土曜から月曜の3日間で、3人が殺された。いずれの死についても、「あの時代」から命脈を保ち続けている小規模な武装組織が犯行を認めている。「あの時代」と違うのは、それがごく一部、ごく少数の間でしか共有されていないということだ。それが社会全体に響き渡るような前提条件は、今はない。「カトリック」が「公民権」を求めてデモをしたり、「当局」が「カトリック」を拘束したり、「カトリック」の「襲撃」に備えて「プロテスタント」が「自警」の活動をしたり、といった状況はない。「大義」のために(と考えて、あるいはそういう口実で)アーマライトを手にするという行動は、もはや、「普通の若者」にとって現実的な選択肢ではない。
という状況が、ベルファストの街角から報じられている。ガーディアンの記事:
'We are scared' - Good Friday generation fears return of the gun
Esther Addley in Belfast
The Guardian, Wednesday 11 March 2009
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/11/northern-ireland-violence-fear
記事はまず、今のベルファストのロード・メイヤーは(これは、あくまでも「英国」の制度だが、アイルランド共和国にもある)シン・フェインの人である、という記述から始まる。
ベルファストのロード・メイヤーについて:
http://en.wikipedia.org/wiki/Lord_Mayor_of_Belfast
ベルファストのロード・メイヤーに選ばれたのは、1920年(アイルランド独立戦争の時期)以降、1978年から79年の1期(アライアンス党)を除いては、1997年までずっと一貫して「ユニオニスト」の人たち(UUP, DUP)だけだった。それが、「北アイルランド和平」が現実のものとなりつつあった1997年から一変する。
1997年にロード・メイヤーになったのは、SDLP(ナショナリストの政党)の人だ。その後、アライアンス党、UUP, DUP, UUPと続き、2002年にはシン・フェインのアレックス・マスキーが、そして2008年には、現在のロード・メイヤーであるトム・ハートレイが選ばれている。2人とも、若いころにIRAでの活動歴がある。マスキーは1980年代からシン・フェインの政治家として活動しているが、ハートレイは1981年ハンストのときに "the POW Committee" の委員長を務めるなど、相当ガチな経歴を有する人である。
ガーディアンの記事は、そのハートレイがつい最近、未曾有の経済危機の中にあっても、ベルファストは再開発もどんどん進められており、2009年はこれまでにないほど素晴らしい年になるでしょう、といった演説をした、ということから始まる。
実際、ベルファストの中心部はきれいに整備され、昨年の夏にthe Flaming Lipsがライヴをしたカスタム・ハウス・スクエアもそうだし、それに隣接する通りであるヴィクトリア・スクエア(→PDFで提供されているベルファストの地図)はほんとに「考えられないほど」きれいになっている、という。(ガーディアンの記事には、「こんなにたくさんのガラスを使った建築物ができるなんて」というようなことが書かれているが――「あの時代」においては、ガラスといえば「ボムの爆発で割れて散乱するもの」だった。)
しかし、と記者は書く。「昨日(10日火曜日)の午後4時、学校は終わっているので学生が町に出ていたが、それでも町には活気がなかった。ショッピング・センターには人が少なく、BGMだけが響いていた」。
これが、単に平日だったからなのか、土曜日から月曜日の一連の出来事と関係があるのかは記事に書かれていないからわからない。ともあれ、記者はこのショッピング・センターで一般の人々に話をきく。
記事の最初のインタビューは、軍基地襲撃事件のあったアントリムから来たウィリアム(21歳)と弟のアンドリューだ。
ベルファストにはあまり来ないし、来るとどうも落ち着かないものだけれど、3日で3人が殺されたことでよけいに緊張している、と彼は言った。「みんな怖がっているし、僕たちも怖いです。誰も、『紛争 the Troubles』に戻りたくはないです」
アルスター(北アイルランド)のかつてのひどい流血についてほとんど記憶のない「グッド・フライデー世代」(1998年のグッド・フライデー合意の世代)にとっては、この3日間の殺害事件は途方もなくショッキングなものだ、とアンドリューは言った。「こんなことは何年も前ならかなり普通にあったことだと思う人が多いかもしれませんが、僕としてはものすごい衝撃です。本当に怖い」。土曜日の夜遅く、軍基地襲撃のあったアントリムの道を車で走っていた彼は、道路の封鎖や大勢の警官を見て、誰か有名人がアントリムに来ているのだろうと思った、という。
アンドリューの年齢は記事には書かれていないが、21歳の人の弟なのだから20歳以下。この兄弟の世代にとっては、グッド・フライデー合意(1998年)は「小学校低学年」のときの出来事だ。ということは、あの徹夜の交渉とかも「なんかニュースでずっとやってること」という印象だっただろう。(ちょうど私の世代にとって「キオクニゴザイマセン」が「なんかニュースでやってること」でしかなく、それを言うと大人が「まあ!」みたいに反応するから、といった理由で流行したフレーズであったように。むろん、その背景にあった社会状況の切羽詰った深刻さというのはまったく違うものであるけれども。)
