「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年05月08日

ウィキペディアの「要出典」と、一流新聞のオビチュアリと、ダブリンの大学生。

はてなブックマークで知った、5月7日付けのTechnobahnの記事:
学生がウィキペディアに嘘の書き込み、多数の欧米大手紙がだまされて引用
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200905071952

3月に死去した映画音楽の作曲家、モーリス・ジャールのウィキペディア(Wikipedia)の項目にアイルランド人の大学生がもっともらしい嘘の書き込みを行い、多数の欧米の大手紙がその嘘の書き込みを元にして死亡記事を書いていたことが7日までに明らかとなった。


「アイルランド人の」でお茶ふいたので、少し調べてみた。

Technobahnの記事からもう少し。
 この学生はジャールが死去した翌日となる3月30日に、ジャール自身による発言として「ある人が私の人生は長いサウンドトラックのようだと形容したが、実際、私の人生は音楽そのものであり、音楽こそが私に人生を与えてくれたと」とするまったく嘘の書き込みを行っていた。


んー、この「翌日となる3月30日」は、時差というものを考えたときに微妙だ(ジャール死去の日付は「28日」とする地域と「29日」とする地域があるらしい。後述)。ていうか「翌日」ではもう新聞各紙は記事出した後、みたいにも読める。Technobahnはベースにした記事を教えてくれないから、それが元の記事からの記述なのか(欧州と米州の時差でこういうズレはよくあって、それはニュースを追うときにかなり頭の痛い話だったりもする)、あるいは日本語で書いたときに加えられたことなのかは確認のしようもないのだが……。ただ、ウィキペディア時間で話をするのなら、GMTが前提にはなるか。まあいいや。

ともあれ、Google Newsで "maurice jarre" で検索……おう、すごい数の記事がありそう。

Technobahnの記事で名指しにされているガーディアンと、この学生さんの地元のthe Irish Timesを見てみることにしよう。

まずはthe Irish Timesから。これは「騒ぎを引き起こした」学生さんご自身が寄稿した論説記事 (Opinion) だ。記事タイトルはご本人が書いたものなのか、The Irish Timesの編集が書いたものなのかは不明だが、「ネット上の嘘で露見した怠惰なジャーナリズム」という意味。

Thursday, May 7, 2009
Lazy journalism exposed by online hoax
SHANE FITZGERALD
http://www.irishtimes.com/newspaper/opinion/2009/0507/1224246059241.html

学生さんの説明によると、彼は大学の課題でレポートを書いていたときに(そのテーマが、何度も書いた「グローバライゼーション」で飽き飽きしていた)テレビの画面でSky Newsの画面の下にある「速報」のテロップを見て、「こんなに矢継ぎ早に報道していて、落とし穴になりそうなものはないのだろうか」ということをふと思った。24時間常時ニュースが当たり前の時代に、速報を追うジャーナリストにとって、ネットは生命線だということは間違いないだろうが、ではどの程度ネットに頼っているのか、ということで、ネットに嘘を書いてみたら (internet hoax) どうなるか、やってみることにした。

The global world is connected through the internet, and news reporters are relying on this resource more than ever. I wanted to prove that this was indeed the case, and show the potential dangers that arise.

地球全体が、ネットを通じてつながっている。そして記者はこれまで以上にネットに頼るようになっている。これが本当に正しいのかどうかを検証し、その上で、危険性があればそれを示したいと考えた。


そして――ここでいかにも「アイルランド人」らしい「話の枕」を挟んで――数日待ったあとで、絶好の機会をとらえた。3月30日未明、モーリス・ジャールの死が、Sky Newsの速報で報じられた。シンプルなことを、最高のタイミングでやる、というのが彼の戦略だ。速報テロップを見て即座に彼はウィキペディア(英語版)の「モーリス・ジャール」のページに行き、「編集」ボタンをクリックして、問題の「嘘」を書き込んだ。

"One could say my life itself has been one long soundtrack," I wrote into the Wikipedia entry. "Music was my life, music brought me to life, and music is how I will be remembered long after I leave this life. When I die there will be a final waltz playing in my head and that only I can hear."

