マクギネスが、非主流派リパブリカンのことを "traitors" (売国の輩)という言葉で非難し、ペイズリーらユニオニストがそれを「勇気ある言動」と讃えているのは、誰がどう見てもどこかにお約束の足場があるであろう「政治」なのだけれど(シン・フェインは英軍が襲撃されたときには「歯切れ」が悪かったことでチクチクとやられていた。警官銃撃後に、"traitors" などという言葉をマクギネスが使ったのは、そういうことも影響しているだろう)、一方でどこにもお約束などありゃしない、「政治」などクソ食らえといわんばかりの武装闘争至上主義(わかりやすくするために「原理主義」という言葉を使ったほうがいいのかもしれないが、北アイルランドについては本物の、宗教上の原理主義、つまり「根本主義 fundamentalism」が紛争に深く関わっているので、その言葉は使わない――自分にはその程度のディセンシーはあるのだということをいちいち言語化して確認していないと、頭がおかしくなりそうだ)が、人数的には「わずか300人程度」であれ、今回のこの事態に大きく関わっている。
中東でまたいつもの(そう、「いつもの」)暴力が人命を奪っている(3月11日)ことは、私の見ている範囲が偏っていたのかもしれないが、少なくともガーディアンやタイムズやBBCではトップ記事にはなっていなかったし、「壁」の建設に抗議する側にいたアメリカ人のISMメンバーが、催涙弾(とはいえ殺傷能力のあるキャニスター)を顔面にまともにくらって瀕死の重傷を負った(14日)ことも同様で、そういうことを知ろうとすらしていなかったということにまたもやもやしたものを少しおぼえつつ、中東よりずっと「規模」の小さい「暴力」について、昨日も今日も記事を読む。自分で選択して。
以上が前置き。ここからが本文。
このエントリのポイントは3つ。ひとつは共和主義シン・フェイン (RSF) のRuairi O'Bradaighのこと。残り2つは、逮捕された「非主流派リパブリカン」の「大物」2人それぞれのこと。
その前に、これを書いた時点での最新の状況。(書き上げるころには逮捕された人数が11人に増えていましたが。)
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/16/
northern-ireland-postpones-homecoming-march
Nine people remain in custody where they are being questioned about the two soldiers' murders last weekend and the killing of Police Service of Northern Ireland (PSNI) officer Stephen Carroll. They include prominent North Armagh republican and ex-IRA prisoner Colin Duffy and Declan McGlinchey, the son of murdered Irish National Liberation Army (INLA) leader Dominic "Mad Dog" McGlinchey.
【大意】兵士2人の殺害と、警官殺害について、9人が依然として身柄を拘束された状態で事情を聞かれている。その9人のなかには、元IRAで(メイズ)刑務所にいたコリン・ダフィや、殺害されたINLAリーダーの息子であるデクラン・マックグリンチーがいる。
コリン・ダフィは警官殺害(Continuity IRAの犯行声明)で、デクラン・マックグリンチーは基地襲撃(Real IRAの犯行声明)で逮捕されている。
そこから素直に考えれば、ダフィはCIRAの、マックグリンチーはRIRAのメンバー、ということになるかもしれないが、そこはわからない。銃撃の実行犯として逮捕されているのなら雇われのガンマンの可能性もあるし、CIRAとRIRAは明確に手を結んでいるわけではないらしいけれども、リパブリカン武装組織(集団)はいくつもある。そういった各組織の関係については別項に書きたいけれど、書けないかもしれない。
というわけで、まずはRSFのRuairi O'Bradaigh(ライリー・オブラディ)のことから。RSF(共和主義シン・フェイン)は、CIRAの政治組織(と位置付けて問題ないもの)である。
15日のオブザーヴァーで、ヘンリー・マクドナルドが、ライリー・オブラディへのインタビューを行なっている。(ヘンリー・マクドナルドは北アイルランドのナショナリストのコミュニティの出身で、北アイルランド紛争についてはベテランと言ってよいジャーナリスト。武装闘争には批判的で、シン・フェインの欺瞞にも批判的というスタンス。)
'As long as the British remain, there will always be some kind of IRA'
Henry McDonald
The Observer, Sunday 15 March 2009
http://www.guardian.co.uk/politics/2009/mar/15/
ruari-o-bradaigh-ira-northern-ireland
クレイガヴォンで殺害された警官の葬儀が行なわれた金曜日、ライリー・オブラディは、「アイルランド共和国」となっている26州のひとつ、ロスコモン州で、20世紀のIRAの「戦死者」を讃えていた。
オブラディは1932年生まれ。これまでの77年をずっと「リパブリカン」として送ってきた人物だ。「北アイルランド紛争」の時期は主に「シン・フェイン党首」であり、「銃を手にした闘士」ではなかった(その前、1950年代とか60年代前半にはIRAの闘士だったし投獄も経験している)。つまり、下の方に出てくるドミニク・マックグリンチーなどとは違って、紛争の「最前線」からは一歩引いたところにいた指導者と考えてよいと思う。(と書くのも誤解の余地がありそう……「最前線」にではなく「中枢」にいた人物です。)
http://en.wikipedia.org/wiki/Ruairi_O_Bradaigh
... the president of Republican Sinn Fein (RSF) nodded towards the legend beneath the roll of honour as justification for continued "armed resistance" to Britain. "They gave their lives for the 32-county Republic which has yet to be attained," it reads.
