kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月19日

北アイルランドから、血なまぐさくはない「暴動」の話(でも酒くさい)。

聖パトリックの日だというのに、重苦しく血なまぐさいことばかり調べていたのだが(勝手に、だけど)、違うの、あたしが欲しいアイルランド成分はそういうんじゃないの、と実は思っていたらしい――18日の夜中にBBCの記事で次の一節を読んで、お茶をふきつつ本当の私が目覚めた(のか?)。

As well as the rubbish they also found people sleeping in front gardens.

彼ら(清掃作業員)は、ゴミだけではなく、家々の前庭で寝ている人間たちもまた、発見した。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7950737.stm


「ゴミ rubbish」と「前庭で寝ている人々 people sleeping in front gardens」が、as well asを使って並べられるものだとは、あたしは今まで気付きませんでした。こんなすごいことに気付かせてくれてありがとう、アイルランド。どっかのダルい小説家の壁だの卵だのの比喩表現より、よほど「言葉」の可能性に気付かせてくれるよ。

※追記:この地域の通りの「前庭」はこんなんです(狭いということ以外は何の変哲もない)。(←20日にサービス開始されたGoogle Street Viewで。)

「ゴミ」と「寝てる人」――ことの経緯は、上記BBC記事にもあるけれど、簡単にまとめておくと次のような次第だ。

3月17日は聖パトリックの日で、アイルランド島全域でお祭りになっていた(ただしそういう雰囲気ではなかったごく一部の地域を除く)。

聖パトリックは5世紀にアイルランド島にキリスト教をもたらした聖人であるから、カトリックがどうのとかプロテスタントがどうのとかいうのとは関係ないのだが(5世紀に「カトリックとプロテスタント」という対立軸は存在しないし)、聖パトリックの日は「アイリッシュネス」のお祭りだから、「ブリティッシュ」の北アイルランドでは、かつては「あっちの世界」の出来事だった。ベルファストが市としてパレードを主催するようになったのはつい数年前だ(2004年か2005年だと思う。確認サボりますが。)

そんなウンチクはさておき、「紛争」が終わっていろいろ変化したベルファストでは、今年も昨年やその前と同じように楽しそうなパレードが行なわれました、というニュースがあって、つい1週間前には「RIRAとCIRAというゾンビを徹底的に拒否する」と沈黙で訴えていたベルファストのこういう楽しげなニュース、もうすっかり春ですね、と思っていたときに目に飛び込んできたヘッドラインがこれ。

Riot police called to disturbance
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7949145.stm

な、なんだってー、「暴動」だってー。

何ごとかと思って(ほんとに、dissident republicansが強いエリアで何かあったのかと思った)クリックすると、ごっついライオット・ギアの警官隊と、やたらと緑色な人々が、住宅街でにらみ合っている映像。

……うむぅ、何か「暴動」っていうより、一昔前の「サッカーの試合の後のカオス」のようなのだが。

記事を読むと、クイーンズ大学の学生が多く住んでいるベルファスト南部のHolylandと呼ばれるエリア(←この名称の由来もなんかすごい)で、安い酒を大量に飲んで酔っ払った学生が大勢、大騒ぎをやらかして、停めてあった車を破壊したとかで通報があり、ライオット・ポリスが出動したとのこと。学生側から瓶や缶が少々飛んできたとかいうのだが、瓶といっても火炎瓶ではなく空き瓶だったようで、車が破壊された以外は大きな事態にはなっていない。

BBC記事にエンベッドされている映像で学生側が歌っている歌がどういう歌なのかを私は知らないから、この「暴動」の性質についてはそれ以上はわからない。

警察は学生を他の通りに拡散させないよう封じ込め、学生としばらくにらみ合ったあと、「とりあえずみんな家に入りなさい」的に場を収めたらしい。

この通りは住民の9割がクイーンズ大学(徒歩10分くらいか)の学生で、この日は友達を呼んだりしていつもより大騒ぎになったそうだ。そこにライオット・ポリスが出てきたら、盛り上がるよね。

この騒動で12人が逮捕された。何人かは法廷に行ったらしい。でも「警察はこの通り、いつもheavy-handedな対応をするのである! 抵抗せよ!」的なアジ演説の出番はなかったらしい。地図では、確かこの通りの少し南は、壁に「CIRA」と書いてあるような地域なのだが、「暴動」の映像を見る限り、騒いだのは緑装束の大学生(中にはレンジャーズ色の人もいるけど)ばかりで、ペトロル・ボムを投げているような「労働者階級」の若いのはいないようだし、つまり学生が酔って騒いだということでよいのだろう。現地では「なんでriot policeなの」、「7月11日とどっちがすごいことになるんだろう」といった反応もないわけではないのだけど、「まったく最近の若い者は」とか「野中の一軒家じゃないんだから考えろって、おのぼりさんにはわからんかもしれんが」とかいう、あまりに平凡でユニバーサルな反応が多い。

ベルファスト・テレグラフによると、この地域での3月17日は最近は毎年大騒ぎになるのだそうで(でも機動隊出動はレア)、車を破壊されたりした方には気の毒だが、特に心配すべきことはないようだ。

ということがあって、一夜明けて市の清掃当局が片付けのためにその地域に行ったら、「ゴミだけでなく家の前で寝ている人を発見」した、という話になる。

ていうか、家の前で寝てたら低体温症になるよ。(この日の最高気温が14度とかだったような……夜は寒いだろうに。)

あと、"Holylands" という表記だけど、ASIWYFAに次のような曲がある。ビデオの撮影場所がその学生街だろう。

'And So I Watch You From Afar' - Holylands, 4am
http://ie.youtube.com/watch?v=rM-LLp39zwI


なお、聖パトリックの日が今のような大々的なイベントになったのは、実はアイルランド島でのことではなく、北米でのことだ。

アイルランドでは普通にお祝いしていたのを、こんにちのようなパレードだの緑色のビールだの緑に染まった川だのといったような大騒ぎにしたのは、アメリカのアイリッシュ・ディアスポラだった。ちょっとWikipediaを見てみると、聖パトリック・デイの世界で最初のパレードは、ボストンで1761年に行なわれている (The world's first St. Patrick's Day parade was held in Boston in 1761, organized by the Charitable Society.) のだそうだ。

で、本場アイルランド(共和国)では3月17日がただの「酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」というバカ騒ぎになっている(それも肝臓がブラーニー・ストーンのようにざらざらになるまで)という嘆きの声というか、「かんべんしてくれ」という声もけっこうあるらしい。

(こういうのは、「アイリッシュ・ナショナリズムとかあれこれ、ディアスポラがロマンチシズムで煽り立てたものじゃんか」というのとかなり近い関係にあるものかもしれないが。)

北アイルランド的には、7月12日のプロテスタントのお祭りが、ボンファイアに、ロイヤリスト組織のshow of forceに……ということがあるし、その前に、イースターが……宗教行事としてではなく、1916年の蜂起の記念行事がある。

※この記事は

2009年03月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