「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年03月26日

今日BBCの記事で知ったこと――北アイルランド自治政府首相はスパーズ・サポ(時々チェルサポ)である。

タイトルの通りです。お茶ふいた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7964855.stm
On the topic of football, the deputy first minister gave an insight into his relationship with the first minister.

He revealed that Mr Robinson, a Spurs and occasional Chelsea supporter teased him whenever his favourite football team Manchester United lost.

"He sort of gloats about it which I don't like," he said.

"But I'm still confident that United will win the premiership this year and the probably the champions league as well, with Chelsea trailing behind them. Don't say that to Peter."


つまり、マーティン・マクギネスがマンUのサポで、スパーズ・サポ、時々チェルサポ(←え)のピーター・ロビンソンは、マンUが負けるとニヤニヤしてマクギネスにいらんことを言う、と。そしてマクギネスは「でも今年のプレミアはうちがいただきます。CLもいただきます。チェルシーよりうちが上です。あ、これはピーターには言わないように」と語った。

……何なんでしょう、この和気藹々ムードは。(@_@)

むろん、「北アイルランド和平」の「進展」を印象付けるための演出がかなり入っているとしても、この2人、20年前はひどく暴力的な形で敵対していたのであって……。まあ、20年前は「サッカーのサポ」もこんなに和気藹々とはしていなかったかもしれないけど。

というわけでこの記事、北アイルランド自治政府の正副ファーストミニスターが2人揃って、東ベルファストの小学校を訪問し、学童のインタビューを受けるというBBCの企画を報じるものなのですが、お茶ふきポイントはマンUだスパーズだチェルシーだだけではなくて……。

The first minister, Peter Robinson, had already warned the boys to expect long answers from Mr McGuinness.
ピーター・ロビンソンは、子供たちに、マクギネスは話が長いからね、と警告していた。



And unusually, the student reporters left the Sinn Féin minister a little stumped by asking him what he would do if he wasn't a politician.
そして、常にないことだが、子供レポーターの質問でマクギネスは少し困惑することになった。政治家になっていなかったら何になっていましたかという質問だ。

……凄腕の(以下略。


"That's a big question." he said. "It's hard to know what I would be if things had have been different... I think I would have liked to be involved in the teaching profession."
「それはまたすごい質問ですね」とマクギネスは言った。「状況が違っていたら自分がどうなっていたかは難しいところで……そうですね、教職に就くことを考えていたかもしれませんね」




せんせい、それはbig questionではなく、子供記者が大人に訊く典型的な質問です。サッカー選手も子供にそういう質問をされます。

Mr McGuinness was asked what he would do differently if he could re-run his career.
キャリアをやり直せるとしたら、どういうことを違うふうにやりますかという質問も受けた。



He gave a rather general answer - that he regretted that the Troubles - and their causes - had happened.
マクギネスの答えはかなり漠然としたものだった。つまり、紛争のあったことは――そしてその原因も――遺憾に思っている。

The young reporters asked a range of questions on everything from the economy to the latest murder of two soldiers and a policeman by dissident republicans.
子供たちは、経済問題から最近起きた非主流派リパブリカンによる兵士2名と警官1名の殺害事件におよぶまで、幅広い質問をした。

Mr McGuinness said the violence had strengthened power-sharing and the parties' resolve to make it work.
マクギネスは、暴力がパワーシェアリングを強化し、パワーシェアリングを成功させようという(シンフェイン)党の決意もますます固くなったと述べた。




せんせい、むずかしいです。

一方、ピーター・ロビンソンは「3つの願い」を訊かれて、第一に平和、第二に繁栄、そして第三に……
"I suppose that Glentoran win the league this year," he said.
「今年(北アイルランドの)リーグでグレントランが優勝すること」と彼は述べた。




スパーズに、チェルシーに、グレントラン。一体いくつのチームをサポしてるんでしょう、この人は。

最後にたたみかけるように爆笑ポイント。
He was asked what the best thing was about power-sharing with Martin McGuinness, but seemed to focus instead on what was difficult about it.
マーティン・マクギネスとパワーシェアリングしていてよいことは何ですかという質問を受けたが、ロビンソンはよいことではなく難しいことを語った。





ちなみに、ロビンソンは政治家になっていなかったら、不動産業者として今ごろは大変だっただろうと答えたそうです。(元々、職業は不動産業者。)

で、教職でも不動産業者でもマンUでもチェルシーでもスパーズでもグレントランでも何でもいいから、この問題(↓)をスッキリ片付けてください。あと言語法の問題も。私が忘れてしまいます。

No decision on justice minister post, says Ford
By Noel McAdam
Saturday, 21 March 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/politics/no-decision-on-justice-minister-post-says-ford-14237714.html



文中に貼り込んだティーカップの画像は、「M/Y/D/S イラスト素材百科」さんからお借りしました。
http://clipart.sakura.ne.jp/tablewares/teacup/

※この記事は

2009年03月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