kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年06月27日

「シンボル」として消費されるべき存在ではない彼女と、ひとりの医師と、パウロ・コエーリョ。

彼女はポップスターでもなければ、ひとつの時代を象徴するようになった髪型の女優でもなかった。その死によって全世界が騒然となるという存在ではなかった。しかし、「米国のその黒人のポップスターが米国のエンターテイメントの歴史にとって、いかにシンボリックな存在であるか」よりも、彼女の死はシンボリックなものとして立ち現れている。(そのポップスターが「黒人」という枠を超えた存在であったという事実はもちろん大きいのだが。)

Nedaさんが殺されたあとの彼女の「神話化」のスピードは、あまりにはやかった。個人的には、目の前のブラウザの中で、画面をリロードするたびに着々と進んでいく「神話化」に戸惑い、まさにmyth-creatingの現場に居合わせるという体験に怯えつつ興味を抱いており、そして全体的に、この「神話化」は危険なものであり、それ以前にあまりにも痛々しいことだと感じている。

「神話化」というものは、この神話化でなくどの神話化でも、基本的に危険なものだが、今回はどこがどう「危険」なのかがはっきりと見えるという点でもやや特異かもしれない。何しろ、英語メディアが現地で「取材」ができない状態なので、何が信頼できるのかできないのかもよくわからないなかで、「神話」が構築されてゆくのだから。

今回私は、BBCLA TimesCNNの記事をしばらく追っていたが、この3者のあいだでさえ、基本的なところで事実が一致しない部分がある。人が少し大袈裟に語り、ペルシャ語から英語になるときにlost in translationが起きて(ペル語と英語ではかなりの違いが生じるようだ)、さらに「読める英文」にするための工夫がなされている……と考えられもするが、そう考えたとしても説明がつかない不一致がいくつかありはしないか、と思った時点で、私はこの件は深追いしないことにした。(Twitterである程度長くイランの件を追っている人たちも、現地からの連絡をまとめて英文にしている人たちも、Nedaさんの死の翌々日、「世間」が最もこの事件に「注目」していたときには、かなり静かになっていたと思うのだが、それは気のせいかもしれない。)

現地で記者を手配したらしいガーディアンの下記記事は信頼できると思うが、これも、誰もウラが取れないままメディア間でコピペされ、その過程で細部が落とされて、何かが増幅するというような形で「神話化」の一端をになっている。

http://www.guardian.co.uk/world/2009/jun/24/neda-soltan-iran-family-forced-out
※記者(匿名)が訪れたところ、Nedaさんのご家族は、事件前まで暮らしていたアパートにはおらず、近所の人の話では引っ越しを余儀なくされたとのこと。イランでは誰かが亡くなるとその旨を表示して弔問客を受け付けるのが普通なのに(日本でいう「忌中」)、Nedaさんの家ではそれが行なわれた形跡もない。(遺体、およびご葬儀というか埋葬については、あちこちで話が食い違っているので、ここではスルー。)

そんななか、唯一、これは「確実」だと思われる言葉が発表された。ブラジルの小説家、パウロ・コエーリョのブログだ。

「ノンフィクション」が書かれているはずの新聞より、「フィクションライター」のブログのほうが「確実」に思えるというこの現実。

独裁や圧政に対抗する立場での言論を重ねてきたコエーリョは、今回のイランの事態には思わぬ形で関わることになった。テレビを見ていたら友人が画面の中にいたからだ。彼は当初、それが友人だと信じようとはせず、確認のためにメールを送ってみることにした。コエーリョが問い合わせのメールを送信したのが日曜日の夜だった。返信は数時間後、日付が月曜日になってほどなく来た。

http://paulocoelhoblog.com/2009/06/26/the-doctor/
Date: Mon, 22 Jun 2009 02:05:05 -04:00
Subject: your country
6月22日(月) 05:05 (時差-4時間)
件名:あなたの国

親愛なるパウロ
私は今テヘランにいます。Nedaの殺害のビデオは私の友人が撮影したものです。私が写っているのがあなたには確認できるでしょう。彼女を助けようとしたけれど失敗した医師が私です。彼女は私の腕の中で死にました。これを書いている今も涙が止まりません。私の名前は出さないでください。また連絡します。
愛を込めて
アラシュ


ここでコエーリョは問題のビデオ(Nedaさんのビデオ)を自分のブログに掲載した。

返信を受け取った日、コエーリョは医師に連絡を取ろうとするがうまくいかなかった。一度は、電話に応答した人が「こちらはCNNの記者ですが」と言ったという。(こわすぎる。)

