kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月22日

【訃報】ウィリアム・ムーア(シャンキル・ブッチャーズ)

直接的に死亡を報じる記事には気付かなかったが、葬儀で一悶着あったという記事で死亡を知った。(ナショナリスト側の新聞を毎日見ていれば死亡の記事に気付いていたかもしれないが、私が見ているのは英国のメディアなので……さすがに、この人物のことを積極的に大きく取り上げたがる英国/ユニオニスト側のメディアはないと思う。)

ロイヤリストの暴力の歴史の中でも最悪の部類に位置付けられる「シャンキル・ブッチャーズ」(→先日、NIFAQで書いた)のひとり、ウィリアム・ムーアが60歳で死んだらしい。で、その葬儀を取材に来ていたカメラマンが会葬者(といってもUVFの人たちだが)に殴られたらしい。

Press man beaten at UVF funeral
Page last updated at 18:03 GMT, Thursday, 21 May 2009 19:03 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8062506.stm
※注:記事に、逮捕後に警察が撮影したムーアの顔写真つき。この顔だけでシャンキル・ブッチャーズの事件が連想される人にとっては、ちょっとした精神的ブラクラとして作用する可能性があります。(私がそうですが。)

記事によると、ムーアは日曜日に自宅で死亡しているのが発見された。BBCのこの記事を見てから探してみたベルファスト・テレグラフの記事(18日月曜日付)によると、警察はムーアの死について事件性はないと見ているが、シャンキル・ブッチャーズが猟奇的な連続殺人を開始する1年前の1974年にベルファストで発生した拉致・殺人事件について、過去の(「紛争」時代の)未解決事件を調べているHET (Historical Enquiries Team) がムーアに事情を聞こうとしていた矢先のことだったという。

「シャンキル・ブッチャーズ」は先日書いた通り:
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/118638212.html
1970年代にベルファスト(のカトリック・コミュニティ)を震撼させた連続殺人集団。人を殺すことを楽しんでいたとしか考えられない殺害方法で、少なくとも19人の一般人を殺した。「北アイルランド紛争」という背景がなければただのシリアル・キラーだ。

シャンキル地域で育った彼らは、地域のオレンジ・オーダー関連の組織にもUVFにも属しており、「UVFのメンバー」として、そこらへんにいる「カトリック」をランダムに狙って拉致しては、精肉店で使う刃物を使うなどして非常に残虐な方法で時間をかけて殺すということを重ねていた。被害者は、法廷で彼らが被告として裁かれた事件だけでも19人、全員がカトリック・コミュニティの一般人(武装組織のメンバーではない人たち)。

詳細は下記などで:
http://en.wikipedia.org/wiki/Shankill_Butchers

ウィリアム・ムーアはこの集団の中心人物のひとり。彼は肉屋で働いていて(つまり、本当に「ブッチャー」だった)、被害者をなぶり殺しにするための刃物を積極的に調達していたほか、ブッチャーズのリーダーのレニー・マーフィーが武器の所持でパクられて起訴され、有罪判決を受けて服役している間は、ブッチャーズのリーダーとして殺戮を続けた(これは、マーフィーが投獄されている間も殺人が続けばマーフィーがリーダーだということがわからないだろうという悪知恵でのマーフィーの指示によるもの)。なお、レニー・マーフィーは出所後にリパブリカンに殺されたが、それは「リパブリカンの情報網がすごくて居場所がばれた」というより、マーフィーのあまりの蛮行に手を焼いたUVFがかんでいたと考えられるとベルテレさんの記事にある。ただ、この記事は決定的なエラーがあるので(マーフィーはIRAではなくINLAに殺されているのだが、記事には「IRAが」とある)、話半分で。

ムーアは19件の殺人で起訴され、11件の容疑を認め、終身刑を14回分申し渡されたが、1998年の和平合意(グッドフライデー合意)の規定どおり、「紛争」による「政治的暴力」の行使で有罪になった人物として、(名目上のものではあっても)刑期を満たすことなく出所した――判決では「最低でも35年」とされていたが、20年足らずで出た。

ベルテレ記事から:
The trial judge, Mr Justice O'Donnell told him: "You pleaded guilty to 11 murders carried out in a manner so cruel and revolting as to be beyond the comprehension of any normal human being.
オドネル判事は彼に次のように告げていた。「被告人は、11件の殺人で有罪と認めています。それらの殺人は、あまりに残酷でひどい方法で行なわれており、ふつうの人間にはまったく理解できないほどです」

"I'm satisfied that, without you, many of the murders would not have been committed... I see no reason whatsoever, apart from terminal illness, why you should ever be released."
「被告人がいなければ、あれらの殺人事件の多くが起こることはなかったと私は確信しています。末期的な病の場合を除いて、いかなる理由であっても被告人の釈放はなされるべきではありません」

The judge added that if Moore was ever released it should not be for at least 35 years.
そして判事は、もしムーアが釈放されることがあるのなら、少なくとも35年後だと付け加えた。


最近はギャング活動(麻薬売買など)を行なっていたらしい。こんな人物でもUVF所属だからGFAの規定は適用されたし、死んだらUVFのメンバーたちが集まって葬式をする。

なお、葬儀で殴られた写真家について詳細は記事ではわからないのだが、現場に居合わせた北アイルランド報道写真家協会の会長でもあるアラン・ルイスさんの話では、殴られた人は望遠レンズで車の中から撮影していたとのこと。

ルイスさんは、以前もこのブログで言及したことのある下記ページの写真の撮影者。
http://www.culturenorthernireland.org/article.aspx?art_id=1918

※この記事は

2009年05月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