Beaten teenager dies in hospital
Last Updated: Monday, 8 May 2006, 21:59 GMT 22:59 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/4752571.stm
おそらくは映画『ミキボーと僕 Mickey Bo and Me』(これは本当にいい映画でした)の主人公の「ミキボー」(Michael Boyleの愛称) に似た風貌をしていることも手伝って、マイケル・マカルヴィーンは "Mickey Bo" と呼ばれていた。今、検索エンジンで "Mickey Bo" を検索すると、映画についてのページよりむしろ、この事件についての報道記事や、彼を追悼するページが山のように出てくる。
バットなどの凶器で「ミッキーボー」を襲撃したのは、「ロイヤリスト」の若者たちだった。あえて宗教上の区別の用語を使えば「プロテスタント」の若者たちだ。
■過去記事:
2006年5月18日 なぜなら彼は「カトリック」だったから――Ballymena少年襲撃殺人(1)
http://nofrills.seesaa.net/article/22305742.html
2006年といえば、北アイルランドからはsectarianな暴力というものが今より多く報じられていて、最初に「少年が暴行を受けて死亡した」というニュースに接したときは、正直なところ「またか、『紛争』などリアルには知らない世代なのになぜ」と嘆息した程度で、特に深い注意は払わなかったのではないかと思う。北アイルランドについての知識と理解もまだ浅かったし、こういった現場での「事件」よりも、ストーモントを中心とする政治的な進展の具合のほうが気になっていた。
しかし、彼の死から10日ほど後、「ミッキーボー」の葬儀が行なわれたときのBBCの記事と、そして何よりその写真を見たときに、この事件についての認識というか、この事件の位置づけが、自分の中で大きく変わった。単純に、私は深く心を打たれた。
![](https://nofrills.up.seesaa.net/image/greenandblue.png)
そしてこの事件についての報道をかなり丁寧に見て、2006年5月18日付けで、このブログで何本かの記事を書いた。(正確には旧URLで、なんだけれども。)
■過去記事:
2006年5月18日 セルティックのユニとレンジャーズのユニ――Ballymena少年襲撃殺人(2)
http://nofrills.seesaa.net/article/22305830.html
「紛争は終わった」ことになっても、その紛争のメンタリティは終わるわけじゃない。IRAが武器をおいて、ストーモントのアセンブリーが再開したからって、「プロテスタント」対「カトリック」のメンタリティは過去のものになっていない。「紛争」真っ只中を知らないはずの10代後半の子たちが、「カトリック」を襲撃する。
人が「人間」である前に、「カトリック」であるようなナンセンス。
……
純白の棺を肩にになって先頭に立った、マイケルと同年代と思われる男の子2人は、ひとりは緑のシャツ、もうひとりは青のシャツである――セルティックとレンジャーズのユニ。(セルティックはアウェイ用。)
スコットランドのグラスゴウを拠点とするこの2つのクラブは、それぞれが「カトリック」と「プロテスタント」を代表するような存在である……。
つまり、対立する両者それぞれの象徴が、この緑と青のユニなのである。
その2種類のユニを着た男の子2人は、肩を組んで、殺された少年の棺を担っている。
この1枚の写真が、いかに「象徴的」なものであったかについては、当時のSlugger O'Tooleの記事をリアルタイムで見て、私は非常に静かな衝撃を受けさせられた。(そのことも上のエントリに書いてあります。)
この3月にアントリムの英軍基地に対するReal IRAの襲撃と、クレイガヴォンでの警官に対するContinuity IRAの狙撃があったあとに、北アイルランドの人々が「もう過去には戻らない」という意思表示をしたときに受けたのと同種で、それでいてやはり違う(コンテクストが違うから)ような衝撃だった。
実際には、「ミキボー」への暴力と同じような暴力は、北アイルランドで2000年代だけでも何件かあって(2005年8月10日に中学生のトマス・デヴリンが襲撃されて殺された事件では、2009年3月にようやく容疑者が起訴されている、など)、「ミキボー」の事件だけを特別視する理由はないのだが、それでもしかし、葬儀での「緑のシャツと青のシャツ」のあの写真と、それが現実になった背景は、自分の中で特別な位置を占めている。
さて、マイケル・マカルヴィーン殺害事件の実行犯として容疑者が起訴され、裁判が始まったのは、2008年9月のことだった。一番早く記事が見つかったので、シン・フェインの機関紙の記事で。
11 September, 2008
'Mickey Bo' murder trial begins
http://www.anphoblacht.com/news/detail/35134
「殺害」に関して起訴されたのは、起訴当時17歳から22歳の6人の男性だった。事件のときは大まかに、15歳から20歳だ。(彼らの他に、殺人には関与していないが器物損壊のような容疑で1人が起訴されている。この人も10代。)
公判では、凶器が野球のバットだったこと、そのバットはたまたま持っていたものではなく、わざわざ親戚の家に取りに行って襲撃現場に持っていったものだったことなどが明らかになった。
