kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月19日

そのうちに聖書のセールスマンでも始めそうな勢いだ。

ガーディアンに配信されていたPAの記事で知ったのだが、今週のNew Statesman (NS) のゲスト編集長がトニー・ブレアの側近というか右腕というかスピンドクターのアレステア・キャンベルで、ブレアも記事を書いている。

キャンベルは元々タブロイド・ジャーナリズムの人で、彼がこういう活動をするのは別になんとも思わないのだが(アレックス・ファーガソンにインタビューしているのはけっこう面白いかもしれないけど、ウェブでは導入部1ページしか読めない)、ブレアはEUと米国とロシアと国連(カルテット)の中東大使という立場にありながら、何を考えているんだと心底思う。むろん、イスラム教もユダヤ教もキリスト教も旧約聖書の宗教なのだけれども、それがどのくらいセンシティヴなことであるか――「カトリックとプロテスタント」であんだけ荒れた北アイルランドのことを知らないわけではあるまい(それどころか、「和平をもたらしたのは私」とかいうデカい顔をしているのだが)。

ブレアの記事はこれ。

Why we must all do God
Tony Blair
Published 19 March 2009
http://www.newstatesman.com/religion/2009/03/world-million-faith-god

まだ最初のパラグラフしか見ていないけれど(読むのたるい……)、基本的に、昨年イエール大学で話したことと同じだと思います。「いまだからこそ、宗教には役割がある」っていう主張。これも、ウェブ版では最初の1ページしか読めませんが、立論というか結論部が冒頭に来ているスタイルだと思うので、最初だけ読めば、言いたいことはわかるのではないかと思います。

この下に、KwoutでNSのキャプチャを取ったものを貼り付けるので、NSの今週号の個別記事が読みたい方は下記の画像からどうぞ。

New Statesmanのトップページ:


「今週号の紹介」のページ:

※この記事は

2009年03月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