「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月09日

英軍基地襲撃、Real IRAから犯行声明が出たようです。

私は寝るのを諦めた。Slugger O'Tooleはいつも以上に重いどころか、全然つながらない。だから今開いてあるSluggerのタブを閉じることができない。読みたい人もいるだろうから、この事件についてのエントリの部分だけキャプチャを取った。アクセスが可能になったら画像は消すつもりだけど、それまでは代用ということで左記リンクからどうぞ。(縦の長さが3500ピクセルくらいあります。)

それから、8日の夜11時ごろ(日本時間。GMTだと8日午後2時ごろ)にブクマしたBBCの記事が、17:59 GMT, Sunday, 8 March 2009(日本時間だと9日の午前2:59だよね)に上書き更新されて、こんなふうになっている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7930995.stm

bbcni8march.png

つまり、ダブリンの新聞社に、了解されている通りのコードネームを使って電話が入った――犯行声明がReal IRAから出た。

記事をざっと見たが、どの新聞社なのかはこの記事ではわからない。

それと、危篤状態にあるのはピザのデリバリースタッフでポーランド人。こんなことで死ぬな、生きろ。

BBCの記事には末尾にUDAの政治組織のリーダー、フランキー・ギャラガーのコメントがある。この事件でUDAとUVFの「武装解除」はまた遠のいた、とも思う。ロイヤリストのパラミリタリーに武装解除しない理由を与えてしまった。

BBC Newsのトップページをリロードしてみたら、トップにこのニュースが来ている。さっきまでバグダードでの警察を標的としたボムで28人が死亡した事件がトップだった(これもひどい)。



以下、「Real IRAの犯行声明」について。


Real IRAの犯行声明の件、タイムズ記事:

March 8, 2009
Real IRA says it killed soldiers outside barracks in Antrim
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5870376.ece
Tonight, using a recognised codename, the Real IRA claimed responsibility for the attack in a call to the Sunday Tribune, an Irish newspaper.


サンデー・トリビューンか……
http://www.tribune.ie/

予想はしていたけれど、つながりゃしない。

Google Newsで「サンデー・トリビューン」に犯行声明電話があったという報道はほかにもいくつも確認できるので、今のところはここで諦めよう。

ていうか、アイルランドでもRTEでも絶対につながるはずだ。……あったあった。


Real IRA claims responsibility for attack
Sunday, 8 March 2009 19:37
http://www.rte.ie/news/2009/0308/massereene.html

It has been reported that the Real IRA has claimed responsibility for last night's attack in which two British soldiers were shot dead in Co Antrim.

It is understood the dissident republican group made a phone call to a journalist in the Sunday Tribune newspaper and used a recognised codename.


サンデー・トリビューンで仕事をしているジャーナリストにコードネームで連絡が入った、と。これは100パーセント、疑いの余地なく、ガチでしょう。

ガーディアンが、前の記事と同じURLで上書き(追記)更新:

'Real IRA claims' murder of soldiers in Northern Ireland
http://www.guardian.co.uk/uk/2009/mar/08/northern-ireland-soldiers-killed-antrim
A journalist at the Dublin-based Sunday Tribune's office in Belfast said that the newspaper took a call claiming responsibility for the attack by the Real IRA's Antrim brigade. The caller used a recognised codeword.


つまり、サンデー・トリビューンで書いているジャーナリストのベルファストのオフィスに電話があった、と。

AFP:
Real IRA ‘claims’ deadly British army attack
Sunday 08 March 2009
http://www.france24.com/en/20090308-real-ira-claims-deadly-british-army-attack-report-northern-ireland-barracks#

Suzanne Breen, a reporter with the Irish Sunday Tribune newspaper, said she received a telephone call from a man who made "no apology" for the attack northwest of Belfast which killed two soldiers Saturday night.


つまり、サンデー・トリビューンのスザンヌ・ブリーン記者が犯行声明電話を受けた。男の声で、「謝罪はなかった」という。

ブリーン記者は、nuzhoundが配信する記事で名前を見る記者なのだけど、西ベルファスト発のニュースなど、リパブリカン方面のニュースが専門だ。(ロイヤリスト方面ではなく。)

しかし、記事が多すぎてどうしたらいいのかわからない。北アイルランドについて、こんなに情報の洪水になったことなんて、私がネットに常時接続するようになってからなかったことだ。シン・フェイン上層部にいながら英国のスパイだったことが判明したデニス・ドナルドソンが殺害された事件でも、Provisional IRAが武装闘争終結を宣言したときも、PIRAの武器の放棄が確認されたときも、これほどではなかった。しかも各記事が次々と上書き更新されている。

そういうときはしばらく回線を切って寝る、ということにしているのだけれども、眠れない。

しかし、Real IRAか……あの人たちはガチすぎる("nothing can stop us" 的な意味で精神的にどうということもあるけれど、それよりむしろ、すぐに使える武器の類を持っている点、それを使うスキルがある点)。「諜報担当として特殊部隊導入」の件が、ある意味「挑発」として作用したのかもしれない。



追記:
Real IRAについて、少し書きました。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/115417741.html

※この記事は

2009年03月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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