「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年03月06日

北アイルランド、テロ警戒レベル引き上げ&英軍特殊部隊が送り込まれている。

英外務省が「政党としてのヒズボラ」を認める声明を出したそうだ。北アイルランドに関して、ビル・クリントンが大統領だったときの米国によって、「シン・フェイン」と「Provisional IRA」が形式上切り離されて扱われたことが、どういう働きをしたかといったことを思い浮かべつつ、話は北アイルランドへ。

今もなお「武装闘争」主義を持ち続けているリパブリカン (非主流派リパブリカン: dissident Republicans; Real IRAとかContinuity IRAとかいろいろ) の活動に対する英当局の警戒が高まっている。

Dissident threat level is raised
By Vincent Kearney
Home Affairs Correspondent
Page last updated at 18:00 GMT, Wednesday, 4 March 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7924637.stm

非主流派リパブリカンに関して、MI5による「テロ警戒レベル」が、substantial (攻撃が行なわれる可能性は高い) から、severe (攻撃がありそうだ) に引き上げられた。

BBC記事には、記事を書いたVincent Kearneyのレポートの映像が埋め込まれている。この数年間は substantialだったが、それが severe に引き上げられた、という説明のあと、先月300ポンドのカーボムが発見されたに言及しつつ、「しかしながらレベルの引き上げはあの1件のボムによるものではなく、水面下で何が起きているかを何ヶ月間も監視してきた結果である」と説明、そして、「彼らの組織は規模としては小さく、中央からの司令系統はないと私(=記者)は認識しているが、情報筋によると組織としてはより高度になっている集団もあるとのことだ。また活動も活発化している。警察はこの数ヶ月で何件もの摘発を行なっている」。

その後、英下院での北アイルランド問題についての質疑応答の場で、ウッドウォードNI担当大臣が、北アイルランド警察とどのような話をしているかといったことを下院議員に説明し、非主流派に対し「全面的に拒否する」というメッセージを発する場面。そして、NIの道路の検問の資料映像と、非主流派の活動のデータ。昨年最後の3ヶ月間で検問で中を調べた件数は2500件ほどにのぼり、これは前年比245パーセントの上昇(うは)だという説明。

続いて、地図が出てきて、非主流派の活動域の説明。ベルファスト西部、北部、そしてクレイガヴォン (Craigavon)、アーマー (Armagh)、ニューリー (Newry)、ダンガノン (Dungannon)、ストラバーン (Strabane)、デリー (Londonderry)……ときて、中でもリスクが高いと警察が見ているのがファーマナ (Fermanagh) である、と。そしてファーマナのUUPのカウンシラーが、「警察ではテロ警戒の仕事の割合が増している。彼らが警官を殺そうとしていることの影響もある」ということを説明。そして最後は、「明日ポリシング・ボードと話し合いが」といった結び。

で、この記事にも映像レポートにもまったく出てきていないのだが、「またですか」感にあふれた話はこれだけではない。

Special forces monitor dissidents
Page last updated at 21:56 GMT, Thursday, 5 March 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7927178.stm

1997年のIRA停戦で北アイルランドから去った軍の特殊部隊が、最近戻ってきてるのだそうだ。SDLPが懸念を示したことで表に出てきたらしい。(SDLPはイームズ&ブラッドレーの勧告のときは「社会正義」という建前で「正義」を忘れるというぐだぐだっぷりを見せてくれたが、これはSDLPらしい、いい仕事。)

Members of the Special Reconnaissance Regiment, which has been at the forefront of the intelligence war in Afghanistan and Iraq, have returned.

The SDLP's Dolores Kelly said using special forces raised questions.

The Policing Board member said there was no doubt that there was "a level of dissident threat and it is serious, it should not be dismissed or under-estimated and it requires a full policing response".

"It was always the plan of the NIO and British Government to have the option of deploying recon units," she said.

"But units like these are the very people around whom the most serious questions arose in the past.

"The SDLP will be seeking an urgent meeting with the PSNI, to clarify their role in this and have already raised the matter by phone with the Irish government. We will be seeking an early meeting in Dublin."


The Special Reconnaissance Regiment(特殊偵察部隊)というのは、2005年4月に発足した対テロ特殊部隊で、世界各地で極秘の偵察・監視 (covert special reconnaissance and surveillance) を行なっている。組織としてのモデルは1970年代に北アイルランドで活動していたJCUだそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Special_Reconnaissance_Regiment

で、このSRRについては詳細は明らかでないのだが、2005年7月22日のストックウェル事件(テロ容疑者の北アフリカ人と誤って断定されたブラジル人電気技師が、地下鉄で射殺された事件)の情報収集担当がSRRだったとか(人違いで射殺されたブラジル人が住んでいたのと同じ建物にテロ容疑者がいたことは確か)、2005年9月にイラクのバスラでアラブ人のコスプレをして何やらごそごそしていてバスラ警察に捕まった英軍人は、実はSASではなくSRRだったとかいう話もある(バスラの一件では、捕まった英軍人を取り戻すために、英軍が戦車でバスラ警察を砲撃するというものすごい事態になった。結局インクワイアリーは行なわれていないので真相不明のままだと思う。私はSASだという報道をテレグラフなどで見た記憶があるが、英軍が「はい、あれはSASでした」と言うわけもなく、つまりよくわからない)。

このSRRの隊員が、つまり特殊部隊が、北アイルランドに「戻って」きている(「戻って」というのは、「英軍特殊部隊が」という意味で。1997年まではSASやらJCUやらが活動していた)ということについて、ポリシング・ボード(警察委員会)のメンバーであるSDLPのドロレス・ケリー自治議会議員が懸念を示した。彼女は、「確かに非主流派リパブリカンの脅威はあり、それは深刻なもので、軽く見るべきではないし、警察が全力を挙げて取り組む必要がある」としながら、「偵察部隊を送り込むというのは英国政府としては常に選択肢であったのだが、あのような部隊が、過去において最も深刻な問題の中心にいたではないか」と述べた。SDLPとしては北アイルランド警察と緊急に会合を開き、SRRの役割を明確にし、またアイルランド共和国政府とも話しあいたいとしている。

記事の最後にちょろっと書いてあるのだが、北アイルランドにおける対テロ軍事作戦(オペレーション・バナー)は、2007年7月末に、正式に終了している。オペレーション・バナー終了後の北アイルランドの英軍は、対テロではなく普通の「基地に駐屯」の英軍であるはずだ。それにも関わらず、英軍が特殊部隊を送り込んでいることは、問題がまったくないわけではなく、物議をかもすだろう。

と書いている今日、3月6日は、Death on the Rockの日だ。1988年3月6日、ジブラルタルでIRAメンバー3人が、SASによって射殺された。当初は「銃撃戦の末」と報じられたのが、「武装していた」になり、最終的には「排除すべき脅威だと受け取った」になったのだが、射殺された3人は武装しておらず、また、SASの任務は射殺ではなく身柄確保だった……その話はNI FAQの方に書きます。



NIのこの件とは直接関係ないけど、冒頭にリンクした記事に次のようにある。掲載媒体はアブダビのメディアである。

For Britain to recognise Hizbollah's political wing marks a significant change in policy that would seem to recognise the difference between armed resistance, often characterised by the west as "terrorism", and the significant political role played by Hizbollah in Lebanon and its ally Hamas in the Palestinian territories.

※この記事は

2009年03月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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