This was a totally fake quote and neither Maurice Jarre, nor anyone else, has ever been on record as uttering these words. ...

「わたしの人生そのものがひとつの長いサントラだった、と言ってよかろう」とぼくはウィキペディアに書き込んだ。「音楽がわたしの人生だった。音楽のおかげでわたしは生きることができた。そして音楽でこそ、わたしはこの一生を終えた後も人々の記憶に残るであろう。わたしが死んだとき、わたしの頭の中では最後のワルツが流れているだろう。そしてそれは、わたしにしか聞こえないものだ」

これはまったくの作り事で、モーリス・ジャールであれ誰であれ、このような発言をしたという記録はない。……


……よくもまあ、こんなにもっともらしい嘘の文面を即座に思いつけるものだと感心するしかない。明日にでも英労働党のスピンドクターになれそうだ。(ちょうどデレク・ドレイパーがクビになったし。)

学生さんは「IPユーザー」で、彼がこれを投稿する1つ前のものとの差分を確認してみると――1つ前のは23:39, 29 March 2009の投稿、彼の投稿は02:29, 30 March 2009だ。書き込みに使われたIPアドレスは、Eircomのものだと確認できる

このときに書き込まれたのは、Quotesのセクション全部。Quotesには普通必要な「出典」の表記はまったくない。
Quotes

Nowadays, if a studio assumes that his film is bad, there is always an executive that gets more nervous than usual and thinks that if they change the music, the film will become a masterpiece.

One could say my life itself has been one long soundtrack. Music was my life, music brought me to life, and music is how I will be remembered long after I leave this life. When I die there will be a final waltz playing in my head and that only I can hear.

When I was 15, I did not know nothing about what concerned the world of music

Soon I worked during twelve years in theater works of the prestigious Theatre National Populaire. It was the best time of my life, the most difficult, the most interesting, the most exciting.

―― 差分のページから。


そして、ダブリンの学生さんが嘘八百の「ジャールの発言」を投稿したわずか2分後には、ウィキペディアでユーザーネームを持っている人が、「要出典」のテンプレを埋め込んでいる

その後は、この部分以外のところでの修正や記述のブラッシュアップをいくつか挟んで、同じ日の6:39(学生さんの投稿から4時間ほどあと)に、Quotesとして投稿されたものに引用符を補うという形式上の修正が加えられ、その後はまたQuotesとは関係ない箇所での修正をはさんで、ユーザーネームのあるウィキペディアンさんによってQuotesがばっさり削除されたのは11:51のこと。偽のQuotesが書き込まれたのが02:29だから、9時間半くらい「真偽不明(=要出典)」の状態で載っていたことになる。

そしてその後また、14:13, 30 March 2009に、Eircomの同じIPから、削除された4件のQuotesのうち1件(「わたしが死ぬときにはわたしにしか聞こえないワルツが」というもの)が、再投稿されている。この後は「要出典」のテンプレが加えられてはいない。

そして日付変わって00:45, 31 March 2009に、おそらくまったくの通りすがりさんだろうが、米国のIPから、Quotesの形式を整えるタグが付け加えられ、15:07, 31 March 2009に「ソースのないQuotesだから」として、ユーザーネームのあるウィキペディアンさんにばっさり削除されている。

しかし、ダブリンの学生さんは同じ日の17:03に、また同じEircomのアドレスから、15:07に消されたばかりのQuotesを書き込んでいる。そしてそれは、また別のウィキペディアンさんによって6分後に削除された。これで終息した模様。

