「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年03月20日

Google Street Viewでロンドンを見る――怒涛のハリンゲイ編。

「Google Street Viewが英国でも開始」のエントリで、ハックニーをちょっと見てみたのだけれども、今度はハリンゲイへGoしよう。

ハリンゲイ (Harringay, or Haringey) は拙著の44ページから53ページにかけて言及した地域。出発点は地下鉄Manor House駅(ピカデリー・ライン)。


大きな地図で見る

この駅は、Finsbury Parkの南東の角(地図でいう右下)に接している。Finsbury Parkは巨大な公園で、Manor House stationから見て公園の反対側、西南の端にあるのがFinsbury Park stationだ。Finsbury Park stationは地下鉄(ピカデリー・ライン、ヴィクトリア・ライン)と鉄道の駅で、かつてはアーセナルのホーム(ハイベリー)の最寄り駅だった。私が近隣住民として知ってるこの駅は「万物は流転する、設備は老朽化する」といった具合で(まさに「英国病」の時代だったことが大きいのだが)、その後2000年にハックニーに滞在していたときに立ち寄った際もそれはほとんど変わっていなかったが、さらにその後にアーセナルのスタジアムが少し西に移動し、駅周辺のショップやバスターミナルの一帯が整備しなおされて、Wikipediaに掲載されている画像のような現代的な、「10ペンスくれ」と言って回ってる人がいそうにない駅舎になったという。

一方で、Manor Houseの駅は全然変わっていない。これは変わりようがないのだけど、公園の木々の陰になるため日が差さず、何か薄暗い(そんなことでも「懐かしい」と思えるのは元住民だから。GSVの最大の用途ってこれだと思うな)。で、この駅のバス停にはいつもこのくらい(→)の人が並んでいるということも同じ。ピカデリー・ラインはこの通り(Green Lanes)に沿って北へと走っているのだが、この駅と次の駅(Turnpike Lane)の間隔が広く、公園沿いは特に暗い時間帯は治安面でちょっと不安があるし、Green Lanes沿いの一帯に家のある人は歩かずにバスを使うことが多い。(Manor HouseまでがZone 2で、その先はZone 3になるから、バスを使う人はZone 3まで使えるトラヴェルカードを持つ。)

ってなところでManor Houseから出発進行。この先の一帯は、19世紀の人口爆発で住宅地として開発されたところで、大通り(Green Lanes)沿いはそれなりに立派、わき道(住宅街)は安普請のテラストハウスです。

わき道のひとつ:

※これでも、1990年代の不況期と比べると別物のようにきれい。外壁塗装のせいだと思います(またこの安そうな塗装が、画一的で大量生産的で、何とも言えない味になっているけど)。

公園に沿ってしばらく北進。すると、公園の北側に沿って何やらステキな感じの住宅街になってる道があって(公園沿いが高級エリアなのは当然のこと)、その辺りから怒涛の商店街が始まる。

店の名前や看板を見ればわかる通り、言語的にギリシャもしくはトルコの人たちが多いエリアだ。このエリアはキプロス紛争と関連して形成された移民街だが、年月が経つうちに第一世代のギリシャ系の人たちはもっと良いエリアに家を買ってここから離れてしまい、2000年ごろからはトルコ系の人たちの比率が高まっているらしい。商店街の看板も、90年代(の記憶)と比べて、ギリシャ文字のものが減っているという印象を受ける。(ただ、バスやトラックで見えない部分もかなりあって、「ここはギリシャの店」と記憶している場所が見えなかったりするので、はっきりとはわからない。)

公園の端からすぐ、けっこう規模の大きな郊外型ショッピングセンターになっている一角は、かつてはSainsbury(食品・日用品スーパーで、90年代初めから24時間営業していた)とHomebase(日曜大工道具)だけだったものが、複合ショッピングセンターに改装されたもの(Sainsburyになる前は、ドッグレースのアリーナだった)。その向かいにあるBahar Videoというレンタルビデオ店は、私は入ったことがないのだけど、私には読めない文字(ギリシャ語かトルコ語)のパッケージの映画がウィンドウに並んでいたことを思い出す……んだけど、To Letか。その隣の旅行代理店も昔のままだと思います。窓に「キプロス・ターキッシュ・エアライン」という貼り紙があったりして、それも昔と同じ。

そのまま進むと、鉄道の高架があって……ははは、これって赤い文字が消えてるんだよね。正確に何て書いてあったかは覚えてないけど、"Welcome to Harringay" 的なメッセージがあったと思う。

うは、この高架下の眺めはあまりに懐かしい。まさにダブルデッカーの2階の目線、という感じ。



ここから先が魅惑のハリンゲイ、グリーン・レインズ商店街……わははは、本当に笑っちゃうほど変わっていない。バス停で人々が微妙な距離を保ってバスを待っているのもそのままだし(そんなことはたぶんずーっと変わらないし、ハリンゲイでなくても同じである)、商店街は、不動産屋が増えてるけど、個人商店やレストランはそのまま、つまり「全国チェーン」といえば銀行(ビルディング・ソサイアティを含む)と賭け屋(William Hillとか)くらいしかなくて、ときどき急に、やたらとトラディショナルな感じのパブが現れる(Grade II登録物件がいくつかある)、というこの光景。あ、でもPizza Hutができてる。(でもこれは、昔からあったかもしれない。この移民街にいると、ギリシャやトルコといった地中海の東の食べ物が豊富だから、チェーン店のファストフードとか関心が持てないんだよね。)

