kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月20日

Google Street Viewでロンドンを見る―― Finsbury Park途中下車編。

「Google Street Viewでロンドンを見る――怒涛のハリンゲイ編」のついでに。

Manor Houseの駅から、公園の南の辺に沿ったSeven Sisters Roadに出て(数歩歩くだけ)、道路を向こう側に渡ってしばらく西に行く途中が、フィンズベリー・パークの安宿街だ。



Google Street Viewだと、公園沿いのSeven Sisters RdはこのSpring Park Hotelから西しか表示されないが、このまま西に進んでいくとしばらくの間、道路の南側にホテルが並んでいるのが確認できるはず。この辺りも、崩れ落ちそうな廃屋になるまであと少しというテラストハウスがあったりもしたのだが、ずいぶんきれいになっている。(バスの中から見ていたのとだいたい同じ視界なので、本当にヴァーチャル・トリップ。)

Manor Houseの駅からそのままGreen Lanesを北上する途中にも宿はあるが、Seven Sisters Rdのほうが便利だと思う。明るいし。

西に進んだついでなので、寄り道して、Finsbury Parkの南側のランドマークをいくつか。

Highbury Square (旧Arsenal Stadium) : うわああああ、何か生々しい現場だ。arsenal.comには、生々しくなくなった後の写真が既にアップされているのでそれを見て落ち着きましょう。

Finsbury Park Mosque: 9-11前のロンドンで「過激な宗教指導者」が拠点としていたということで、9-11後にメディアにがんがん搭乗したモスク。今は名称がNorth London Central Mosqueと改められている。→Wikipedia

the United Church of the Kingdom of God (旧Finsbury Park Rainbow) : 1960年代から70年代にかけて、ビートルズとかストーンズとかピンク・フロイドとかピストルズとかがライヴをやったコンサートホール。81年にコンサートホールとしてクローズされ、建物(アールデコ)はGrade II登録物件なので取り壊されもせず、その後は時折ボクシングの試合が行なわれるなどしていたものの、基本的に手付かずのまま14年……そしてブラジル拠点の新興宗派のキリスト教教会の手に渡って、この教会の英国での拠点に。→Wikipedia

ガード下の、よくわからないお店: 駅舎はあんなにきれいになっても、まだあるのね、この店、とニヤリとさせてくれる。ここは雨が降り出しても、店の外のひさしのないところにかけてある洋服がそのままになってて、バスの中から「いいのかなあ」と思ったりしてました。この中から靴のペアを見つけるのは大変だと思う

……以上、寄り道が長くなっちゃったので、本編(ハリンゲイ)とはエントリを別にしました。

※この記事は

2009年03月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