なお、Discussionのページには、今確認できる範囲では、この「偽のQuotes」についてのリアルタイムの議論はない。

うーむ、これはふつうに考えて「ヴァンダリズム」だよなあ。

ダブリンの学生さんの「実験」のあとに、また別のIPユーザーが、文脈にそぐわない主観的な記述を挿入して消され、また挿入したりしているのだが、ダブリンの学生さんのやったことも、形式としては、それと同じことだ。たとえ「学問上の実験」であっても、目的は手段を正当化しない。あれだけしつこく再投稿を繰り返していたら、少なくとも「削除人」の役目をしたウィキペディアンさんたちは腹立たしい思いをしているだろう。

このときに使われたEircomのIPアドレスのユーザーページには、今回の「メディアをひっかけた嘘」の報道を受けて、一連の「偽のQuote」のときに削除人として活動したのとは別のユーザーネームの人が、"It could be called deliberate vandalism or a fascinating experiment by a sociology student or both." (意図的なヴァンダリズムか、あるいは社会学の学生によるすごい実験か、あるいはその両方か)と書き込んでいる。

ダブリンの学生さん本人は、the Irish Timesに掲載されている記事で、「社会科学の実験では人間をモルモット代わりにすることになるので、常に倫理面での問題が付きまとう。他人の評判を汚したいとかいうことは思っていなかったので、書き込む内容も当たり障りのないもの (a general, random quote) にした」、「ブログとか小規模な新聞では自分の投稿した偽のQuoteが使われるかと思っていたが、実際にはイングランドやインド、米国やオーストラリアの堅い新聞があれを紹介していた。高く敬意を払われている新聞が、一次ソースもないようなウィキペディアの記述を使うなんて、とショックを受けた。しかも世界中に広がって」といったことを書いている。(「ウィキペディアのコミュニティに面倒をかけた」という記述は、ここにはない。)

「一次ソースもないものを使うとは」というのはまったく同感だ。しかし、この「実験」で(「実験」というより「罠」だと思うけど)何がわかるのかについては、本気で「実験」だと言うのなら、もっと研究を深めていく必要があることではないかと思う。「(英語圏での仕事が数多く、米国に住んでいたとはいえ、非英語圏出身の作曲家で、既に高齢で、仕事からもとっくに引退していた)モーリス・ジャールが亡くなった」というニュースは、英語圏の「堅い新聞」においてどのくらいの「ニュース」という位置づけであるのか――つまり、どれだけその新聞が「本気」で(時間をかけ、経験と腕のある記者を使い、etc)書いている記事なのか、という要素も入れて考えないと、誤った結論が導き出されそうな気がする。そもそもオビチュアリーでは「取材」はしないのだし(オビチュアリーというものは、一般的に、既に読者にはわかっているであろうことをいかに読みやすく当たり障りのない文章にまとめられるかが勝負であって、取材云々の話ではない。「ジャーナリスト」ではなく「ライター」の仕事だ)、オビチュアリーは「速報」ではない。(「速報」で「ネットを活用」してかなりなことになった事例としては、twitterを利用したムンバイ事件についての速報報道の例@BBCがある。)

学生さんご本人は次のように結んでいるが、これはこのまま「結論」にするのではなく、さらに研究する出発点にしてほしいと思う。(←婉曲に表してみた。)
The issues about the media and quality reporting that this experiment raises requires a whole new article by itself - because the implications are far-reaching. If I could so easily falsify the news across the globe, even to this small extent, then it is unnerving to think about what other false information may be reported in the press.


というところで、Technobahnの記事で名指しにされていたガーディアンのオビチュアリ。


Maurice Jarre
Patrick O'Connor
The Guardian, Tuesday 31 March 2009
http://www.guardian.co.uk/film/2009/mar/31/maurice-jarre-obituary

ガーディアンは、スタッフライターの書いた記事には、記者名にリンクが貼られていて、そこでそのライター(記者)の記事の一覧が出るようになっているのだが、この記者の名前にはそれがない。(ていうか、「騙したのもアイルランド人、騙されたのもアイルランド人か!」でアイルランド成分が濃くなりすぎてお茶がギネスになって、あたしがギネスふいたのはここだけの秘密だ!)

