「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月28日

Champions League final: Barcelona v Manchester United

あれから3年……


※この動画は間違えてエンベッドしたわけではありません。

本文はいきなり【続きを読む】でどうぞ。ただし内容的なことは一切書いていません。

FCバルセロナさん、おめでとうございます。マンUさん、今日はカード収集お疲れさまです。



試合終わってからこの、いつも通りに口の悪いガーディアンの実況記事(上の画像クリックで飛びます)を見ててお茶ふいたのが下記:
48 min: Henry goes close, very close, for Barcelona, exploiting the massive John O'Shea-shaped hole that was left at the back when United were dispossessed and caught on the break. Henry galloped up the left channel, cut inside Rio Ferdinand and then shot straight at Van der Sar when he had only the keeper to beat from about 10 yards out.


うちとの果し合い試合@セミファイナルのテキスト実況の余計な茶々の部分で「誰が得点したと思う? なんとびっくり、まさかのオシェイだー!」とか書かれていたオシェイさんは、アイルランド代表でがんばってください。ソルジャーズ・ソングを歌ってあげますから。



……あれ、何か変だよ。

で、上記の「オシェイさんの形の穴」の直後のシーンの写真が、BBCの写真集にあるこれなんだけど、1) ユニフォームの色が見慣れないだけでやたらと見覚えのある光景である、2) 5秒ほど見ていると、脚の長さの感覚がおかしくなる。

試合終了後に最初にアップになったリオの顔が「怖い顔」になってました。

ついでながら、TwitterでtrendingのところにMANUとあるので:
http://en.wikipedia.org/wiki/Emmanuel_Petit





って、無理やりこっちの話にして投稿しようとしたら、こんな新着情報が。

Alisher Usmanov is now an indirect backer of Facebook http://bit.ly/NwSbB

http://twitter.com/bloggerheads/status/1939899836


やな名前見せられたので口直し。


※この記事は

2009年05月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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