「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年03月09日

北アイルランド、英軍施設襲撃事件の詳細(メモ)

CNNだが、日本語で記事があった。

北アイルランドの英軍基地で発砲事件、英兵2人死亡
3月8日12時42分配信 CNN.co.jp
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090308-00000000-cnn-int
(CNN) 北アイルランドのアントリム州にある英軍基地で7日夜に発砲事件があり、英兵2人が死亡、4人が重傷を負った。警察が明らかにした。

負傷した4人のうち2人は英兵、残り2人は民間人で、アントリム州内の病院に搬送された。

アイルランドの公共テレビ放送RTEによると、事件は午後9時40分頃に発生し、現場を通りかかった車から銃が発砲された。警察は、犯行声明は今のところ出ていないとしている。

複数の目撃者によると、事件当時にはピザが宅配されていた。犯人は兵士と配達ドライバーらを襲撃したという。南アントリム選出の北アイルランド議員によると、基地はアフガニスタン駐留部隊の技術担当連隊の拠点。

……北アイルランド警察の幹部が先日、活発化しているカトリック系過激派グループの活動について英軍情報部に調査支援を要請するなど、域内の緊張が高まっている。


短いが、非常に的確な記事だと思う。ただ英メディアの書いていることから見ると、「発砲事件」というよりは明確に「射殺」だ。

March 8, 2009
Soliders were killed execution-style as they lay on ground in Ulster attack
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5867499.ece

警察が、死亡した英兵2人は、(おそらく負傷して)地面に倒れているところを "execution-style" で撃たれた、と述べているという。(最初に乱射されたときに伏せただけで負傷はしていなかったかもしれないが、現時点でわかっていることからは、負傷していたと考えるほうが妥当な感じ。)

リパブリカンの行動について execution (処刑) という言葉が用いられるそのニュアンスは、ちょっと説明しがたいのだが、タイムズのこの記事によると事件の経緯はこうだ。

土曜日の夜9時20分ごろ、アントリム近郊(ベルファストから16マイル)のthe Massereene Barracksから、地元のドミノ・ピザに2件の別々の注文が入った。この基地(駐屯地)は、英陸軍の38 Engineer Regimentの拠点だ。

その20分後の9時40分、ピザ屋の店員が2人、相次いで配達にいったときに(注文が2件あったので店員も2人)、少なくとも2人のガンマンが車から「無差別に発砲」した。

The gunmen fired one burst with automatic weapons then walked forward and shot the victims as they lay on the ground. The two soldiers who were killed were both aged in their early twenties and were due to fly to Afghanistan on active service in the coming days.

ガンマンたちは自動火器から1発を発射し、それから前に進み出て、倒れている兵士たちを撃った。殺された2人の兵士はいずれも20代はじめで、近くアフガニスタンでの任務に赴くことになっていた。

As well as the pizza delivery men, who police also said were very young, two other people were injured in the attack. One of the injured is critical, two are serious and one is serious but stable.

ピザ屋の配達員も非常に若いとのことだが、彼らとほかにもう2人がこの攻撃で負傷した。負傷者のうち1人は危篤状態、2人は重態、1人は重傷だが安定している。


BBCのIn Pictures:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/7931146.stm

ピザ屋は(バイクではなく)乗用車で配達をしていて、その車が被弾している様子がわかる。1台は黒い車で後部から、もう1台は赤い車だがこれも後部から被弾している(ナンバープレートのあたり)。襲撃者が使っていた車と思われるヴォクソール・キャバリエ(普通の乗用車)の写真もある。

テレグラフの記事はさらに生々しい。軍人や元軍人によく読まれているテレグラフだから、このような形で軍に死者が出たことについての書き方というものはあるが、襲撃直後にたまたま現場近くを通った人の証言がある。

Antrim soldiers shooting: Eyewitness describes terrible aftermath
By Daily Telegraph Reporter
Last Updated: 12:23PM GMT 08 Mar 2009
http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/northernireland/4956947/Antrim-soldiers-shooting-Eyewitness-describes-terrible-aftermath.html

襲撃された施設は、街の警察署から半マイル(800メートルほど)のところにあり、Randalstown Roadという道に面している。

施設の写真はデイリーメイルの記事にある。大通りに面したところに門があり、ここで注文したピザの受け取りが行なわれているときに、襲撃があったのだろう。なお、地図はBBC記事にある。襲われた軍施設は、Loch Neaghの東北に接する区域、アントリムの町の本当にすぐ側にある。