そして記事の末尾には、次のような修正履歴が表示されている。修正点は2点、ひとつは死亡の日付を「29日」としていたのを「28日」に修正したこと(ウィキペディアではソースつきで「29日」になっているが、米国時間で28日、英国時間=GMT=UTCで29日というタイミングだったのだろう)、もうひとつが「偽のQuotes」の件。修正の日付は4月3日だ。(それがなぜ5月の今さら「ニュース」になっているのかというと、ダブリンの学生さんが「私がやりました」と告白したからだ。)
This article was amended on Friday 3 April 2009. Maurice Jarre died on 28 March 2009, not 29 March. We opened with a quotation which we are now advised had been invented as a hoax, and was never said by the composer: ... The article closed with: ... These quotes appear to have originated as a deliberate insertion in the composer's Wikipedia entry in the wake of his death on 28 March, and from there were duplicated on various internet sites. These errors have been corrected.


この件について、5月4日にReaders' editor(読者欄担当)がさらに詳しい検証記事を書いている。

Open door
Siobhain Butterworth
The Guardian, Monday 4 May 2009
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/may/04/journalism-obituaries-shane-fitzgerald

(えー、またアイリッシュの方ですか……発端はダブリンの学生、騒ぎにニューズバリューを与えたロンドンの新聞のライターはアイリッシュ、その事情説明もアイリッシュ。となると、もはや、この世界を支配しているのはアイリッシュだと確信するしかないので、芋でも食ってきます。)(くだらんステレオタイプ、ご容赦。)

この記事で、Siobhain Butterworthは、事情を次のように説明している。
Fitzgerald's timing could not have been better. He added the fake quote shortly after the composer died and just as writers were working on his obituaries. The Guardian commissioned an obituary writer on the morning of 30 March, giving him only a few hours to produce a substantial piece on Jarre's life for the following day's paper. He was not the only one taken in by the hoax - the quote was recycled in several other obituaries published in print and on the web. Fitzgerald told me that he'd looked for something (or someone) journalists would be under pressure to write about quickly. Jarre's death was "the right example, at the right time", he said.

What others might see as an act of vandalism, Fitzgerald calls research. In an email last week he apologised for deliberately misleading people and for altering Jarre's Wikipedia page. He said his purpose was to show that journalists use Wikipedia as a primary source and to demonstrate the power the internet has over newspaper reporting.

フィッツジェラルド(=ダブリンの学生さん)のタイミングは、まさにそれ以上のものはないというほどぴったりだった。ジャールが亡くなってすぐに、彼は偽のQuoteを書き加えたが、それはちょうどライターたちがジャールのオビチュアリを書いている最中にあたった。ガーディアンはオビチュアリの記者を(英国時間で)3月30日の朝に手配し、翌日の紙面に間に合わせるためにわずか数時間という期限で、ジャールの生涯について中身のある記事を書くよう依頼した。フィッツジェラルドの偽情報を真に受けたのはガーディアンのライターだけではない。問題のQuoteは、紙面・ウェブ版両方でほかの新聞のオビチュアリに掲載された。フィッツジェラルドは私に、ジャーナリストが素早く書かねばならない題材を探していたのだと言った。ジャールの死去は「ぴったりの例で、タイミングもよかった」と彼は言った。

他の人々は「ヴァンダリズム」と見なすかもしれないが、フィッツジェラルド自身は「研究」と呼んでいる。先週のメールで、彼は意図的に人々をミスリードし、ジャールのウィキペディアの項を書き換えたことについて謝罪した。彼は、自分の目的はジャーナリストがウィキペディアを一次ソースとして使うということを示し、ネットが新聞報道に対して持っている力を示すことだったと述べた。