一方で、クレイガヴォンの警官殺害で身柄を拘束されたのは17歳と37歳の男性だという。(身柄拘束の詳細は明らかにされていないし、何時間か経っても追加の警察発表が出ていないようなので、単に「事情を聞かれている」だけかもしれないが。クレイガヴォンでは、エステートに住んでいる女性が何かよろしくないことが起きていると警察に通報し、それに応じて現場に行った警官が、エステート内のどこかから撃たれている。)
そして、この記事の掲載された前日のガーディアンには、Bored teenagers blamed as lurid graffiti makes comeback in Northern Ireland after attack at barracks という記事も出ていた。CIRAだのRIRAだのの無駄に勇ましいスローガンをそこらの壁に書いているのは「他にやることのない(退屈した)ティーンエイジャー」だというレポートだ。(そういうティーンエイジャーが壁に書くのが武装組織のスローガンでなければ、世界のどこにでもある現象かもしれないが。)「あの時代」の熱気を話に聞いて「オヤジの時代はよかったんだなあ」とうらやましく思う、ということだと思うが。
ガーディアンの記事に戻る。
記者は続いて、コーンマーケット(ロンドンのコヴェントガーデンのような場所か)にいた16歳の3人組に話を聞く。彼らにとってはこの3日間の出来事は、非現実的すぎてよくわからないのだという。
「ひどいことですよね」とEadaoinは言う。「でも前のときみたいにひどくはならないと思ってます」。どうしてかと訊くと彼女は「だって私たちがそうなることを望んでいないのですから」と言う。Eadaoinの友人のOrlaithは、「うちの母親がその話をしてくれたことがあるんですけど、一度、街に来てたときに爆弾が側で爆発して、道路に一面の瓦礫が、ということがあったそうです」と言う。
一方で、記者が話を聞いた人たちの中には、この出来事が生々しく聞こえる人たちもいる。上の世代だろう。
But for all those still young enough to be shocked by murder, there are plenty for whom the language of violence remains all too familiar, and yesterday they dusted off the rusty phrases - "tit for tat", "reprisal" - to express their own nervousness about the apparent vulnerability of Belfast's peace swagger.
しかし、ショックを受けるには若すぎる人々がいる一方で、暴力の言葉は依然としてあまりに生々しく感じられるという人々も多い。そういう人たちは、昨日、すっかり埃をかぶっていた昔の言葉を――「やられたらやりかえせ」とか「報復攻撃」といった言葉を――引っ張りだして、喧伝されるベルファストの平和というものの脆さについての懸念を語った。
軍基地の事件直後、本当にすぐに出された記事に、ロイヤリストの武装組織の政治部門の指導者(UDA関連のUPRGのフランキー・ギャラガー、UVF関連のPUPのドーン・パーヴィス)が「報復はしてはならない」というロイヤリスト武装組織への呼びかけを行なった、ということが書かれていて、私は東京で「ロイヤリスト、動くの早いな」と淡々と思ったのだが(ここで「報復」と称して一発でも銃弾を発射したら、いまだに「武装解除」を進展させていないUDAやUVFへのプレッシャーはますます高まるし、とか)、このガーディアンの記事を見ると、ロイヤリストの「報復はしてはならない」という呼びかけは、私が思ったような政治的な計算(ごく当たり前に必要なもの)である以上に、現実的に必要なものだったのだろう。(ここで私は、昨年のNI映画祭で見た『眠れる野獣』という映画のフレディの行動を思い出す。映画はフィクションだが、まったくの絵空事ではない。そしてこの映画の脚本を書いたユニオニスト・コミュニティの劇作家が、『Hunger』が国際的に非常に高く評価されていることにたぶん嫉妬して「連中は注目される」ということを言って、ボビー・サンズ・トラストがそのことをあまりよくないアプローチで紹介していたことも……『眠れる野獣』はもっと取り上げられるべき作品だと個人的には思う。)
ガーディアン記者が話を聞いたタクシー運転手のマイケルさん(東ベルファストの人)は、「素早く対応しないと、これはほんとにあっという間にエスカレートする可能性がある」と語っている。
"It could slowly slip ... not back to where we were. I don't think it will go back to where we were. Mind you, I've been wrong before. I hope it won't go back to what it was."