英国に対する「武装抵抗」。「彼らは32州からなる共和国のために命をなげうった。それはまだ実現されていない」。
だから戦うのだ、と。2009年、77歳のオブラディは、1963年(「北アイルランド紛争」が本格化する前)に建てられた社会主義リアリズムの様式の慰霊碑で、1980年代に刻まれた碑文を読み、決意を新たにする。タイムマシンにお願い、って?
2009年3月7日、「彼ら」は23歳と21歳の英国人の兵士を撃ち殺し、9日には48歳のカトリックの北アイルランド人の警官を撃ち殺した。
警官射殺の犯行声明を出したのは、オブラディの政治組織RSFの武装部門である(と考えて支障のない)Continuity IRAだ。
事件後初めてインタビューに応じた15日のオブザーバーで、彼はRSFのドグマを語る。「アイルランドはイングランドに侵略され植民地化された。だから抵抗が起きた。抵抗は数百年も続いてきた」などなど。
オブラディの言っていることは、基本的には間違っていないと思う。むしろ「正論」だ。「原点」だ。「原理原則」だ。しかし、彼が間違っているのは、その「抵抗」の手段・方法として、「武装闘争」しか考えていない、ということだ。「武装闘争か、死か」みたいな思考回路。シン・フェイン所属の自治議会議員であるジョン・オダウドが Militalism for militalism's sake (武装主義のための武装主義) と呼んでいるのは、まさにこういうもののことだろう。
オブラディ自身が中心となっていたEire Nuaという構想から30年以上経過して、なぜまた武装闘争なのかというのは、私にはよくわからないのだが。
かつてはオブラディと同じ主張をしていたマーティン・マクギネスは、2009年3月、その主張を完全に捨てた、ということを、ベテランのジャーナリストのEd Curranがベルファスト・テレグラフで次のように書いている。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/opinion/columnists/
ed-curran/after-37-years-martin-mcguinness-at-last-reaches-
point-of-no-return-14228795.html
That day, in 1972, I listened to his trenchant denunciation of the RUC and British Army and his vow that they would never walk the streets of the Bogside again.
There was no doubting his republican credentials and revolutionary zeal. He had piercing eyes and a chilling determination in his voice.
His message was dour and uncompromising, so much so that I remember feeling distinctly uncomfortable in his presence.
Fast forward 37 years to the steps of Stormont last week as 58-year-old Martin McGuinness denounced dissident republicans to the media with these words: "These people, they are traitors to the island of Ireland. They have betrayed the political desires, hopes and aspirations of all of the people who live on this island and they don't deserve to be supported by anyone."
The message from his lips was very different from that which I had heard all those years ago on a May afternoon in the Bogside but the determination in his voice was still the same.
マクギネスが、「これらの人々はアイルランドという島にとっては裏切り者である。彼らはこの島に暮らすすべての人々の政治的な願いも希望も裏切った。誰からも支持されなくて当然である」と述べたのは、その言葉が人々の支持を得る(あるいは、少なくとも支持されないということはない)と確信していたからだ。
一方でオブラディは、おそらくほとんど誰も支持しないことを知っていて、そして「正論」を、「ドグマ」を言い続ける。「“抵抗”せよ」と。
銃口を向ける相手が「占領者」でなくなっても、なお、オブラディは同じことを言い続ける。なぜだろう――グッドフライデー合意が「英国の支配」という現状を追認するものだからか。
2007年7月末に作戦が正式に終了し、作戦のために北アイルランドにいた英軍は撤退した。現在北アイルランドにいる英軍は、根本的には、ブリテン島各地にある英軍基地にいるのと同じように駐屯しているのであって、爆弾処理班を除いては(武装勢力のボムだけでなく、第二次大戦中の不発弾処理などもやっている)北アイルランドを対象に駐屯しているのではない。ただし北アイルランドの武装集団の情報を集めるために投入される特殊部隊、SRRは別だ。しかし、襲撃された基地はそういう基地ではない。殺された兵士の所属する隊は、事件の数時間後にアフガニスタンに行くことになっていた。(ネット上では「アフガニスタンに行く英軍兵士を襲ったのは反植民地闘争として妥当」とかいう主張をしている人もときどきいるのだが、後知恵とヘリクツは、度が過ぎると悪趣味で苦々しい。)