このあとの部分で、シヴォーンさんは、ウィキペディアンが「出典のない怪しげな書き込み」に対して疑念を抱いたということを説明し(このエントリの少し上のほうで詳しく見たようなこと)、「この件での教訓は、ジャーナリストはウィキペディアを避けるべきであるということではなく、信頼できる一次ソースにまでさかのぼれない場合には、ウィキペディアにある情報を使ってはならないということだ」と端的にまとめている。(……学生さんのほうがよく知ってるかもしれないこのルール。)

そしてその上で、「通常の報道記事では、誰かの発言を引くときには、記者は情報源を確認することが絶対必要ということになっているが、オビチュアリや読み物記事、ブログでは、これは報道記事ほどには厳しくない」ということが説明されている。(これは案外知られていないことかもしれないけれど、普通に考えればわかると思う。)

で、事の次第が発覚したのは、ダブリンの学生さんが新聞社にメールをしたからだそうだ。(彼がブログに書くなどして、いわば「勝利宣言」をしたわけではない、ということは、事実として明記しておくべきだろう。)

なぜ1ヶ月も経ってから告白したのかについては、学生さん自身はメールで「申し訳ないです」とし、「元々は授業の課題にするつもりだったのですが、うまくいかなかったのです。もっと早くご連絡すべきでした」とも書いているという。

……なんか、ガーディアンとのメールでのやり取りは、アイリッシュ・タイムズで本人が書いているのとはずいぶん雰囲気が違うのだが。

ともあれ、「オビチュアリー」という機会でこういう「実験」をしたのは、学問としてあまりいいサンプルになりようもないことだし、倫理面でもやっぱりあんまりよくなかったかもね。学生さん自身がでっち上げたモーリス・ジャールの発言は別に変な内容ではないし、むしろロマンチックですばらしい発言だと思うのだけど(本当であってほしい内容)、ご遺族やファンにしてみれば、モーリスの死が「変なネタ」になってしまったわけで……。それに「その発言があった」ということは検証できる一方で、「その発言がなかった」ということは、厳密には検証不可能だ。

もちろん、一次ソースがわからないものは安易に使うべきではない、というのは当然なのだけど、そうすると「ネット時代」の前にあったことや、ネットの外であったことについて、「ネットでは検証できないから」と切り捨てるというところまで「自粛」が進みかねない。

うむー。

しかし人騒がせな学生さんだ。

なお、テクノバーンの記事の元はたぶんロイター、AFPあたりでしょう。

ロイター:
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/05/07/AR2009050700855.html

AFP:
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/World/Story/STIStory_373439.html

で、ガーディアン以外にどこがあの「わたしにしか聞こえないワルツ」を掲載したのかは、これらではわからないのだけど、Anorakさんによると:
You can read it in obituaries to Jarre published in the Guardian, the Independent, on the BBC Music Magazine website and in Indian and Australian newspapers.

インディも、BBC Musicもか。BBCの報道ではない部門のグダグダっぷりは「ボブ・マーリーへのインタビュー」事件があるからもう驚かないけど。

それからフランス語での報道によると:
Beaucoup de grands titres de la presse anglo-saxonne, comme The Guardian, The Independent ou le Daily Mail, avaient en effet repris ces propos imaginaires.

コミックもか。(というか、ついでに見てみたらこっちもすごい戦場になっている。)

スラッシュ・ドット:
http://tech.slashdot.org/article.pl?sid=09/05/06/2237244
このコメントの破壊力がものすごい。



はてなブックマークでは、(テクノバーンの記事を読んだだけで、それ以上、どういうコンテクストでこれが発生したのかを確認しようとしたり、実際に確認した人はあまりいないのではないかという印象なのだが)「裏を取っていないこと」についてのつぶやきが多くある。それ自体は妥当なものだと思うが、オビチュアリーという多くの場合はその人が亡くなる前に予定稿みたいなのを準備しておくような性質のもの(新聞全体の中での位置付けが高いものではないもの)での例で、新聞全体を判断するかのようなことはできないと思う。個人的には、2001年以降仕事をしていないモーリス・ジャールのオビチュアリが事前に予定されていなかったということが少し意外だったのだが(もう高齢なので)、NYTによるとshort illnessだったそうだから、「引退した大家」扱いの人が急に倒れてなくなられたということで、準備がなかったのかもしれない。

