kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月21日

アイルランド共和国で、教会による児童虐待についての報告書が出た。

The leader of the Catholic Church in Ireland, Cardinal Sean Brady, said he was "profoundly sorry and deeply ashamed that children suffered in such awful ways in these institutions".

...

"It documents a shameful catalogue of cruelty: neglect, physical, sexual and emotional abuse, perpetrated against children."

http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8060442.stm

この前にショーン・ブレイディ枢機卿のお名前を拝見したのは、ロイヤリスト武装組織UDAの政治部門であるUPRGとカトリックの宗教指導者が初めて会談したという、北アイルランドの紛争解決の最終局面(ロイヤリスト武装組織の武装解除)についてのニュースだったが、今日は何ともつらいニュースである。

20日、アイルランドの「クリスチャン・ブラザーズ (the Christian Brothers)」の運営の教育施設での子供たちに対する虐待についての調査報告書が発表された。この調査はアイルランド共和国政府によって2000年に開始され、調査の対象時期は1936年にまでさかのぼる。つまり、「児童虐待の被害者」が60歳を軽く過ぎてからようやく、「教育施設で何が行なわれていたのか」が明らかになったということだ。ここでの精神的・肉体的虐待の被害者は、何千という単位で数えるほどの人数にのぼっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Commission_to_Inquire_into_Child_Abuse

しかしながら、虐待の事実が公に認められても、虐待の加害者は訴追されるどころか、名前も明かされない。報告書には、加害者の名前も被害者の名前も記されていない。調査開始後の2004年に、クリスチャン・ブラザーズが法廷の場で、「調査委員会は、生死に関わらず、ブラザーズのメンバーの名前を明かさない」という結論を勝ち取っている(その背景は私にはわかりませんが)ことが、この報告書に加害者の名前が記されないことの一因である(source)。

BBCでは、虐待被害者の団体の人たちがこの報告書の発表の記者会見場から締め出されて少々もめている様子をとらえた写真をトップページに掲示して、被害者の方々の怒りを伝えていた。(最初に「報告書が出た」という報道があった段階では、資料写真と思しき聖母像の写真だった。)



BBC Northern Irelandでも。



「1954」の文字のあるTシャツの男性の左側にいる青いシャツにジャケットの男性は、被害者団体のスポークスマンのJohn Kellyさん。右側のチェ・ゲバラTシャツの男性も被害者団体の方だ。BBCのこの記事にエンベッドされている映像(建物の外での被害者団体の記者会見)で、それが確認できる。

この件での記事は、上に貼り付けたkwoutでのキャプチャ画像(画像内で記事リンクをクリックすると、記事に飛びます)にもある通り、BBCだけでいくつも出ているが、この報告書の内容を1分で読めるような箇条書きにしてあるのが下記。
Abuse report - at a glance
Page last updated at 14:52 GMT, Wednesday, 20 May 2009 15:52 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8059973.stm

折檻・体罰、精神的な虐待(言葉など)、性的な虐待、ニグレクト(食事や医療を子供に与えない)はブラザーズの施設では常態化しており、調査委員会で証言を行なった被害者の多くは、数十年が経過した今もその傷をかかえている。当時、施設を見回りに来た調査官は子供と話をすることはほとんどなかった。

よりショッキングなのは下記の記事。

Irish church knew abuse 'endemic'
Page last updated at 17:46 GMT, Wednesday, 20 May 2009 18:46 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8059826.stm

こういった施設は1980年代まで活動しており、施設に収容された子供の数は35,000人ほど。この調査を行なった委員会で身体的虐待、性的虐待があったと証言した被害者は2,000人を上回る。5冊から成るこの報告書で明らかにされたのは、カトリック教会は体罰を推奨しており、また「自己保身の為の秘密主義」により、会の内部にいるペドファイルは逮捕されないように守っていたということ、政府調査官は体罰やレイプ、辱め(他の子供たちの見ている前での体罰や、何かに違反したときの丸刈り)を止めようとはしなかったということ、など。

そして:
The commission said overwhelming, consistent testimony from still-traumatized men and women, now in their 50s to 80s, had demonstrated beyond a doubt that the entire system treated children more like prison inmates and slaves than people with legal rights and human potential.