そして、被告が有罪か無罪かの法的判断が下された(陪審団による判断)のが2009年2月だった。6人のうち3人が「殺人 murder」で有罪、1人が「故殺 manslaughter」で有罪となった。「殺人」で起訴されていた1人は器物損壊で有罪となったものの殺人では無罪、もう1人は「乱闘 affray」と器物損壊で有罪。
Three guilty of McIlveen murder
Page last updated at 15:21 GMT, Wednesday, 25 February 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7910740.stm
この時点では「量刑申し渡しは4月はじめ」ということだったのだが、予定が少し長引いて、5月1日、判事が量刑を申し渡した――4人に「終身刑」。
Four get life for McIlveen murder
Page last updated at 11:59 GMT, Friday, 1 May 2009 12:59 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/8027988.stm
ただ「終身刑 jailed for life」といっても、実際に終生を刑務所で過ごすとは限らない。英国での報道ではよく "the highest minimum tariff" というのが出てくるが、これが事実上、実際の「刑期」である。
判事が申し渡したthe highest minimum tariffは、4人のうち最大で13年だった。
というわけで、昨日から断続的にこの件の報道を読んでいるのだが、何というか、非常にやり切れない気持ちだ。
BBC記事から:
Speaking outside the court, Michael's sister Jodie said the family were "unhappy" with the sentence.
法廷を出たところで、マイケルのきょうだいであるジョディが、遺族は判決に「不満」であると述べた。
"We all believe that life should mean life," she said.
「終身刑というものは文字通り終身刑であるべきだと私たちは考えています」と彼女は言った。
"Michael lived for 15 years and not one of the defendants will serve this length of time for his death.
「マイケルが生きていたのは15年間です。しかし被告の誰一人として、マイケルを殺しておいて、15年という時間を刑務所で過ごすことはありません」
"Whilst every defendant in the case now knows when their life will start again, as a family our life will never be the same again without Michael."
「この裁判での被告は全員、いつになれば自分たちの人生は再スタートを切るということがわかっています。しかし家族として、私たちの人生は、マイケルなしでは、決して元通りにはなりません」
記事にはこのステートメントを読み上げるJodieさん(お姉さんなのか妹さんなのかは不明)の映像がエンベッドされている。
判事は量刑を申し渡す際に、次のように述べたそうだ。
Mr Treacy described the death of Michael as "a brutal and sectarian murder".
Treacy判事はマイケルの死を「残酷なセクタリアン(宗派・党派が原因の)殺人」であると述べた。
"This lethal cocktail of drugs, drink, youth and sectarianism provided the context in which this murder occurred," he said.
「ドラッグと酒と若さとセクタリアニズムが混ざり合ってこのようなひどいものになった、これがこの殺人が行なわれた背景となっている」と判事は述べた。
つまり判事は、被告人(犯人)がドラッグをやって酒を飲んで「カトリック狩り」をしたということははっきりと認識し、それを上記のように厳しい言葉で非難している。それでいて、量刑が「少なくとも10〜13年は出られない終身刑」。「納得がいかない」ということを、感情を出して述べるご遺族。
そしてこれが北アイルランドであればこそ――「紛争」の時代の数々の「殺人 murder」とその「理由付け justification」が、社会全体に何かを刻み付けている北アイルランドであればこそ、とても飲み込みづらい「正義 justice」のあり方というものを感じている。
ベルファスト・テレグラフの下記記事の末尾に、それぞれの被告に対する判事の言葉がある。
Michael's killers 'should be behind bars for life'By Deborah McAleese
Saturday, 2 May 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/michaels-killers-should-be-behind-bars-for-life-14288825.html
※以下、年齢は記事本文から持ってきたもの。
CHRISTOPHER FRANCIS KERR ― Jailed 13 years for murder.