匿名を条件に取材に応じた目撃者は、襲撃直後、まだ道路が封鎖されないころに現場を通りがかった。この人は次のように述べている。

"One of the soldiers must have been killed instantly. He was lying spread-eagled in the road with blood pouring from his head, yet none of the police or medics were attending to him.
「兵士の一人は即死だったに違いない。手足を広げて道路に倒れていて、頭から血が流れていたが、警察も救急隊員も彼のことはみていなかった」

"There were several other bodies lying still in the road and there was blood everywhere, it was horrific. The whole place was complete chaos.
「道路にはほかにも何人かが倒れていて、そこらじゅうに血が飛んでいて恐ろしい有様だった、一帯が完全なカオスだった」

"A car was parked in the lay-by of the barracks by the man who was obviously dead – that's the image that sticks in my head. Other bodies were strewn around, but I couldn't tell who was dead and who was alive.
「軍施設の一時停車のスペースには1台の車が停まっていて、その側に人が倒れていたが、死んでいるようだった。そのイメージが頭から離れない。ほかにもあちこちに人が倒れていたが、誰が死んでいて誰が生きているのかはわからなかった」

"I had been driving into Antrim town, going down the Randalstown Road at around 9.40pm when two police cars flew past me. When I got to the barracks there were loads of police cars already there, but they hadn't closed the road yet - it must've happened minutes before I got there.
「私はアントリムの町に向かって車を走らせていた。9時40分ごろにRandalstown Roadを走っていると、2台のパトカーが高速で追い越していった。軍施設のところにたどり着くと、既に警察の車が何台もいたが、道路の封鎖はまだだった。事件が起きたのは、私がそこを通る数分前だったに違いない」


この目撃者は、もうしばらく車を走らせたところで警察に止められ、何か見なかったかといったことを質問された。このとき、その場所で聞き込みを行なっていたのはその警官ひとりだったそうだ。その間も、何台ものパトカーが現場に向かっていた。

目撃者は、「このようなことはすべて過去になったのだと思っていたのに、こんにちの北アイルランドでまたこのようなことが起きるとは」と語っている。実際、「北アイルランド紛争」で英軍兵士が殺されたのは、1997年(Provisional IRAの停戦前)が最後だった。(アルスター大学CAINデータベースで確認すると、1997年2月12日にアーマー州の検問所で兵士ひとりがPIRAに射殺されている。軍の犠牲者としてはこれが最後だった。ただし、英軍兵士でない人たちはその後も多く殺されている。)

警察は今回の襲撃のことをan attempt at mass murder (大量殺人をしようとしていた) と述べていて、英国政府のショーン・ウッドワードNI担当大臣などはオマー爆弾事件まで持ち出してきているのだそうだが、普通の街の普通の商店街でのオマー爆弾は誰が何といおうと明確にan attempt at mass murderであったにせよ、今回の軍施設襲撃についてはmurderはmurderだが、オマー爆弾とは違うだろうと思わざるを得ない。(おそらく言いたいことは、「Real IRAのような和平に反対する勢力は云々」ということなのだろうが。)

それでも、ピザを注文して射殺された20代の兵士2人が、2007年7月31日に終了したOperation Bannerに深く関わっていたとは考えられないし、そもそも今NIにいる英軍は、対NIのミッションでではなく、アフガニスタンなどでのミッションのための訓練などをするためにNIの基地にいる。(ただし、つい数日前にNIにいることが明らかになった特殊部隊は別だが。)

それにも関わらず、軍の施設が狙われ、兵士(と、仕事のためにたまたまそこに居合わせたピザ屋の店員)が「標的」とされたことは、「武装闘争」のコンテクストでいえばlegitimateなことなのだろう。個人的には理解に苦しむが。

BBCの記事から:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7931260.stm
During the Northern Ireland conflict, the republican paramilitaries warned they would kill anyone who worked or provided services to the police and Army.

Victims included petrol station staff, cooks and caterers and construction workers.

北アイルランド紛争においては、リパブリカン武装勢力は、警察および軍に勤務する者、サービスを供給する者は誰でも殺すと警告していた。犠牲者にはガソリンスタンド店員、調理人やケータリング担当者、建設作業員などが含まれる。


(例えばイラクでも「米軍の通訳者」は「正当な標的」という理由で殺されているが、同様のことだ。)

政界の反応、背景の(現時点での)分析などはまた別のエントリに。

正直、きついです。なぜ今また、こんなことが。

※この記事は

2009年03月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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