虐待の傷を抱えている人たちには男性も女性もおり、現在は50代から80代になっている。彼らの証言は圧倒的で人による違いもなく、システム全体が子供たちを、法的な権利と人としての能力のある人間というよりは、囚人や奴隷のように扱っていたことを如実に示している、と報告書は述べている。


映画『マグダレンの祈り』(→米国版だと思うけど予告編)で克明に描写された「堕落した女」のための、マグダラのマリアをシンボルとした「改悛のための労働を行なう施設(矯正施設)」のことが思い出される文章だ。レイプされた女の子や、未婚の母となった女の子、美しくて男性の興味をひきつける女の子が閉じ込められ、シスターたちからの身体的・精神的な虐待を受けながら、ひたすら洗濯という労働を行なう収容施設。

マグダレン・アサイラムの存在が脚光を浴びたのは1993年だった。ダブリンの修道女会が不動産業者に売った土地に、155体もの遺体が、ただ埋められていたのが発見された。1998年には英チャンネル4がかつてこれらのアサイラムにいた人々を取材し、ドキュメンタリーを制作。この番組を見て衝撃を受けたピーター・ミュラン(俳優でもある)が脚本を書いて監督したのが、2002年の映画『マグダレンの祈り』だ。(なお、この映画は大筋は事実に基づいているが、実際のストーリーはフィクションである。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Magdalene_Asylum

マグダレン・アサイラムはアイルランドのいろいろな場所にあった。コークの同施設の跡地(誰もいなくなって放置され、数年前に火災にあってさらに放置されている)を訪れた人が、かなり丁寧に撮影したホームビデオが、YouTubeに上がっている。

Magdalene Laundry - Cork
http://www.youtube.com/watch?v=NbPyvF9fnhg


いかにもヴィクトリア朝のゴシック・リバイバル+赤レンガの大きな建物だが、住居棟は窓の位置は高く、採光はよくなく、廊下は幅が狭くて窓らしい窓はなく、息がつまりそうな空間だ。

カトリック教会の修道会・修道女会が運営する施設での虐待は、このように、ほかにも数多く存在しているが、今回の報告書の「クリスチャン・ブラザーズ」の施設は被害のひどさという点で他を引き離しているという。

クリスチャン・ブラザーズが運営するindustrial schoolsが設立されたのは1868年で、「誰も面倒を見る者のいない子供たち」を引き取るための施設だった。それから50年ほど経過した1921年12月のアングロ・アイリッシュ条約でアイルランド自由国が成立し、1937年には新憲法施行でアイルランド共和国となるのだが、英国から独立した地位を得た国家は、教会のやることには口を出そうとしなかった。(このことは、カルヴァン派の厳格なプロテスタンティズムが強い北アイルランドの「宗派としてはプロテスタントである住民たち」の疑念を増した、という形で、北アイルランド紛争にとっても重要な役割を果たしている。)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/8058821.stm
この記事の内容を伝えるBBCのニュースクリップ(当時の資料映像あり)

この記事によると、クリスチャン・ブラザーズのindustrial schoolsは、1980年代後半に閉鎖されるまで、35,000人が入学させられた。虐待の被害にあったという人々がおおぜい名乗り出ている。

記事は、BBCのダブリン特派員が3人の虐待被害者(60代の男性2人と、70代の女性1人)に話を聞いてまとめたものだ。

3人ともが、カトリック教会を信じるという気持ちはなくなってしまったと語っている。

リムリックで親のいない子供だったトマス・ウォールさんは、わずか3歳のときに、刑事法廷によってクリスチャン・ブラザーズの矯正学校に送られた。ブラザーズによるウォールさんへの性的虐待は、8歳の時に始まった。

同じくリムリックの孤児だったトム・ヘイズさん(現在は北アイルランドのアーマー州在住)も同じ施設に送られ、ブラザーズによってではなく夜間の寮の監視を任されていた上級生から性的虐待を受けた。そのことについてブラザーズに相談すると、上級生に締め上げられた(つまり、「チクった」ということでリンチにかけられた)。ヘイズさんは「自分はキリスト教徒だが、カトリックではない」と言う。

ダブリンで働いていたセイディ・オマーラさんは15歳でマクダレン・ランドリーに送られ、4年に渡って精神的虐待にさらされながら過酷な労働を強いられた。彼女のお母さんは未婚の母だったが、セイディさん自身は自分がランドリーに送られた理由はわからなかったという(つまり、何ら心当たりはなかった)。お母さんが亡くなったことも告げられなかった。

トマス・ウォールさんは60歳を過ぎているが、今なお額にはブラザーズによって壁に頭を打ちつけられたときの傷跡が残り、鏡を見るたびにそれを目にする。彼は自分がなぜそのような暴力を受けるのかわからず、そのことを別のブラザーに告げたが、何ら対策はとられなかったと述べている。そして、施設で体験させられたことによって精神的に深い傷を負い、他者を信じたり関係を築いたりすることができない。

3人とも被害者団体 (the Alliance Victims Support Group) のメンバーで、真実が明らかになることを、つまり修道会が身体的・性的・精神的虐待を自身が運営する施設で行なっていたことを認めることを、望んでいる(それ以上のことを、ではない)。そして国家によって、彼ら施設に入れられていた人々が犯罪者ではなかったということが明言され、国家は弱い立場にあった人々を守るという法的責務を果たすべきであったということが認められることを望んでいる。



