「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年04月08日

Twitterと、「彼はそこにいる/いない」をめぐる断章(?)

Twitterに登録してあるBBC NIの更新情報でこんなのが来た。
http://twitter.com/bbcnireland/status/1475712468
The Sinn Féin president is barred because he intends to meet Hamas members http://tinyurl.com/d7shjl


中東を訪問するジェリー・アダムズに対し、イスラエル当局はガザ地区への立ち入りを許可しなかった、という。理由は、アダムズがハマスのメンバーと会うつもりであるため。

しかるに、Sinn FeinのTwitterを見てみると:
http://twitter.com/sinnfeinireland/status/1475625508
Sinn Féin President Gerry Adams is currently in Gaza


……どっちなんだよ、GAはガザにいるのかいないのか。

Tweetの時刻は、シン・フェインのほうがBBC NIより30分ほど早いが、BBC NIのはRSSを拾って反映するbotだし、よくわからない。BBC NIの記事が出た時刻 [=10:11 GMT] と、SFのtweetの時刻はだいたい同じくらいだと思う(こういうときに、「何分前」で表示されているのが不便)。

ともあれ、アダムズがブログを更新するなり何なりしてガザ地区に行けたのかどうかを報告してくれるまでは、BBC NIの記事を信じるとして、これはイスラエル政府の対応としては予想通りではあるけれども、よりによってジェリー・アダムズに対して「テロ組織に指定されている組織と話をするのは言語道断」とか言っても、全然面白くないギャグにしかならないということを、いいかげんに学んでほしいと思う。(→アダムズをネタにした面白いギャグを見たい方はこちら。スティーヴ・クーガンすてき! 特に0:30が珠玉の瞬間!)

ともあれ、アダムズが7日に現地入りしていることは確実なので(7日のアダムズのブログが、飛行機の中からの更新。トピックはアイルランドの政治・経済についてだからまだ読んでないけど)、続報を待つのみ。それまでの間、「いるのかいないのか」とは何かについて考える試み。

存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)存在と無〈1〉現象学的存在論の試み (ちくま学芸文庫)
Jean‐Paul Sartre 松浪 信三郎

存在と無―現象学的存在論の試み〈2〉 (ちくま学芸文庫) 存在と無―現象学的存在論の試み〈3〉 (ちくま学芸文庫) 実存主義とは何か 嘔吐 存在と時間〈下〉 (ちくま学芸文庫)

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この件、アップデートあり。必ずあわせてお読みください。
http://nofrills.seesaa.net/article/117179233.html

※この記事は

2009年04月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:25 | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