kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年05月05日

「あれ」から30年経ちました。

一昨日(から昨日にかけて)、もしガーディアンだけしか見ていなかったら気付かなかっただろう。「あれ」から30年が経過した。(閣僚の中からも「反ブラウン」発言が飛び出して労働党ががたがたの今――数ヶ月前の日本の自民党の「反麻生」みたいな感じらしい――、ガーディアンのこのネタのスルーっぷりは見事だった。)

「あれ」「あれ」ですから、リンク先をご参照のほど。このブログでその名前を書くと私は呪われ、くしゃみが止まらなくなるという呪文をかけられているので。(え)

それについて、タイムズが特集ページを組んでいて、その中にSky Newsの「80秒で振り返る、彼女の11年間」という映像クリップがあるのだが、選曲のセンスの悪さ(せめて80年代の音を使えよと腹が立ったが、「若者にアピール」したいのだろう)と映像素材のご都合主義にうんざりだ。

一方で、こういうときのBBCは、ニヤニヤしながら全力で取り組むので、実にすがすがしい。6:35をかけたオーディオ・スライドショーだ。

当時の音楽の断片と、彼女のスピーチの数々の断片と、当時の写真がつむぎ出す、陶酔と熱狂の、英語がやたらと聞き取りやすいということ以外は、心底うんざりする6分35秒、さあ、お楽しみください。フォークランドのときに「撤退してゆく敵の船を攻撃し撃沈した」と突き上げられたときの論争もフィーチャー、これはお得ですよ奥さん。

ちなみに音楽は:
Music by Chic, Tubeway Army, The Police, Matthew Wilder, Elton John, New Order, Pet Shop Boys, Eurythmics, Tom Petty and The La's.

【ネタバレ→】"There she goes again" とかいってんじゃねーよ。(笑)

ちなみに、ロングケッシュのハンストは出てきません。ブライトン・ボム(と、その直後に無傷で出てきて行なったスピーチ)は出てきます。

で気付いたのだけど、ということは、Airey Neave爆殺(INLAによる)から30年経過してたんじゃん! NI FAQのほうで書こうと思ってたのに、スルーしちゃった! orz

※この記事は

2009年05月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