kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年06月26日

24日のガーディアン、live blogの内容

もう古いんですけど、24日のガーディアンのlive blogの大まかな内容を日本語化したものを貼り付けておきます。半分まではTwitterに流したんだけど、途中からそういうふうに流す感じでもなくなって、Twitterでは見合わせたもの。繰り返しになりますが、内容としてはもう古いので(続報が出ているものもある)、第一義的には、英語でウェブを見てればこのくらいの情報が普通に流れている、という点の参考資料という感じになるかもしれません。

The Guardian: Live blog (24 June)
http://www.guardian.co.uk/news/blog/2009/jun/24/iran-crisis

7.45am: 英国時間で23日夜から24日朝にかけての出来事。弾圧をオバマが強く非難/保守派大統領候補モフセン・レザイが選挙結果に対する申し立てを撤回。「今は選挙よりsecurity situationが重要」/Kayhan紙( http://en.wikipedia.org/wiki/Kayhan )がムサヴィ逮捕を呼びかける

8am: 23日のオバマの記者会見でハフィントン・ポストのNicoが質問した件。詳細は割愛。ガーディアン記事ご参照のほど。

8.25am: テヘラン警察、「動乱」の本拠地を捜索し「首謀者」を逮捕したと国営テレビで主張/HRW調べ、やることがいちいちひどいというサイード・モルタザヴィが検察トップとして、逮捕された改革派の調べに当たることに。詳細はガーディアン記事ご参照のほど。

8.40am: 米保守系シンクタンクAEIがGoogle mapを利用して情勢まとめをオンラインに。詳細はガーディアン記事ご参照のほど。

9.20am: 23日に撮影されたというビデオ、警察と軍が出動している。ペルシャ語話者からのコメント「ビデオの2分ほどのところで群衆から上がる声は軍人に対し『ご支援よろしく、ありがとう』。場所は、植生からみてカスピ海沿岸かもしれない(テヘランではない)」

9.35am: イランのモッタキ外相が、今週イタリアで開催されるG8サミットに出席する予定はないと明言/米国、4年ぶりにシリアに大使を送ることに。

10.20am: ムサヴィ候補夫人のザーラ・ラフナヴァードが、抗議継続と拘束されている人々の釈放を求める/明日(木曜日)、追悼の集会が予定。

10.40am: 最高指導者ハメネイ師、「選挙をめぐるプレッシャーには屈さない」(ロイター報道)※これはBBCなどでも報道されていました

10.50am: salon.comに「テヘランの17歳の学生が警察にひどく殴られた」ことについての記事(salon.com記事のURLはガーディアンをご参照ください)

10.55am: カナダ政府、カナダ国籍も有するジャーナリスト(ニューズウィークで仕事をしている)の即時釈放を要求。(カナダは首相の声明も非常に強い調子のものでした)

11.25am: 人権侵害についての活動を行なってきた弁護士シリン・エバディさんが、殺害されたNedaさんのご家族の代理人となることを申し出る(これも既にtweet済)

12pm: テヘランで抗議行動参加者が集まり始めている。ひとりの女性がアルジャジーラの電話で、民兵の一部が前の集会でVサインを示したりしていた、今日は治安当局が多いが私はひるんでいない、と語った。

12.15pm: HRA IRANが、逮捕された学生たちの詳細を。 http://bit.ly/4mmd93

12.20pm: イラン当局と国営メディアが、Nedaさん殺害後の現象にカウンター攻撃。ロバート・テイト記者いわく「Jomhouri Islamiという新聞は、Nedaさんを撃ったのはMKOのスナイパーだ、MKOはデモで生じた治安の悪化を利用したのだとしている。政権支持のJavanという新聞は、BBCのジョン・レイン記者が暴れ者を雇ってNedaさんを撃たせたのだ、ドキュメンタリー映画を作るためだと主張している。また政府は病院に対し、撃たれて死亡したとする死亡証明書を出すことを禁止している」

12.30pm: 最新映像を一本に編集したクリップ。いろいろな日にいろいろな場所で撮影された映像がある(先週の夜間のイスファハンでのBasijの急襲など)

12.55pm: 「イラン国際人権キャンペーン」がまとめた死者・逮捕者リスト http://www.iranhumanrights.org/2009/06/list/

1.03pm: テイト記者「ある人の投票体験記」。ひげが伸び、まるで民兵か私服のような外見の男性が投票所に行ったらチェックがゆるく、1人が何度でも投票できる状態だった。

1.40pm: ついったー報告入る。逮捕された人の家族など数百人が革命法廷のところに集まっている。バハレストン広場で衝突・催涙ガス。

2pm: イランの新聞が「Nedaさんを殺したのはBBCのレイン記者だ」、みんなが「な、なんだってー」の件でフォトショ職人の腕がうずいた。ガーディアン記事参照。

2:10pm: 女性が撃たれたと報告があるが確認の術がない/イラン当局は依然として英国が悪いと言っていて、情報大臣がBBCペルシャ語放送を責める発言。

2:20pm: Nedaさんが撃たれた現場に居合わせた医師の友人であるパウロ・コエーリョと、医師とのメールが、コエーリョによって公開された。医師は既にイランを離れている。

2:50pm: バハレストン広場で負傷者が出ているとのtweetが出ている。(ただしこの数時間後のABCのジムさんのtweetでは、今日は死者の確定の連絡がないという)

3.00pm: 抗議行動の場所&病院の場所 on テヘランの地図。逮捕者多数、銃声、ヘリ旋回との報告(未確定)

3.32pm: Roozonlineというペルシャ語のメディアに私服民兵インタビュー。英国の基準で見ても高給。要約すれば、出稼ぎに来ている。(立場を変えれば「義勇兵」)