Monday 22 17:46
22日(月)17:46

親愛なるアラシュ
現状、何も連絡がないのだが、あのビデオを私のブログに掲載してから世界中に広まったようだ。NYTもガーディアンもナショナル・レビューもビデオを掲載している。

となると心配なのは君のことだ。頼むから、このメールに返事をしてほしい。無事だという返事がほしい。それから、本当に本人が書いていることがわかるように、2001年の大晦日を一緒に過ごした人の名前も書いてほしい。きみの携帯に電話をしたらCNNだという人が出たのだが信用できない。

返事がない場合は、君の名前をマスコミに公表することにするかもしれない。君を守るためだ。今の時点では、誰なのかが見えるようにすることしか君の身を守る方法がない。私自身がかつて良心の囚人だったから、こういえるのだ。

……(略)……


コエーリョはこのメールを、何人かの信頼できる友人にBCCして、医師の返事を待つ。

医師の返事があったのは、火曜日の午前1:35のことだった。「今は大丈夫。自宅にはいない。CNNのことは知らない。大晦日に一緒にいたのはフレデリック」という内容の短いメールに続いて、もう一通、「明日の朝、この国を離れる手配をしている。午後2時までにロンドンに到着しなかったら何かがあったということになるが、それまでは待ってほしい」というメール。(そこには医師の家族の居場所なども書かれている。)

そして24日(水)の午後2時前、アラシュ・ヘジャジ医師はロンドンに到着した。

彼はイランの人で、テヘランで一般医として仕事をした経歴を有する。一方で評価の高い小説家でもあり、現在は出版の仕事をしている。コエーリョにとっては現地での通訳者という関係。(コエーリョのほか、クンデラなどを担当しているそうだ。)

彼は現在は英国の大学院で勉強しているので、テヘランからロンドンに「戻る」ということになったが、少なくともしばらくはテヘランには戻れないだろう。

ウィキペディアのエントリ:
http://en.wikipedia.org/wiki/Arash_Hejazi
※コエーリョが考えているとおり、目立つ存在にしておくことで生命が守れるのならば、それに少し協力したいので、ウィキペディアにリンクをはっておく。みなさんもどうぞ。



医師が英国に「戻って」からのBBCのインタビュー:

http://www.youtube.com/watch?v=eKodH_E5T94


たまたまテヘランに戻っていたら、事務所の近くで抗議行動があったので見物に出た。警察から催涙弾が打ち込まれるなどして通りの先まで移動した。群集の中にはネダさんと彼女の音楽の先生もいた(当初「父親と娘」に見えたとのこと)。

(これはBBCの記事にあったのだが、ネダさんと音楽の先生は、車で移動中に渋滞にはまった形になり、ちょっと外の空気を吸おうと車外に出て様子を見ていたらしい。)

医師はネダさんたちとはまったく面識はなかった。医師は銃声を耳にした。同行していた友人と「今の音を聞いたか」、「プラスチック弾だろう」と話してふと振り返ると、女性が胸から血を流していた。彼女はびっくりして自分の胸を見下ろしていた。そして崩れ落ちた。医師たちは彼女のもとに駆け寄った。あとは撮影されている通り。

彼女は検死解剖されずに埋葬され、イラン政府は「銃弾は群衆の中のテロリストが放った」(政府は一連の事態を、イランに昔からいるテロ組織の仕業としている。国営メディアによると、大学を襲ったのもその組織、「暴徒」を煽動しているのもその組織だそうだ)とか「背中から撃たれていた」とか言っているが、医師は「銃弾は正面から入っていた」、「銃弾は貫通していなかった」と語る。

彼女が撃たれ、現場は大混乱となったが、医師は銃声は前方から聞こえてきたことをはっきりと記憶している(医師たちもネダさんたちも同じ方角を向いて立っていた)。当初、医師は屋根の上から撃たれたかと思ったが……このあとはちょっと私には信じられないような内容なので、テクスト化は避けます。あまりの内容に、自分が正しく聞き取れているのかどうかがわからない。

医師はネダさんを運んでいった車には同乗せず、事務所に戻った。

インタビューの後半:
http://www.youtube.com/watch?v=_Q3z2UqIhzw


ネダさんの手当てをした医師は、手についた血を洗い流しながら、彼女は人ごみの中にいて、自分からほんの数歩しか離れていなかったこと(誰にでも起こりえたということ)、何も言う間もなく絶命したことに戦慄する。それからしばらくしてテレビを見ていたら、自分が画面にうつっていた。(うは。)