クリストファー・フランシス・カー(注:22歳)――殺人で有罪、13年The pre-sentence report indicates a lack of remorse and little awareness for the impact of his crime ... He accepts no responsibility whatsoever for the murder. In this case there is the aggravating feature that he went to considerable trouble to procure the murder weapon of his own violation.
【おおよその内容】判決前の報告によると、後悔の念はなく、自身の罪がいかほどに重大な影響を及ぼすものであるかについてもほとんど自覚していない。少年殺害について自身の責任は一切認めていない。しかし公判では、彼自身が殺害に用いた凶器を苦労して手配したことが明らかになっている。
判事はこの被告について「彼は法廷で真実を語っていない」とも述べている(→BBC)。
JEFF COLIN LEWIS ― Jailed 11 years for murder and AARON CAVANA WALLACE ― jailed 11 years for murder.
ジェフ・コリン・ルイス(20歳)――殺人で有罪、11年/アーロン・カヴァナ・ウォレス(20歳)――殺人で有罪、11年They, as it seems to me, are in a similar position to Kerr because they contested the matter and in their cases I am equally not satisfied that there is any clear evidence of remorse or contrition ... They did not, however, procure the bat or actually themselves use it, although I acknowledge they have nontheless been convicted on a joint enterprise basis.
【同】この二人は、私(=判事)には、カーと同様の立場にあったと思われる。というのは彼らはmatter (= statement or allegation) に異議を唱えており、また後悔や改悛を示す様子も見て取れなかった点もカーと同様であるためだ。しかしながら、彼らは凶器のバットを手配したわけでもなく、実際にバットを振るったわけでもない。いずれにせよ共犯であることは揺らがない。
MERVYN WILSON MOON ― Jailed 10 years for murder.
マーヴィン・ウィルソン・ムーン(20歳)――殺人で有罪、10年The accused has a clear record. It appears that on the day in question he had taken by the end of evening five cannabis joints, three WKD and half a bottle of vodka ... Whilst it may have happened quickly, he was in fact armed in advance with a lethal weapon (the baseball bat) and when so armed he made his way down the entry accompanied by his sectarian cohort intending to, and in fact causing, really serious harm resulting in death ... But I accept there are significant mitigating factors ― an intention to cause grievious bodily harm rather then to kill, spontaneity and lack of premeditation, his age, he being 17 at the time, clear evidence of remorse, his timely plea of guilty.
【同】被告人にははっきりとした記録がある。事件当日、日が暮れるまでに、彼は5本のカナビスのジョイントを吸引し、WKD(チューハイのような酒)を3本とウォトカのボトル半分を飲んでいた。襲撃は短時間で行なわれたかもしれないが、彼も実際に前もって凶器のバットで武装して、セクタリアンな仲間とともに襲撃の意図をもって現場に行き、そして最終的には死に至った重大な暴行を引き起こした。しかしながら、殺意というよりも傷めつける意図だったこと、自発性、計画のなさ、年齢(当時17歳だった)、後悔の念をはっきり示していること、そして有罪を認めたことにより、情状酌量の余地は大きい。
以上の4人が「終身刑 life」。以下は刑期ありの判決。
CHRISTOPHER ANDREW McLEISTER ― Three years (suspended for two years) for manslaughter.
クリストファー・アンドリュー・マクレスター(18歳)――故殺で有罪、3年(執行猶予2年)McLeister was the youngest of the accused ― a 15-year-old schoolboy at the time. The jury were plainly satisfied that he performed, by contrast with his co-accused, a peripheral role, albeit one which attracted criminal liability ... His family have now relocated outside the jurisdiction and I infer from everything I have read and heard that this young man ... will not trouble the courts in the future.
【同】マクレスターは被告人のうちで最年少で、犯行当時15歳の中学生だった。刑事責任は問わざるを得ないとはいえ、彼の役割は、ほかの被告人と比べて、周辺的なものであったことは陪審も納得している。彼の家族は(当法廷の)司法権の及ばぬところに引っ越しており、私(=判事)は読んだもの、聞いたものすべてから、この若者はこの先法廷の世話になることはないと判断している。
PAUL EDWARD DAVID HENSON ― A total of nine months imprisonment for affray and criminal damage.
ポール・エドワード・デイヴィッド・ヘンソン(18歳)――乱闘および器物損壊で9ヶ月He was never charged with murder and his involvement relates to the late stages of the incident after the deceased had been attacked.
