*a CC photo by TBSteve on flickr. Belfast, Northern Ireland, March 11, 2009.
11日の昼、ベルファストなど北アイルランドの各地で「沈黙の抗議」が行なわれた。記事ははてなブックマークにクリップしてあるのでそれをご参照いただきたい。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20090311
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20090312
上にお借りした写真にあるプラカードはソーシャリスト・パーティ(小さな政党)のもので、No More Killings(もう殺すな)というスローガンが印刷されている。
ベルファストの新聞で、かつてはばりばりのユニオニスト新聞だったベルファスト・テレグラフは、一面にEnd This Madness(この狂気を終わらせよ)という簡潔な見出しを掲載し(→抗議行動でそれを掲げる人々)、次のような文章を一面に出して、人々に抗議行動への参加を呼びかけた。
End this madness: Our message to dissidents
Wednesday, 11 March 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/end-this-madness-our-message-to-dissidents-14221149.html
今日、北アイルランドは、銃を突きつけて私たちを過去に引き戻そうとしている非主流派(リパブリカン武装勢力)に対し、これまでにないほど明瞭なメッセージを発する機会を得る。
午後1時に、ベルファスト市役所前、ロンドンデリーのギルドホール・スクエア、ニューリー市役所前で人々が沈黙する。この言葉のない抗議は、いかなる演説やキャッチフレーズにも劣らぬほど雄弁なものだ。
数の上から見れば、(今また活動している武装勢力は)まったく勝負にならない。治安当局筋は、いまだに大昔の、半分忘れ去られている憎悪にたぎっているのは、わずか100人ほどだと見ている。この少数者が、私たちがひとつの社会として、この15年間に歩んできたものを、何が何でも破壊してやると行動しているのだ。
しかしながら、彼らに対しては、非常に広範な連合が立ちふさがっている。1週間前には不可能だと考えられていたかもしれないほどの規模で。ユニオニスト、リパブリカン。ロンドンの政府にダブリンの政府。諸教会。地域社会のリーダーたち。教育者たち。財界人に労組。ありとあらゆる信条の人々が、すべて、紛争の暗い時代に戻ることに反対してひとつになっているのだ。
……略……
この連合には、若い世代の人々も非常に多く参加している。私たちがゆっくりと、苦痛をともなって、脱け出しつつあるあの30年間の悪夢を知らない世代の人々だ。
私たちは、戻りたいなどと思っていない過去と、絶対に手に入れたいと思っている未来の間の転換点に立っている。
「悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことだけだ」と書いたのは、アイルランド人であるエドマンド・バークだった。
今日の午後1時は、善人が何かをする機会である。それを逃せば、代償は私たちが払うことになる。
私としては、"an Irishman, Edmund Burke" というところで「くはぁ」となったのだが(これは米国や日本でバークを賞賛している「保守派」の視点からは欠落してるように思われるが)、そんなことはどうでもいい。
この抗議行動について伝える大手メディアの記事の多くが、1970年代の「ピース・ピープル Peace People」の暴力反対のデモを引き合いに出している。(実際には、ベルテレのメッセージにも入っているのだが。)
「ピース・ピープル」の活動は、1977年のノーベル平和賞を受賞した。詳細は以前に書いたものがあるのでそれを参照のほど。
以前に書いたものから、少し長くなるが、抜粋しておく。
2007年04月22日
イスラエルの「壁」で警察によって暴徒として鎮圧され負傷した北アイルランド人
……
1944年、ベルファストのカトリックの家庭に生まれたコリガンさんは1970年代に平和活動を始めた。
彼女の活動のきっかけとなったのは、非常に陰惨な事件だ。1976年8月、ダニー・レノン(19歳)というIRAのメンバーが警察の襲撃に失敗、逃げようとして車を爆走させた。その車に彼女の姉の子供たち3人が轢き殺された。ダニー・レノンは警察によって射殺された。……子供たちを失った姉は、1980年に自殺した。
コリガンさんは1976年、この事件を目撃したベティ・ウィリアムズという女性(彼女は父親と夫がプロテスタントだが自身はカトリックである)とともに、 Women for Peaceという団体を立ち上げる。これが後にthe Community for Peace Peopleとなった団体だ。