それと、この件で名前がでかでかと出ているガーディアンは、ライターが「騙された」というか「ひっかかった」ことを正面切って認めているから名前がでかでかと出ているのだ、という事情は、はっきり説明しておいた方がよいだろう。「偽情報」の主であるダブリンの学生の名前でGoogle Newsを検索しても、「ひっかかった」他の新聞(インディペンデント、メイル、アメリカの新聞、インドの新聞、オーストラリアの新聞)の記事は見つからないが、ガーディアンは見つかる。なお、BBCのMusic Magazineの記事は、Google Newsの検索対象にはなっていないのではないかと思う(Google Newsに来ているのを見たことがないので。今のBBC MMに出ているピアニストの名前で検索しても記事出ないし)。



んー、やっぱりテクノバーンおかしいよ。見出しと記事本文にある「多数の欧米大手紙」の「多数の」はどこから持ってきたのか、また「欧米」とはどこか(確認できる限り、英語圏でしか発生していないし、アイルランドでは発生はなさそうだから、「欧米」じゃない。アイリッシュ・タイムズ、ロイターなどからわかるのは「英米豪インド」だ)。アイリッシュ・タイムズに掲載された学生さんの文章(今回の件ではこれが一次ソース)では、"Quality newspapers in England, India, America and as far away as Australia" とは書かれているけれども、"Many quality newspapers" とは書かれていない。 これは「複数の新聞」ではあるけれど「多数の新聞」ではない。(上で参照したフランスのあまり真面目ではなさそうなメディアでは、Beaucoup de grands titres って書いてあるけど、これを鵜呑みにするのもまたバカな話だ。)

英国では、「引っかかった」大手の新聞はガーディアン、インディ、メイルの3紙で、タイムズ、テレグラフ、【ここにquality paperかどうかの壁】サン、ミラー、スター、エクスプレスなどは引っかかっていなさそう(スターやエクスプレスではジャールの死の報道そのものがなかった可能性が高いけど)。(規模のでかい地方紙でスコッツマンとかヘラルドとかもあるけど、それらは未確認。)

米国の新聞で例の偽発言を掲載したのはどの新聞なのかは不明、オーストラリアでもどの新聞なのかは不明。インドの新聞は確認できず。インドやパキスタンなどの英語の新聞でありがちなパターンとしては、英国やオーストラリアの大手の新聞(ガーディアン、エイジなど)から内容を要約紹介するというものだけれども、それなら別個の記事としてはカウントしないほうがいい。

テクノバーンは全般的にこういうところの厳密性に欠けるので、取り扱い注意です。「一次情報の確認は大事だよ」っていう内容のニュースで、(自身の記事の基になっている英文記事を具体的に示すこともしない)テクノバーンだけを頼りに何か考えたり書いたりするというのは、ブラックジョーク以外ではありえないことだと思いますが、念のため。



追記@9日午前6時半ごろ
このエントリの、8日から9日にかけての閲覧総数と、このページ内のリンククリック統計です。「一次情報の確認は大事だよ」ということについての記事で、文中にはかなり細かくリンクを入れてありますが、クリック率は低いです(いつもの記事と変わらない程度)。ダブリンのフィッツジェラルドさんは「人は一次情報をどれほど参照したがるのか」について、こういう形で研究すればいいと思ったり。

※この記事は

2009年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 10:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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今更何ゆえに、このような「やらせ」が「アート」という口実で行われるのか、まったく理解できない。
Excerpt: 「実際の映像」のように見え、そのように扱われてバイラルした映像が、実は完全な「作り物」…つい人に伝えたくなる「美談」には要注意。
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2014-11-19 23:22

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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