【同】彼には殺人の容疑はなく、事件への関与は、被害者が襲撃された後の段階からである。
PETER McMULLAN ― Conditional discharge for criminal discharge.
ピーター・マクミュラン――器物損壊で有罪、条件付き釈放Having regard to the various points urged upon the court ... including the lengthy period of time he has already spent in prison ... the fact that he had a murder charge hanging over his head for years before being acquitted by direction of the court, his onerous bail conditions ... and the devastating effect this has had on his family ... I am satisfied that the appropriate course is a conditional discharge.
【同】被告人がすでに長く勾留されていること、長く殺人の容疑があったことなどさまざまな点をかんがみて、条件付釈放が適切と考える。
あとは、タイムズの記事がコンパクトでした。ていうかこの記事見出し……まあ、そりゃそうなんだけど、「要約」なのかショック・バリューなのかが微妙なところで。
May 2, 2009
Catholic boy Michael McIlveen's Protestant murderers jailed for life
David Sharrock, Ireland Correspondent
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/crime/article6206880.ece
Judical decisionの全文は、現時点では上がっていません。Diplock courtではなく通常の刑事裁判でしたし、数日内に上がるのではないかと思いますが。
http://www.courtsni.gov.uk/en-GB/Judicial+Decisions/
法廷は「憎悪」に(あるいは、これは日本語では「差別」といったほうがよいのかもしれないが)何ができるのか。あるいは何かができるのか。
先日のBBC NIのドラマ、Five Minutes of Heavenは、法の裁きを経てもなお残る「殺人者」アレスター・リトルと、彼の被害者の弟、ジョー・グリフィン(目の前で起きる殺人に何もできなかったことで、親から自責の念を植えつけられたティーンエイジャー)との間の張り詰めた空気を、事実に根ざしたまったくのフィクションという形で描いた濃密なドラマだった。その「殺人者」が自らの罪を認め、それとともに生きながら、「自分にできること」を北アイルランドの外で行っているということが内包する残酷な「矛盾」。ドラマの終盤で一気にあふれ出る非武装のフィジカル・フォース。
映画『ミキボーと僕』もFMOHと重なる部分がある。【以下、しばらくspoiler alertのため、文字色を背景と同じ色にします。→】カトリックの小学生のミキボーは、いじめっこからダッシュで逃げているときに偶然、ジョン・ジョーという小学生と出会い、「おまえ、足速いな」的なことで仲良くなる。ジョン・ジョーはプロテスタントのわりといいとこのぼんぼんで家が何となく窮屈。映画の影響でブッチ・キャシディとサンダンス・キッドになりきったふたりは(キャシディ役を取り合った末)、ベルファストから脱走する。目指すは一路、オーストラリア……という、「少年の冒険」の物語なのだが、1970年代のベルファストを舞台にした物語が、「ぼくの夏休み」的な甘さに埋もれるはずもない。冒険が終わってベルファストに連れ戻されたミッキーボーを待ち受けていたのは、父親の行きつけのパブが、ロイヤリストの爆弾(IRAのボムへの報復として)の標的にされた、という現実だった。ミッキーボーとジョンジョーのふたりの間では宗派の違いは無意味なはずだったが、その違いは周囲から強要されるかのように、そこに入ってきた。そして30年後……というのが映画の結末だ。うむ、この映画ももう一度見たい。初見ではとにかく「おもしろい、いい映画」というのが精一杯だった。(これを見るよう勧めてくださったIさんには今も感謝している。)
1998年に「終わった」はずの「紛争」の残り火によって、2006年に殴り殺された「ミキボー」ことマイケル・マカルヴィーン。家族を殺されたことのショックは消えないと語るマカルヴィーン家の人々。彼を故意に殺しておいて、判事いわく「改悛の情も見せない」というクリストファー・カー、ジェフ・ルイス、アーロン・ウォレス。後悔の念が見て取れるというマーヴィン・ムーン。
彼らにとって「30年」が過ぎたとき、おそらく「紛争」の当事者の多くはこの世からいなくなっているだろう(寿命的に)。「紛争」のメンタリティを語るべきコンテクストというものも失われてしまっているかもしれない。でも、彼らの中ではそれはずっと続く。どのような形を取るのであれ。
アリスター・リトルさんは、「私は赦しなどというものを求めはしない」と述べていた。
※この記事は
2009年05月02日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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