kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年06月22日

#Neda

blackribbon.jpg20日から21日にかけて、ネットで世界中に回った映像があります。私は22日のお昼近くになってやっと見ました。ひとりの女性がカメラの前で、口と鼻から血を吐いて死んでゆく光景で、非常に凄惨なものです。YouTubeにありますが、貼り付けません。見たい方は現地情報のニュース系まとめサイトに……あったのですが、それは削除されているので、これとか、それも削除されてたら、"Neda" で検索を。

その女性について、そのニュース系まとめサイトに、目撃者の話が掲載されています。オリジナルはフェイスブックに投稿されたものです。

概要:
At 19:05 June 20th
6月20日、19:05

Place: Karekar Ave., at the corner crossing Khosravi St. and Salehi st.
場所:(カタカナに起こしている時間がないので略)

お父さんと並んで、抗議行動を見ていた一人の若い女性が、一般の民家の屋根の上に潜んでいたBasij(民兵組織)のメンバーに射殺された。狙撃手は女性の胸を直接狙った。

私は医師なので、すぐに駆けつけて手当てをしようとしたが、銃弾は大きな衝撃を与えて被害者の胸の内部で炸裂し、被害者は2分もしないうちに絶命した。

激しい抗議が行なわれていたのは1キロほど離れた大通りで、催涙ガスをまかれたので逃げてきた抗議行動参加者がこちらへと走って逃げてきていた。

映像は、私と一緒にいた友人が撮影したものだ。


女性はグレイっぽいジーンズに、膝上丈の黒い服を着て髪を覆っています。「イランの町」の写真でよく見るような感じのごく普通の女性で、手には何も持っていません。倒れた女性の顔を両手で挟んでいる青い縞のシャツの男性がお父さんで、お父さんも手ぶらなようです。手記をFBに投稿したお医者さんともう1人(か2人)が応急処置をしようとしていますが、見る見るうちに血があふれてきます。

あまりにもひどいです。彼女が何をしたっていうんでしょう。立ってただけじゃないですか。

正直、自分も見ようか見まいか考えてしまった映像で、部外者が見たからといって何がどうなるという映像でもないと思いますが、Twitter上でそれによって人々がまとまっている様子を見ているうちに、見ておこうと思いました。そして、見たらもう本当にやるせない。なぜこんなことが。

彼女はNeda Agha-Soltanさん。27歳で、哲学を学ぶ学生さんだったそうです。Nedaはペルシャ語で「天の声」というような意味だそうです。「殉教者」となった「声」は、Twitter(「鳥のさえずり」というような意味)上でますます大きくなりました。

"Neda" はTwitterのTrending Topicsで広まり、世界中の人たちがそれぞれにお悔やみの言葉を書きました。CNNが記事にしています。
http://www.cnn.com/2009/WORLD/meast/06/21/iran.woman.twitter/

ウィキペディアでも項目になっている。そのくらいのショックだったということです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Neda_(Iranian_protester)

イラン国内のメディアでは、このひとりの女性の死のことは報じられていないそうです。そして、イラン国営メディアは、一連の抗議行動で国家権力によって殺された人たちについて「テロリストだった」と虚偽の説明をしています。それから、逮捕してエヴィン刑務所に放り込んだ人たちを拷問し、具体的な「テロ組織」(米国でテロ組織に指定されている)のスパイであるとの自白を強要している、というレポートも、ペルシャ語話者のtweetで知りましたが、その確証は取れていないので、その「テロ組織」の名前はここでは言及しません。(その組織は、何年も前に武装闘争路線を放棄してるとの理由で、英国では指定解除になっています。)

私が見た(聞いた)Tweetで忘れられないのは、「目を開けたまま逝ったあなたを前に、私は目を閉じたままでいることができない」という(たぶん)英語圏の人のものと、「目を開けたまま逝ったあなたに、何が見えていただろうか」という在外イラン人のものです。

ご家族から提供されたのだと思いますが、Nedaさんの証明写真が、数時間後にウェブ上にアップされました(ウィキペディアにもあります)。ものすごく知的な感じの、涼しげな風貌の女性です。

どんな声をしていたのでしょう、彼女は。世界中で見られているビデオには、彼女の声は入っていません。

#Nedaのハッシュタグは、今では、「イランの蜂起」全体を表すものとしても使われています。

Neda Agha-Soltan (1982 - 2009)

※この記事は

2009年06月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:40 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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