3.45pm: YouTubeの映像。制服警官が人々を殴打している。日付・場所不明。

3.49pm: 別のYouTubeの映像(流血注意)。男性が撃たれて倒れている。銃声のような音。月曜にこの映像を見たという人がいるので週末の映像か。

3.55pm: カルゥビ候補が木曜予定の追悼デモを中止。スポークスマン「カルゥビのような人物でも葬儀を行なえないのが現状、残念」

4.08pm: CNN電話取材、バハレスタン広場から。興奮状態で非常に早口。証言内容「友人と一緒に広場に向かった。特定の候補者の支持者だけでなくあらゆる人たちがいた。私は友人たち全員で、殺戮に反対し自由を要求すると表明するために出かけていった。黒い制服の警察が全員を止めていた。…略…突然、棍棒を持った500人もの人たちが(聞き取れず)モスクから出てきて誰彼問わず殴り始めた。…以下、すさまじい暴行の描写が続くが、略…

4.45pm: 今日のテヘランの抗議行動の映像。声は「独裁者くたばれ」。

5.07pm: 政治の面での展開、この時点での最新情報。保守派大統領候補のモフセン・レザエイ(元IRG司令官)が、選挙結果についての申し立てを取り下げた。/改革派の新聞2紙が、抗議行動参加者への攻撃に反対したイラン国会議長のアリ・ラリジャニが議会内のアハマディ支持者から猛反発を受けていると報じている。/エテマド・エ・メリの報道によると、カルゥビがイラン国営放送のトップに「抗議行動に関して偏った報道をしている」ことを批判する公開書簡を送った。カルゥビいわく、アハマディ陣営のは「古く反動的なイスラームであり、つまりタリバン型のイスラームである」。「国営があてにならないからこそ、人々は外国のソースに頼って真実を知ろうとする」。

5.10pm: 米ネオコンの動きについて、ガーディアンCiFに記事が出ている。

5.14pm: ガーディアンCiFに、アシム・シディキが書いている。「1979年にデモをしていた人たちの子供がこんにちデモをしている。1979年のデモ参加者は、ターバンが王冠に取って代わるだけで圧制は変わらないなどと考えはしなかっただろう。…略…」

5.17pm: 米オバマ大統領が、イラン選挙前に、ハメネイ師を独立記念日に招待していたことがわかった(いわゆる「ホットドッグ外交」)。

5.20pm: 現地医学生の証言。「自分が目撃したことを話させてください。大病院の外傷セクションはカオスです。暴動関連の怪我はすべて軍病院に送られることになっていますが、軍病院でない病院も完全にいっぱいで、昨晩はうちの病院で9人が泣くなり、28人が銃で撃たれて負傷しています。…略…政府は遺体をトラックに載せて運んでいて、病院側では亡くなった患者さんのお名前すら把握する間もありません。死者に対する敬意すらない連中にどんなことが言えるでしょう。負傷者に話しかけたり、何らかの情報を得たりすることは厳禁です。今朝、医局全体でロビーに集合して抗議したのですが、平服の民兵と対峙することになりました。民兵は病院を封鎖し、スタッフを閉じ込めました。…略…13歳の子が銃で撃たれて死んでいて、そして遺体はどこかに運ばれてしまう。ご家族にどんなことが言えますか。これはもはや選挙の不正の話ではありません。…略…」

5.27pm: 国営プレスTV(英語放送)が、ムサヴィは今日の国会前ベハレスタン広場での抗議行動(流血事態となった)の組織には関わっていないと述べている、と報道。(ムサヴィのdiscreditを目的とした放送だと思います。本人は姿を現さなかったのですが、私が把握している限りは、事実上の自宅軟禁といえる状態にあるようです。)

5.50pm: マーク・トランの記事が出た。 http://www.guardian.co.uk/world/2009/jun/24/iran-protests-bloody-clashes-khamenei

6.19pm: テヘランの特派員(名前は出さない)から。Nedaさんのご家族の家を昨晩訪問したが、ご家族は引っ越しを余儀なくされたと聞かされた。http://www.guardian.co.uk/world/2009/jun/24/neda-soltan-iran-family-forced-out

7.18pm: 反政権のリーダーエブラヒム・ヤズディの義理の息子で、米国の大学で政治学のメフディ・ヌールバクシュが書いている文章の紹介。長いので割愛。

7.24pm: テヘラン市長が政権に対し、平和的な反政権の集会は許可をと要請した、と国営プレスTVが報じた。

7.33pm: 信頼できる筋からTwitterで、ムサヴィの法律顧問が逮捕されたと伝えられた。これを書いているガーディアン記者は独自にはコンファームできていない。

8.26pm: 米国「ホットドッグ外交」なし。オバマ大統領のロバート・ギブス報道官が語った。

8.34pm: 23日米the Carnegie Endowment for International Peaceでのパネル・ディスカッションのビデオ。

9.46pm: ムサヴィ陣営関連のKalemeh.irというサイトによると、ムサヴィとあった大学教授70人が逮捕された。/未確定情報として、ほかにもムサヴィ支持を表明した大学教授が逮捕されている。


英語圏ではガーディアンだけでなくほかのメディアもlive updateをやっているし、今のように「取材ができない」状態でも毎日、かなりの分量のある記事を2本くらいは出しています。(ただしBBCは、23日からがくんと落としています。外交の問題が非常に微妙な水準になってきているようです。)

日本語化されている情報については、@kobahenさん(小林弘人さん)が、投稿型ニュースサイトを作成してくださっているので、そこを参照するなり、そこに投稿するなりしてご活用ください。
http://iranelection.slinkset.com/

また、Twitterで日本語で情報を流しているアカウントは下記に(完全に網羅しているとは思いませんが):
http://twitter.com/nofrills/status/2344394821

※この記事は

2009年06月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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