1920年代の独立戦争と内戦を舞台にしたフィクションの映画『麦の穂をゆらす風』のデイミアン・オドノヴァンら反条約派も悲劇的だったが、2009年になってなお、1921年当時の反条約派をそのまま受け継ぐことが「唯一の正しい道」としているRSFは、別の方向性で悲劇的だ。
※オブラディとRSFについて詳しいことが知りたい人は、オブザーヴァーの記事を全部読んでください。彼らについて書かれた報道としては、これまで目にした記事の中で、最も充実しています。
オブラディのような人が「敵(もしくは正当な標的 legitimate target)」と見なしているのは「英軍」だけではない。"Brit" と呼ばれ「敵」に認定される範囲は常に拡大解釈されてきたが(基地にピザ配達に行った店員も「コラボレイター」で「敵」なのだそうだから)、常にそう認定されてきたのは「英軍」と「警察」だ。
しかしながら、今のシン・フェインはそれを「過去のもの」にしようとしている。彼らは2007年の党大会で、「警察」については、「敵」であるとの認識を完全に否定し、何かあった場合には警察に届けるなど、警察に協力して警察を支持することを、圧倒多数で可決した。オブラディのような人たちはこれに納得していない。(ただしシン・フェインも、「英軍」については態度は曖昧である。そこまでは望めないし、そこまで「譲る」べきでもないだろう。)
そこに「余地」が生じている。つまり、「警察はもはや敵ではない。敵ではない警察を現実に可能にしたのは、シン・フェインが参加した和平プロセスだ」というシン・フェイン主流派と、それに疑問を持ち反対する非主流派。
CIRAが犯行声明を出した警官殺害で逮捕された元IRAのColin Duffyは、根本的に、警察を信用していない。例えば、かつて彼がまだシン・フェインを離れていなかったころの、シン・フェインの機関紙の記事(2000年):
http://republican-news.org/archive/2000/February17/17mars.html
A convicted loyalist gun runner, Lindsay Robb, revealed that RUC Special Branch colluded with the UVF to fabricate evidence against a senior Lurgan republican. The republican was Colin Duffy, one of two men to survive the attack that killed Sam Marshall.
有罪が確定しているロイヤリストの武器調達係、リンゼイ・ロブが、RUCのSBの警官がUVFと組んで、ラーガンの有力リパブリカンに不利な証拠をでっち上げたということを暴露した。このリパブリカンはコリン・ダフィ。サム・マーシャルを殺した攻撃で生き残った2人のうちの1人だ。
"My initial reaction to Robb's revelation was not one of shock or surprise," says Colin Duffy, "as people will know, I have said many times before that British crown forces, including the RUC, are colluding with loyalist killers. I stated as much in 1990 after the murder of Sam Marshall and the attempted murder of myself and Tony McCaughey."
「ロブの暴露のことを知ったとき、ショックを受けたり驚いたりはしなかった」と彼は言う。「自分でも以前に何度も、英治安当局は、RUCも含めて、ロイヤリストの殺人者とずぶずぶの関係にあると言ってきた。1990年にサム・マーシャルが殺され、自分とトニー・マッコーヒーが殺されそうになったあともそう言った」
上記の記事には、2000年に彼らがどのような体験をしたのかが詳しく書かれている。端的に言えば、弾薬所持で保護観察になった彼らの居場所を把握していた警察が武装組織に情報を流し、保護観察中なので所定の日に警察に行ったダフィらは待ち伏せされ、サム・マーシャルがガンマンに射殺された。
コリン・ダフィはこの後も「警察にはめられた」経験があるという。(詳細は検索結果からどうぞ。ローズマリー・ネルソン弁護士爆殺事件との関連もあります。)
このときのダフィは、1970年代のインターンメントで引っ張っていかれた当時の、本当にまったくIRAとは関係のなかった人たちとは違うが、それでも、このような体験をしていれば、警察といえば「信用できないもの」になってしまっているとしても不思議ではない。
彼は現在41歳だから、1968年くらいの生まれだろう。物心がついたころには「紛争」が激化していた世代、10代のときにサッチャー政権で、ジブラルタルの射殺事件やミルタウン墓地襲撃事件があった1988年は20歳、グッドフライデー合意は30歳、というまさに「紛争を生きた」世代である。
RSFのオブラディとは祖父と孫ほどに年齢が違うし、マーティン・マクギネスやジェリー・アダムズとも親子ほどの開きがあるが、ダフィの世代では「主義主張」とか「理念」の前に、「紛争」という現実があったはずだ。常に目の前に「敵」がいたはずだ。