活動を開始して1ヶ月もたたないうちに、コリガンさんとウィリアムズさんの呼びかけは3万人を集めるようになった。集まった人たちはリパブリカン(カトリック系武装勢力)とロイヤリスト(プロテスタント系武装勢力)との間の和平を呼びかけ、シャンキル地区を行進した。……
リパブリカン/カトリック側は彼女たちの活動に反発したそうだ。「リパブリカンの暴力のことばかりことさらに言い立てて、ロイヤリストや英国治安組織の暴力は無視している」として。……
Tim Pat Cooganの "The IRA" (NI関連書籍のリストの1番目)の401ページによると、平和呼びかけのデモではカトリックのシスターとプロテスタントの女性たちが隣り合って歩くなどシンボリックな行動が取られ、メディアでは大きく取り上げられたようだ。一方で主に(というかほとんどすべて)IRAの暴力を非難するという彼女たちの活動はNIO(つまり英国政府)によってうまいこと利用され、その後は大掛かりな活動は続かなかったようだ。
2009年3月、今もなお、1977年当時の「ベルファストを瓦礫の山にすることになろうとも、英軍を追い出す」と主張し続けている強硬派の暴力によって3人が殺され、4人か5人が負傷するという事態が発生した北アイルランドで、その暴力に対する抗議の行動で「隣り合って歩く」という行動を取ったのは、「女性たちとシスター」という「平和主義」の枠組をはるかに超えた人々だった――ロイヤリスト武装組織UDAのリーダー、ジャッキー・マクドナルド(→写真)が、「暴力反対」を静かに訴える数千人単位の人々の中にいた。街路には、 "Combined Loyalists FOR PEACE (ANY CHANCE LADS?)" という、思わずふきだしてしまうような横断幕を掲げたロイヤリストもいた。(こんなところでまで笑いを取らなくていいんだよ。みつを)
ジャッキー・マクドナルドはメディアのインタビューに応じている。タイムズが素晴らしい仕事をしているのでタイムズで。
March 12, 2009
We will not retaliate over latest killings, loyalist paramilitary brigadier promises
David Sharrock
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5891514.ece
この記事は北アイルランド紛争について、北アイルランド情勢について関心があるすべての人に目を通してもらいたいのだが、特に絶対に目にしてもらいたい部分だけ引用しておく。これが、2009年の、ロイヤリスト最大武装勢力のリーダーの言葉だ。
He said: "Some young loyalists might become embittered and say, 'This is us back to where we were', but it is just individuals creating difficulties for both communities and they are actually bringing us together. We will have to work together to get through this and everybody just be patient and resolute."
...
He added: "The IRA literally blew our two communities apart. But what the dissidents are doing now is bringing the two communities together again.
"Everybody is speaking with one voice, everyone is hurt the same way and have got the same fears that they had separately in the past. They have got them together now.
"This is actually helping the peace process and you can see that here today. I am standing shoulder to shoulder with some members of republican groups and I do not have a problem with that."
「若いロイヤリストの中には、なめんじゃねぇと思って『俺らも昔のように』と言い出すのがいるかもしれない。だが、それは単に、個人が、両方のコミュニティに面倒なことを引き起こす、というだけだ。そういうことがあっても、実際には私たち(=両方のコミュニティ)をまとまらせることになる。私たちはこれを乗り越えるために共同で事に当たらなければならないだろう。誰もが忍耐強く、意思を固く持たなければならない」
...
