「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年07月07日

The trenches dug within our hearts.

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※以上、2009年7月7日朝のNHKニュースのクリップより(画像クリックでNHKニュースのサイトに飛びます)。この女性の発言からは、このスローガンを連想せざるをえない。このスローガンを別の言い方に「翻訳」すれば、 "peace before justice" になる(peace before justiceについては、2000年代前半の北アイルランドを参照。幾度語られたことか)。

以下、断章。

The trenches dug within our hearts
And mothers, children, brothers, sisters
Torn apart.

私たちの心の中に塹壕/溝が掘られ
母親たちが、子供たちが、兄弟姉妹たちが、
引き裂かれる

U2, "Sunday Bloody Sunday"
http://url.ie/1yze


 一方、街では、ヘルメットに鉄パイプ、ヌンチャクなどで武装して自警団を組織した漢族住民の姿が見受けられ、「いつウイグル族に襲われるかわからない」とピリピリした様子だ。

【ウイグル暴動】漢族、ウイグル族が「自警団」 消えない対立
2009.7.7 10:22
ウルムチ=野口東秀(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/090707/chn0907071023005-n1.htm


There are 53 Northern Ireland Office maintained peace lines in four towns and cities in the region - 42 in Belfast, five in Londonderry, five in Portadown and one in Lurgan.

However, community relations groups say these are not the only peace lines, with other structures and land being used to keep communities apart.

英国政府の北アイルランド庁が管理しているピースラインは、4つの町に53箇所ある。ベルファストで42箇所、デリーで5箇所、ポータダウンで5箇所、ラーガンで1箇所だ。

しかし、コミュニティの関係について取り組んでいる団体によると、2つのコミュニティを分けておくために使われている構造物や土地は、ピースライン(「和平」を維持するための壁)のほかにもある。

BBC, "Forty years of peace lines"
10:25 GMT, Wednesday, 1 July 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8121362.stm




ウルムチで5日に発生した暴動では、バスやタクシーなどが放火されたほか、200を超える商店が襲われ、地元当局によりますと、これまでに156人が死亡し、800人以上がけがをしました。暴動から丸1日たった6日もウルムチ市内では、武装した大勢の警察官による厳戒態勢が敷かれ、商店は軒並みシャッターを下ろしていて緊張が続いています。暴動のきっかけは、先月、中国南部・広東省の工場で、出稼ぎに来ていたウイグル族の従業員が漢民族の従業員に中傷されて乱闘となり、ウイグル族の2人が死亡したことへの抗議だったとされています。これについてウルムチでは、ウイグル族の男性が「ウイグル人が出稼ぎに行ってはいけないというのか」と不満を述べる一方、漢民族の女性は「漢民族もウイグル族も同じ家族のはずなのにこんなやり方は間違っている」と暴動を非難していました。中国政府は、現地に入った外国メディアに、けが人がいる病院の撮影を許可するなど異例の対応を取っており、今年10月の建国60年を前に国際社会の批判を避けながら暴動を抑え込みたいという意図がうかがえます。

NHK, 中国の暴動 警察が厳戒態勢
7月7日5時59分
http://www3.nhk.or.jp/news/k10014094861000.html


新疆ウイグル自治区の中心都市ウルムチでは、7日も暴動の再発を警戒して市内のいたるところで武装した警察官が警備に当たるなど、厳戒態勢が敷かれています。こうしたなか、中国政府は7日午前、取材を続けている海外メディアに対して、暴動の被害にあった商店の撮影を許可し、現地を案内しましたが、この際、取材陣に気づいた地元のウイグル族の住民およそ200人が自分たちの訴えを伝えようと集まりました。そして、当局に拘束されている家族の釈放を求めて抗議活動を行い、周辺で警備に当たっていた武装した警察部隊と一時もみ合いとなりました。一方、ウイグル族に反感を抱く漢民族の住民も7日午後、金属のパイプや木の棒などを持って集まり、繁華街を行進しました。住民の数は、数千人に上るとみられ、ウイグル族が多く住む地域に向かう途中で、警察の部隊に行進をさえぎられていました。ウルムチ市のトップ、栗智共産党書記は7日の記者会見で市民に冷静になるよう求めましたが、現地では漢民族とウイグル族の対立が根深く、緊迫した状態が続いています。

NHK, 新疆ウイグル自治区 緊張続く
7月7日18時16分
http://www3.nhk.or.jp/news/k10014110271000.html




BBC記者ナレーション。
「しかしVelimirさんにとってはまだ和解はない(yet there is no reconciliation for Velimir)。というのは、彼がビデオレターを送ったアルバニア人の同僚は、ほかの人たちと一緒にサラエヴォを訪れるはずだったのだが、その予定を取りやめたのだ。コソヴォで、彼らがセルビア人に話しかけているのをテレビで見られるのを恐れたのだ。」

2005年04月09日
Video Letters――旧ユーゴ諸国で共通して放送されるドキュメンタリー
http://nofrills.seesaa.net/article/23004564.html




アルジャジーラの記者でウルムチに入っているメリッサ・チャンさんのtwitterから。7月7日投稿。

There is no right or wrong anymore. Just vigilantes, Han and Uighur. Mostly men but some women and even children.
もはや正しいとか正しくないとかではない。ひたすら自警の活動が、漢側、ウイグル側それぞれに。自警団はほとんどが男性だが、女性もいるし、子供すら参加している。

http://twitter.com/melissakchan/status/2511296828


It is dangerous to film around Han Chinese if you have blonde hair and white skin. They get angry.
金髪に白い肌で漢民族の周囲で撮影を行なうのは危険。彼らが怒ってしまう。

http://twitter.com/melissakchan/status/2511798533


Equally bad if you're a journalist who is Han-looking in Uighur neighborhoods. We all feel kind of stuck.
同様に、漢民族っぽい外見のジャーナリストがウイグル人地区で取材をするのも危険。にっちもさっちもいかないという感じです。

http://twitter.com/melissakchan/status/2511811621

※この記事は

2009年07月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:31 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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