunition, and an unknown amount of revolver ammunition as well, not counting 50 rounds fired from the machine guns in the armoured car outside the Park. Seven people had been shot to death, and five more had been fatally wounded; another two people had been trampled to death by the crowd. The dead included Jeannie Boyle, who had gone to the match with her fiancé and was due to be married five days later, and two boys aged 10 and 11. Two football players, Michael Hogan and Jim Egan, had been shot; Hogan was killed, but Egan survived, along with dozens of other wounded and injured. The police raiding party suffered no casualties.
ミルズ少佐が部下たちをコントロール下に戻したころには、警察はライフル114発を発砲していた。同じく発砲されていたリボルバーの銃弾の数は不明。これとは別に、スタジアムの外の装甲車両のマシンガンが発砲した50発がある。この発砲で、7人が射殺され、5人が致命傷を負った(ので死者12名)。このほか、2人が群集の下敷きとなって死亡した。死者の中には、5日後に結婚を控えた女性、ジェニー・ボイルさん(婚約者といっしょに試合観戦にきていた)や、10歳、11歳の男の子もいた。フットボールのプレイヤー2人も撃たれ、うち1人は死亡、1人は負傷。負傷者数は全体では何十人にもなる。一方で踏み込んだ警察のほうは死傷者ゼロであった。
1920年に、このような「ブラッディ・サンデー」の暴力があった現場で、2009年に、Sunday Bloody Sunday (1983年) が歌われる。ほんの数週間前の「国家による暴力」の記録写真を流しながら。
How long, how long must we sing this song?
http://www.u2.com/news/title/magnificent-in-dublin
Some stand out moments? Bono slipping into 'The Auld Triangle' after Stuck In A Moment; Edge and Bono duelling with an Irish flag on the b-stage during Until The End of the World; spellbinding new video footage of the pro-democracy protestors in Iran during Sunday Bloody Sunday; 80,000 voices singing in unison 'how long to sing this song' at the close of Bad; W H Auden's 'Funeral Blues' to mark the arrival of Ultraviolet...'
Until the End of the World:
http://www.youtube.com/watch?v=qFIdFUa_hUc
アイリッシュ・トリコロールの旗が出てくる。
Bad:
http://www.youtube.com/watch?v=oIGewakqG7A
ステージが静かになっても観客の歌がやまない。
Ultraviolet:
http://www.youtube.com/watch?v=AwaSxk1Luuk
イントロは、W H Audenの 'Funeral Blues' らしい。
http://www.poemhunter.com/poem/funeral-blues-2/
Funeral Blues
Stop all the clocks, cut off the telephone,
Prevent the dog from barking with a juicy bone,
Silence the pianos and with muffled drum
Bring out the coffin, let the mourners come.
Let aeroplanes circle moaning overhead
Scribbling on the sky the message He is Dead.
Put crepe bows round the white necks of the public doves,
Let the traffic policemen wear black cotton gloves.
He was my North, my South, my East and West,
My working week and my Sunday rest,
My noon, my midnight, my talk, my song;
I thought that love would last forever: I was wrong.
The stars are not wanted now; put out every one,
Pack up the moon and dismantle the sun,
Pour away the ocean and sweep up the woods;
For nothing now can ever come to any good.
※日本語はこちらさんで。
http://blogs.yahoo.co.jp/bloomanlate/2798420.html
なお、24日のSunday Bloody Sundayだけど:
http://www.youtube.com/watch?v=fnsQn-b2zbo
Twitterのイラニアンおよびイラン支援者の間で、このビデオが「25日のグローバル・アクションの日のもの」といわれて回っているが、25日ではない(日付変更線の問題が発生したか、伝言ゲームが発生した模様)。
撮影者のU2gigs.comが25日に撮影した曲は下記の4曲で、それにはSBSは含まれていない。(そのことだけでも、「U2のファン」の側でのこの件に対する関心の度合いはわかる。それを、wishful thinkingで過大評価することはとても簡単なことだし、その過大評価がよい効果を生じさせることもあるのだけど。)
http://www.u2gigs.com/article508.html
何となく思いついて「ダブリン テヘラン」で検索してみたらこんなの出てきた。
2002年の日韓共催ワールドカップ(サッカー)予選では、アジアと欧州のプレーオフでイランとアイルランドが対戦していた。(あっ、そういえば!)