「IRAは文字通り、私たち(北アイルランドの)2つのコミュニティを引き裂いた。けれども、今非主流派(リパブリカン)がやっていることは、ここでまた、2つのコミュニティをまとまらせているのだ」
「みながひとつの声で語り、みなが同じように痛みを感じ、同じ恐怖を感じている。過去においてはそれぞれ別々に感じていたのだが、今はひとつになってそれを感じている」
「これは、和平プロセスを進めている。今日ここで、それが目に見える形になっている。私はここで、リパブリカンのグループのメンバーたちと肩を並べて立っている。そしてそのことに、何の問題もない」
UDAの、文法の壊れた意味のわからないステートメントというものはいくつか読んできたが、それらは私にとっては、IRAのステートメント以上に、共感できないものだった。(「ロングケッシュ大学」卒であろうIRAの書くものは、文法はまず壊れていないのだが、本質的にはそういう問題ではなく。)
しかしながら、ジャッキー・マクドナルドのこの言葉は、読みながら震えた。それがジャッキー・マクドナルドであるがゆえに。
UDAの凶暴さは、IRAのそれに全然劣らない。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/110896975.html
"UDA" は、the Ulster Defence Association, 日本語で「アルスター防衛協会」のことです。彼らは武装活動においては the Ulster Freedom Fighters (UFF: 「アルスター自由の戦士団」) という名称を使っています。……
アルスター大学のCAINデータベース内にあるSutton Index of Deathsによると、「紛争」においてロイヤリスト武装組織が殺した1,020人のうち、UDAが殺したのが112人、UFFが殺したのが147人、RHDが8人、合計で267人です。
……(UDAとUFFの)両者合わせて259人の犠牲者のうち、「敵」であるはずのリパブリカン武装組織メンバー(つまりIRAやINLAなどのメンバー)は11人、同じ側であるはずのロイヤリスト武装組織メンバーが37人、一般市民が208人です。
※数字の出典については、引用元をご参照ください。
UDAが武装活動を停止する、武器も放棄すると宣言したのが2007年で(タイムズの写真集の6枚目を参照。笑えるほど怖いです)、武器の放棄は今もまだ、どうなっているのか不明。英国政府は期限を何度か延長し、つい最近、「あと半年だけ待つ。それが最後」と宣告している。(ブクマしてあるから興味がある人は探してください。ちょっとサボります。)
ジャッキー・マクドナルドのこの言葉に嘘がなければ、UDAの武装解除はそのうちに行なわれるだろう。そういったことも、これまでどおり淡々と、ニュースサイトで追っていきたい。
一方で、ジャッキー・マクドナルドのこの言葉が「必要」とされている状況は、確実にある。
デイリー・テレグラフの写真集から:
http://www.telegraph.co.uk/news/picturegalleries/uknews/4974922/Signs-of-the-Troubles-graffiti-and-murals-in-Northern-Ireland.html?image=2
白い壁に、"AN EYE 4 EYE / BACK 2 WAR" と、スプレーで書かれている――「目には目を/戦争に戻る」。キャプションによると、警官が殺害されたクレイガヴォンのすぐ西、ラーガン (Lurgan) で、警官殺害の前にあった軍基地襲撃事件の後に書かれていたものだ。ロイヤリストが、報復するからなと言っているのだ。
CIRAやRIRAを賞讃する落書をしているのはカトリック・コミュニティのティーンエイジャーだ、という記事を昨日か一昨日にこのブログで少し紹介したが、ではプロテスタントのほうはティーンエイジャーはおとなしいのかというと、全然そんなことはない。例えば、とても極端な事例だが、2006年5月の、バリミナでの少年襲撃殺害事件(つい先日、被告に有罪の評決が出た)が、「カトリック野郎」に対する「プロテスタント」の少年たちの暴力だったことを参照。
ジャッキー・マクドナルドのような人は、UDAのUDAとしての「規律」(→『眠れる野獣』参照)をあまり知らないかもしれないティーンエイジャーまでコントロールしなければならない。ここで「ロイヤリスト」の側が暴力に出れば、ほぼ確実に、その「少数者」が状況を支配することになる。そもそも「北アイルランド紛争」は、1960年代に、そういうふうにして始まったのだ(「800年の植民地支配」とか、「1921年の分断」とかではなく! ていうかそれらは背景、コンテクスト)。
しかしながら、CIRA & RIRA側の挑発はものすごい。彼ら非主流派リパブリカンが比較的強いデリーでは、このようなことになっている。デリー・ジャーナルから。
'Sick' graffiti slammed
Published Date: 11 March 2009
http://www.derryjournal.com/journal/39Sick39-graffiti-slammed.5055911.jp
鉄道博物館のシャッターに、「ピザ冷めちゃってますよ」、鉄道博物館の中の蒸気機関車に「2人やった、ははは」。しかもこの場所は、デリーの「プロテスタント」のエリアとデリー市街を行き来する橋からよく見えるのだそうだ。
