「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月23日

キャラハン政権末期のものすごい状態を、当時の閣僚が回想する記事。

前置きとして書けることはいろいろありそうだが、それを省いて本題。

ジェイムズ・キャラハン政権で、かの "Winter of Discontent" を閣僚として体験し、その後、労働党がサッチャーの保守党に負けたあとはニール・キノックの労働党で副党首をつとめるなど、常に政治の第一線にいたRoy Hattersley(北アイルランドの文脈では、B-Specialsに代えてUDRを立ち上げたということで名前が出てくる人)が、22日のオブザーヴァーにものすごく長い回想録を書いている。

The party's over
Roy Hattersley
The Observer, Sunday 22 March 2009
http://www.guardian.co.uk/politics/2009/mar/22/james-callaghan-labour-1979-thatcher

私もまだ全部は読んでいないのだが(ほんとに、ものすごく長い上に、これを余裕で読めるほどの教養という素地が私にはない)、リード文:
Labour had survived the winter of discontent and the IMF crisis, but there was only one way James Callaghan's government was going to survive the night of 28 March 1979 ... Here, for the first time, Roy Hattersley relives the failed deal-making, death-bed decisions and last-minute alliances which ushered in a decade of Thatcherism


※書きかけ

※この記事は

2009年03月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