それと、イタリア系の店の名前や看板がちょっと増えてる気がする。イタリアンの店が来てるということは、食生活の面でちょっとオシャレな感じの人たちが増えたのかもしれない。ちょっとオシャレ系の店もあるし。

……と思ったらこんな看板が! これは2000年にはなかったと思うけど。



食料品店で、肉屋で、ポーランド、ロシア、トルコ、イングリッシュの食料で、オフライセンス(酒屋)。(トルコは酒はダメです、建前かもしれませんが。)何という多文化。

(ひょっとしたらこの店が、拙著p.77のコラムに書いた「トルコ系の店」かもしれないが、店の前にトラックが停まっているのでわからない。というかあの店がこれなら、トラック停まってくれててありがとう、だ。)

と思ったら、La Rucheがそのままだ! これはケーキ屋で、やたらとファンシーなデコレーション・ケーキ(青だの黄色だのピンクだので人魚姫、とか)がウィンドウに出ていた。

このギリシャ語の看板の店もそのままだ。



フェタチーズとかオリーヴとか、すごい品揃えの店。しかも安いし、お客さんは本場の人たちで、ここで買ったものは美味い。(フェタチーズは、私はあんまり、なんだけど。)

そして、Penberton Roadを過ぎると……あったー、懐かしのYasar Halimの店



看板もひさしも90年代のままだし、店の前でおっちゃんがくっちゃべってるのも同じ(この商店街で井戸端会議をしているのはおばちゃんよりむしろおっちゃんがデフォ)。八百屋とケーキ屋とパン屋の3部門が並んでいるのだけど、ここのパンはほんとに美味いので、近くを通ったらぜひ。看板はギリシャ語併記になってます。

あと、このやたらと壮麗なパブ、あのままここにあるのは、建物がGrade II listedなので当然だけど、前よりずっときれいになってるんじゃないか。ここは、私がこのエリアにいたときは「あんまり行かない方が」と言われるほど荒れていたのだが、Wikipediaによると近年非常によくなって、専門家の評価も高いとのこと。

Green Lanesのこの先は、商店街が徐々にフェードアウトしつつ住宅街になって(さっきのエリアより一段高級)、バプテストの教会があったりするんだけど……あ、また肉屋が多文化だ。



「ポーランド、ロシア、リトアニアに東欧」の上にアラビア語で何か書かれている。看板の左半分のほうには、店名の横に、Iranian, Turkish, Lituanian, Russian, Polishと書かれて、ワインの絵がある(ううむ)。

さらに進むと……うははは、何でこんなにすごいことになってんの、緑地脇のパブ(ここは昔は近寄れない感じだった)。



このエリア(トッテナム)でSpursの旗ではなく、うちとマンUとチェルシーと……ということはチャンピオンズ・リーグかな。だとしたら、国旗の意味がわからないけど、サッカーじゃなくて別の何かかもしれない(トルコとアルゼンチンと日本と韓国と……っていうと、サッカーのワールドカップ予選かもしれないけど)。別の角度から見れば何かわかるかもと次のカットに行くと、撮影日が違うようで、旗がないんだけどね。なお、ここはスポーツパブとして評価高いところらしい。

この先は、緑地に沿ってしばらく特におもしろくない光景が続き、Turnpike Lane駅に到着します。駅前交差点はちょうど日没間近の時間帯。(と言っても、Green Lanesは何日かに分けて撮影されてるみたいですが。)

以上、マナーハウス駅からターンパイク・レイン駅まで、約2キロほどの散策、終了。

例えばキルバーンは、90年代初めと2000年とではまるで別の街というほどに変わっていたのだけど、Green Lanesはほとんど変わってなかったんだよね。それから9年も経過しているけど、それでもまだ、あんまり変わってないなあ、というのが最終的な散策の感想です。

ああ、でも「これはなかったな」ってのが一点。



"Russian and East European" とチャイニーズ。どちらも90年代初めにはありませんでした。(テイクアウェイといえば、フライドチキンかケバブで、インド料理も1軒はあった――ハレクリシュナ系だったけど。)

※なお、商店街がシャッターが閉まっているのは、単に営業時間外なのだろうと思います。撮影が夏期なら、夜は9時くらいまで明るいので。



この地域は、「移民街」といっても、家賃が安くて交通の便がよいことから上京してきた学生とかも多く、私の知り合いとか喋ったことがある人たち(ルーツとして「移民」ではない英国人)の中に「学生の時に住んでた」とか「大学の友人が住んでた」という人は何人もいました。ただ、治安の面ではあまりよい話は聞きません。というか、東京にいる私がネット経由で知ることのできる「話」といえば、基本的に「新聞沙汰」になるようなことばかりなので、元からバランスは悪いのですが。

このエリアに住むことを考えている方がおられたら、まず、「ギリシャ系」なのか「トルコ系」なのかは考えないこと、詮索しないことがけっこう重要。「トルコ系」については細かいことは詮索しないほうがよいです。

それと、Harringay, Haringeyの違いについても、深く考えないほうがいいです。自治体がどっちも使ってるくらいなので。(発音は同じだし。)
http://www.bbc.co.uk/dna/h2g2/A842942

※この記事は

2009年03月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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