むろん、記事タイトルにあるように、デリーの人々はこれを「とんでもないこと」と非難している。
ここで思い出したのが、火曜日にガーディアンのCiFに出た、1974年生まれのベルファスト出身の人の文章だ。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/mar/10/northernireland-northernireland
Like so many of my generation, I got out as fast as I could: to university in England, to a new life in Dublin and, eventually, to New York, where I live now.
同世代の多くの人たちと同じように、私はできる限り早く北アイルランドから出た。イングランドの大学に行き、ダブリンで新生活をはじめ、最終的にはニューヨークに来た。
つい最近、故郷のベルファストに戻って活動の拠点としたデイヴィッド・ホルムズ(音楽家、1969年生まれ)は次のようなことを言っていた。
http://nofrills.seesaa.net/article/107092476.html
「俺がここで育ったころはひどかったからね」と彼は言う。「1970年代のOrmeau Roadは、本当に暗いところだった。でもほんとに好きだったけどね。……
I used to run clubs in the art college, and the sense of escapism was electric.
10代の人たちが、「ロンドンで勉強したい」とか「ダブリンでキャリアをスタートさせたい」とかいう理由ではなく、「ここから脱出したい」という理由で、それも「都会のほうがいい」とか「チャンスが欲しい」とかではなく、「紛争があるから」とか「暴力があるから」といった理由で、ロンドンやダブリンに向かうようなことは、もうなくなってほしい。
一応、「あっち側」の発言についても触れておきます。
Teenager arrested for constable's murder has an alibi, claim parents
By David McKittrick and Lesley-Anne Henry
Thursday, 12 March 2009
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/teenager-arrested-for-constablersquos-murder-has-an-alibi-claim-parents-14222625.html
見出しは、警官殺害で逮捕された10代の子の家族のコメントですが、下のほうにDavid McKittrickが取材したと思われる、CIRA関係者(正確には、CIRAの政治部門と考えて差し支えないRSFのスポークスマン)の発言が掲載されています。日本語化はしません。Mr Carrollは、殺害された警官です。
Meanwhile, a spokesman for the political wing of the Continuity IRA (CIRA) has said that the shooting dead of Mr Carroll was not murder.
Despite the strong wave of condemnation which followed the shooting, Richard Walsh, publicity director for Republican Sinn Fein, said: "It's inevitable that this was going to happen.
He said: "I certainly don't recognise it as murder, no."
On the declaration of Martin McGuinness that those who carried out the killing were "traitors to the island of Ireland", he responded: "Well, I think he'd need to look closer to home for who are the traitors, frankly."
"I haven't really heard any real reaction to it other than what's in the papers, and I think a lot of that is scripted, to be honest, choreographed. I wouldn't say I'm surprised by it."
なお、"Republican Sinn Fein" は、ジェリー・アダムズとマーティン・マクギネスの Sinn Fein ではありません。詳細はNI FAQのほうに書いたものをご参照ください。
※この記事は
2009年03月12日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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