ウィキペディアでの参考ページ:
http://en.wikipedia.org/wiki/Congregation_of_Christian_Brothers
http://en.wikipedia.org/wiki/Abuse_by_priests_in_Roman_Catholic_orders
http://en.wikipedia.org/wiki/Sexual_abuse_scandal_in_the_Congregation_of_Christian_Brothers
http://en.wikipedia.org/wiki/Commission_to_Inquire_into_Child_Abuse

ただしこのようなセンシティヴなトピックは、単なる事実関係(何年何月何日にどのような報告書が出た、など)以上の部分は、ウィキペディアでは難しいです。ウィキペディアでなくとも、ウェブでは厳しいです(特に「誰が書いているか」をどう判断するかが難しく、ウェブ上には書かれないことも多いと思います)。

報道されていることよりもっと深い部分を知りたい人は、報告書のサマリーがPDFで公開されているので(上にURLを書いたBBCのat a blanceの記事文中にリンクがあります)、それを見て、それでも足らない部分がある場合は研究者が書いた本や論文を探してください。「北アイルランド紛争」でも結局は研究者や調査報道専門のジャーナリストが書いた本や論文を参照しないとわからないことがたくさんありますが、教会の問題は「紛争」以上に微妙です。

それから、今回の「クリスチャン・ブラザーズ」とは別に、Fernsの司教区での児童虐待についての報告書も2005年に出ています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ferns_Report

なお、私は自分自身が仏教徒であり(宗教としてというより社会的儀式・マナーとしての「葬式仏教」の範囲を超えるものではないのですが)、この問題についてここで書いていることに、宗教そのものがどうのこうのという意図はありません。閉鎖された空間での暴力のひどい事例として、また成文憲法のある近代国家がそれにどうかかわったか/かかわらなかったかの事例として、一応でも、読んだ記事くらいは書きとめておきたいという意図です。それを超える範囲には興味も関心もありません。ただ、これがカトリックの施設で起きていた(そしてそれは、調査が始まるずっと前から知られていたことだった)ということが、北アイルランド紛争においてどのような役割を果たしたのかは、多少の関心はありますが(映画『眠れる野獣』で、「カトリックを攻撃しない」との上層部の方針に納得がいかず歯止めがきかなくなったUDAの実働部隊のひとりが、長年の盟友に向かって「俺の目には見える、統一されたアイルランドってやつが。お前の息子のジョーが司祭に犯されているのが」と言い放つ、などの例があります)。

それから、アイルランド共和国は憲法の前文 (preamble) で「キリスト教精神に基づき」といったことをはっきりと述べている、(あえて言えば)非常に宗教的な国家です。1916年に「ソーシャリスト・リパブリック」として一方的な独立宣言を出し(そしてそれは「暴動」として「鎮圧」された)、1918年から対英独立戦争を戦い、(北部6州を除く26州が)英国からの独立を勝ち取ったのが現在のアイルランド共和国のルーツですが、それが「宗教はアヘンである」的な「ソーシャリスト・リパブリック」ではなく、非常に宗教的な共和国になったことには、大河ドラマめいた「大きな物語」(主役:エイモン・デヴァレラ初代大統領)の背景があるし、あまり語られることのない背景もあります。例えば、映画『麦の穂をゆらす風』で、「ソーシャリスト・リパブリック」という理想を追求するデイミアン・オドノヴァンが教会の神父の言葉に食ってかかり、席を立つ場面とか、昨年だったか、RTEのドキュメンタリーをオンラインで見たのですが、Limerickで成立し、一時は非常にうまく機能していた労働者による「ソヴィエト」政権(最終的には地主・産業資本家につぶされた)のこととか。



25日、午後2時台の追記:
このエントリのはてなブックマークでヘイトスピーチ(と私が断じるもの)が発生していますが、スルーしてください。(一番上は私のツッコミ、その次の段が問題のヘイトスピーチです。)ただし私はあなたがこれをスルーしない権利をも死守します。いみふめい。ぼるてーる。(ヴォルテールのカトリック教会諷刺はすごい。みんなで読もう、『カンディード』。)

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※画像は「ヘイトスピーチ」に関係のない部分はボカシを入れました。また、このページがこのエントリについてのものであることが明示できるよう、このエントリの要旨を端的に投稿してくださっている方のコメント欄はぼかしていません。

Play the ball, not the man. の精神に基づき、はてなのIDについては私のIDを除いてはすべてぼかしてあります。

なお、私がツッコミを入れたら「イギリス」のところは削除され、現在は次のようになっています。(一部ぼかし、伏字にしてあります。)「アイルランド」と「スコットランド」の区別がつけられていないという事例には接したことがありますが、「アイルランド」と「英国」の区別がつけられていない事例は、北アイルランド関連の非常にややこしいところを除いては、見たこともなかったです。

cb2.png
※クリックで原寸大。

※この記事は

2009年05月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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