医師はあれを目撃したことで集会の自由、言論の自由を守るというイラン・イスラム共和国の建前を疑うよりなくなってしまった。

「これは戦争ではなかった、これはコラテラル・ダメージではなかった、これは犯罪だった」とインタビューで医師は言う。「非武装で、そこに立ってただけの人が、理由も、誰がやったのかもわからぬうちに撃ち殺された」。

政府は彼女の追悼の儀式を禁止(どのモスクでも許可されない)。事件翌日、ネダさんが撃たれた現場(医師の事務所近く)にいた人たちはバシジに散らされ、彼女の死はなかったことにされている。

先週の土曜日までは、集会は声をあげず、何もせず、沈黙のうちに歩くだけというものだった。それが否定された。

インタビュアーが「あなた自身イランに戻れるのか」という方向の質問をすると、医師は明らかに当惑して、「システムの中にいればわかると思うが、こうなってしまった以上、あれこれいろいろなものが私に付け加えられる」、「わたしはこれまで、基本的人権という当たり前のものに関する以外は政治には関わったことはなかった」。

最後に医師は、「アンチ・ライオット・ポリスは催涙ガスなどは持っているが、人に向けて銃を使ったりはしていない。それをやっているのはバシジ(民兵集団)だ」と語っている。



アムネスティ・インターナショナル:
「イラン : 民兵組織バシジを使ったデモ取り締まりを止めよ」
(2009年6月22日)
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=674
……民兵組織バシジは、イスラム革命防衛隊(IRGC)の支配下にある男女の志願者で構成される準軍事組織である。学校、大学、政府および民間機関、工場そして部族内にもこの組織の隊員は存在している。バシジ部隊は、法と秩序の維持および反対意見の抑圧のために広く利用されており、行き過ぎた残虐行為によってしばしば非難されてきた。

最近デモに参加した者の多くが、民兵組織バシジの隊員と思われる私服で武装した者が、街頭デモの参加者に対し過剰な武力を行使したり、殴打や銃器の使用を含む人権侵害を行ったと訴えている。当局は、少なくとも8人が死亡した6月15日のデモの際、バシジが使用している建物からバシジの隊員が発砲している姿を映したビデオをきっかけに、直ちに調査を行うべきであったし、さらなる犠牲者を増やさないための明確な指示も出されてしかるべきであった。また、ネダという若い女性がおそらく胸に負った傷のために亡くなる姿が映っている別のビデオは、バシジ隊員が関与しているという主張とともに広まっている。

イラン当局の反応は、死亡の状況を解明するために適切な調査を開始するというものではなく、抗議活動には、イスラム革命防衛隊、民兵組織バシジおよびその他の警官や治安部隊によって「革命的な方法」で対応するという警告を、さらに発することであった。……


Twitterで回ってきたので読んだ大手メディアの記事によると、バシジはけっこうな高給で雇われて、別の町からやってきているとのこと。こういうのはビルマでもチベットでも聞きましたね。弾圧が行なわれるその土地とは縁のない人員を投入し、ある意味遠慮なく弾圧させる、という。



24日だっけか、国会議事堂前のスクエアでの待ち伏せ作戦で抗議行動が壊滅させられた(としか考えられない)ときには、バシジは銃ではなく棍棒や警棒の類で人々を殴り、それも歩いている人は無差別に殴るという形で、銃は警告・威嚇でしか用いられていないらしい。「殴る」といってもそうとう滅茶苦茶なようで、病院で手当てが必要な負傷をしている人が大勢いるが、病院は民兵が詰めていて「怪しい負傷者」はチェックしており、病院でそのまま身柄が拘束されている事例があるので、デモ隊の人たちは病院にはいけない。だからここ数日、「一部の外国の大使館が負傷者の受け入れ」ということをやっているのだが、その情報を記したウェブページもさっき書いたのと同じく、ページにアクセスしたIPをチェックしてるとかなんとか……。

誰にでも見える「サイバーウォー」はこんな程度ですが、見えないところでは、上にひいたコエーリョの文章のように「CNNの記者」が出てきたり、ということがあるので(コエーリョがかけた電話が医師にはつながらなかった、という意味だと思います)、決して甘く見ないようにしてください。

※この記事は

2009年06月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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