http://ton.2ch.net/football/kako/1004/10040/1004081765.html
※今だからこそ、このプレーオフの試合見てみたい。(笑)
イメージだけで勝手なことを言ってる人たち。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1248897.html
「テヘランのアザディスタジアム(キャパ10万人)がアウェイ側にとって最悪と言われるのは何故か」という質問で、「あの衣装の人間がいっぱいいる」という内容の回答が複数。素で意味わかんなかったんだけど、アラブの国(カタールとかUAEとかバーレーンとか)とごっちゃにしてね?イランのサポは普通に「Tシャツにジーンズ(に旗)」みたいな服装だよ。女性はスタジアムには入れないけど。そのへんの話は下記のすばらしすぎる映画でも。
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もうひとつ、検索結果から。アカデミックなもの。もう終わっているものですが。
サイエド・レザー・アーメリー氏講演会「二重のグローバリゼーションと知的交流・イランにおける日本研究へのアプローチ」
http://www.info.sophia.ac.jp/iac/news/docs/news20090218_185094029.html
二重のグローバリゼーションとは、物理的環境における変化と、バーチャルな世界でのコミュニケーションにおける変化である。二重のグローバリゼーションの結果、現在、私たちは皆、共有されたひとつのコミュニティ空間に住んでいることになる。政治的な関係に加え、知的交流という意味において、世界における次世代のトレンドの可能性を理解するために、私たちは1)時間 2)場所 3)労働 4)エネルギーという、4つの相関する概念を理解する必要がある。
出来心というか成り行きで、ついったでイラン情勢追ってるんですが、まさに「共有されたひとつのコミュニティ空間」の極めて極端なものですね。「どこそこ広場で発砲、負傷者の情報あり」とか、「ジャーナリストのなんとかさん、拘束」とかいった最新情報と、「パリでの抗議集会、○時から」といったアクションの呼びかけが同時に錯綜しながら流れてきて、さらには、ユーザーAさんのことをユーザーBさんが誹謗中傷し、ご意見番のユーザーCさんがぴしっとしめた、とかいったことまで。それらがすべて、文字情報として、自分のタイムラインで可視化されている。音なら「聞こえない」とか「聞き逃す」とかもあるけど、文字では(多かれ少なかれ)自分の選択で読む・読まないを決めているわけで、「その情報に接さなければ」というプレッシャーはとても高いので、ものすごく疲れる。
レクチャーを行なうサイエド・レザー・アーメリー氏は、「テヘラン大学卒業後、ダブリン大学でコミュニケーション社会学修士号取得。2001年、ロンドン大学 ロイヤルハロウェイ校で『英国ムスリムのアイデンティティにおけるグローバル化のインパクト』により博士号取得」という方だそうです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bloody_Sunday_%281920%29
今の今まで知らなかったこと。発砲はAuxiliaries (Black and Tans) によるものだとばかり思っていましたが、実際には正規の警察だったと。
The Croke Park Massacre on the afternoon of Bloody Sunday is usually blamed on the Auxiliaries. While the police raiding party was composed in part of Temporary Cadets from Depot Company and commanded by an Auxiliary officer, Major Mills, eyewitness reports make it clear that ordinary police did most of the shooting at Croke Park.
※「アイルランド史」に関して、このエントリに書いたようなことは、映画『マイケル・コリンズ』で説明されています。映画全体としてフィクショナルな部分が多くあり、血の日曜日事件も細部で事実とは異なる描写がされているそうですが。
![]() | マイケル・コリンズ 特別版 [DVD] ニール・ジョーダン ワーナー・ホーム・ビデオ 2000-04-21 by G-Tools |
※この記事は
2009年07月26日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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