なお、彼は現在、RSFでも32CSMでもIRSPでもないが、それらと(基本的には)同じように頑として「ソーシャリスト・リパブリック(社会主義共和国)」を主張する政治団体の幹部(スポークスマン)をつとめている。そしてこの政治団体は、英軍基地襲撃と警官射殺の後に、"does not believe that the conditions exist at this time for a successful armed struggle against the British occupation" (現在は、英国の占領に対する武装闘争を成功させる条件は存在しないと考える)との声明を出している。非常に微妙だが、少なくとも、「私たちは関係ありません」ということは言っていると受け取るのが妥当だ。
この団体は、昨年11月の英軍パレードに抗議するデモをシン・フェインとは別に組織していて、そのときにBBCなど主流メディアは「dissidentsのデモ」と表現していた。
また、現在この団体のサイトには、下記キャプチャ画像のようなPDFがアップされている。(They haven't gone away you know. というのは、95年にIRAが停戦していたときにスピーチを行なったジェリー・アダムズが会場からのヤジに応じたときの言葉で、「IRAはいなくなったわけじゃない」という意味。それを丸ごと引用し、特殊部隊、SRRの投入に抗議というコンテクストで、「英軍はいなくなったわけではない」と言っているのだ。)
この団体は、過去のReal IRAによる警官襲撃事件で非難声明を出し、純粋に政治的な団体であると述べていたが……以下、簡単に調べられることではないです。
ダフィは、警官狙撃事件のあったクレイガヴォンの隣町であるラーガンの在住で、ダフィの逮捕時にはラーガンで若いのが火炎瓶を警察に投げるなどの事態となり、ラーガンでは聖パトリックの日の行事も中止となった。
最後。やはり英軍基地襲撃事件に関連して逮捕されているDeclan McGlincheyについて。
Republican killer's son held over murders
By Kim Sengupta in Belfast
http://www.independent.co.uk/news/uk/crime/republican-
killers-son-held-over-murders-1645745.html
デクラン・マックグリンチーは32歳。彼の父親、ドミニク・マックグリンチーはINLA(IRAの分派のひとつでものすごく過激)の幹部で、「狂犬 Mad Dog」という異名をもらったくらいの人物で、1981年ハンストで死亡したIRAのフランシス・ヒューズと並んで、名うてのリパブリカン闘士(テロリスト)だった。ロイヤリスト過激派の中の過激派、後にLVFを立ち上げるビリー・ライトに殺されそうになったことがあるそうだ(そしてライトは最終的に、1997年に刑務所内でINLAによって射殺された)。Peter Taylorの "Brits" という本でも5ページほども使ってドミニク・マックグリンチーとその時代のことが説明されている(もうね、あまりに血みどろで、読んでていやになります。本人が「30人は殺した」と言っていたそうで)。
ドミニクはデリーのあたりのリパブリカンの家の出身。1971年のインターンメントを経験し、その後武装闘争活動を始め、当初はIRAにいたが、いろいろあったようで組織から追放されてINLAに入り、最終的には1994年に、車で移動中に電話ボックスから電話をかけているときにガンマンに襲われて14発撃ちこまれて殺された。このときにデクランもその場にいたそうだが、殺し屋が撃ったのはドミニクだけだった。
また、ドミニクの妻、デクランの母親もINLAメンバーで、1987年(ドミニクが11歳のとき)、自宅で2人の息子をお風呂に入らせているときに殺されている。このときも、デクランはその場にいた。どちらの事件も未解決だが、おそらくはリパブリカン内部の抗争によるものと考えられている。母親が殺されたとき、父親は武器の所持で有罪となって投獄されており、葬儀にも出ることができなかった。
デクランという人については、詳細が書かれた記事はないのでわからない。現在32歳なら、グッドフライデー合意のころに20歳くらいだ。武装活動で何か新聞記事になるようなことをしていたら逮捕の記事に言及があるだろうが、それも見当たらない。
ただ、2006年8月のサンデー・トリビューンの記事で、「デクランは最近までシン・フェインを強固に支持していたが、党の方針に幻滅し、同様に幻滅してPIRAを離れたサウス・デリー・ブリゲードの40人と、RIRAとCIRAを集めて、デリーのあたりで会合を主催する」ということが報じられている。この連合がうまくいったのかどうかは、私は知らない。同じ年の12月には、「デクランは狙われていると警察が警告した」という記事が同じ新聞に出ているが(書いたのも同じ人)、それ以上はわからない。
なお、サンデー・トリビューンといえば、RIRAが今回の事件で犯行声明を出した相手だ(正確に言えば、この新聞の記者のところにRIRAから連絡が入った。その記者が、2006年の記事を書いた記者である)。
この稿はここまで。数日に分けて書いたので、特に冒頭部分がちぐはぐかもしれないけれどもこのままで。
タグ:北アイルランド
※この記事は
2009年03月18日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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