The most persuasive argument against such a collapse, he said, was the shiny structure in front of him. "Look at this street. It was nothing 10 years ago. Nobody wants to go back."
「ゆっくりと滑り落ちていくかもしれない……ただかつてあったところにではなく。昔の状況に戻るとは思いません。でもね、私の考えは外れることもありますからね。昔の状況に戻るようなことがないよう願ってる、ということです」
そのようなことになるわけがない、ということについて最も説得力があるのは、目の前にあるきらびやかな建物だ、と彼は言う。「この通りを見てごらんなさい。10年前にはこんなにきれいじゃなかった。誰も昔に戻りたいなんて思ってませんよ」
ずいぶん前に武装した男たちがタクシーを襲ったということがあったときに、Slugger O'Tooleで「非常に良くない兆候だ」という話があった。1970年代からずっと、真っ先に狙われるのはタクシーで(強盗、車の乗っ取りなど)、「タクシーが襲われた」という事件は非常に暗い予感と結びついているということだった。
それだけに、このマイケルさんの発言には、「心配のしすぎですよ」と済ませられない何かを感じる。なお、東ベルファストといえば一般的には「ロイヤリストの牙城」だ。昨年11月の英軍パレードのときにロイヤリスト武装組織の旗が掲げられたが、そのひとつは東ベルファストのものだった。
記事の最後は、ベルファストの再開発された通りに、警察のランドローバーが出ていて、通行人がときどき目をやっている、という記述だ。警官は防弾チョッキに拳銃を腰に下げている(「紛争」の時代は、通りのパトロールといえば「拳銃」ではなかった)。警察の車の中にいるのは、(「暴動に参加した若者」ではなく)スウェットの上下を着た12歳くらいの男の子で、(迷子になったのか何かわからないが)泣いている。近くでは警官のひとりが、高齢の男性が歩くのを手助けしている。ごく当たり前の、平凡な光景。それがいつまで続くかわからないけれども、という内容で記事は結ばれている。
これを書きながらfinetuneで音楽を流していたら、The Byrdsの "Turn! Turn! Turn!" が。
A time to build up, a time to break down
A time to dance, a time to mourn
A time to cast away stones, a time to gather stones together
To Everything (Turn, Turn, Turn)
There is a season (Turn, Turn, Turn)
And a time to every purpose, under Heaven
A time of love, a time of hate
A time of war, a time of peace
A time you may embrace, a time to refrain from embracing
To Everything (Turn, Turn, Turn)
There is a season (Turn, Turn, Turn)
And a time to every purpose, under Heaven
2007年5月8日、トニー・ブレアによる「北アイルランド和平」の総仕上げ、ストーモントでの北アイルランド自治という制度の再起動のセレモニーで、かつては「憎悪」の言葉で自分の側の結束を高め、「宗派間」の対立を煽っていたDUPのイアン・ペイズリー(当時NI自治政府ファーストミニスター)が、その宗教家としての雄弁さでもって壇上で語ったことばが、"A time of love, a time of hate, a time of war, a time of peace" だった。(これは聖書からの引用。)
「愛の時、憎しみの時、戦いの時、平和の時」。イアン・ペイズリーは「今は愛の時であり、平和の時である」と、説法の熱を混めて、語りかけたのだ。ペイズリーは昨年引退したが、その後を受けたピーター・ロビンソンだって、今でこそビジネスマン然としているが、25年前はすごかったのだ。その前はアイルランド共和国に「武力侵攻」したこともあったし、決して常に "man of peace" であったわけではない。でも a time of peace の時代の政治リーダーだ。
※「25年前はすごかった」ロビンソンの写真を再掲しておこう。左の写真が現在、右のカラシニコフを構えた写真が25年前(イスラエルにて):
Troubles compensation an insult to victims, says First Minister - Local & National, News - Belfasttelegraph.co.uk via kwout
(しかし "Turn! Turn! Turn!" の次にかかったのが "TDTWWA" ってのはなあ……自分で作ったプレイリストだけど、えー。)
タグ:北アイルランド
※この記事は
2009年03月11日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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