「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年03月06日

軍の参謀総長暗殺、直後に大統領暗殺、そしてそこにいたのは……

今月2日、アフリカのギニアビサウ共和国で、大統領が暗殺された、というニュースがあった。軍のトップが暗殺された直後のことで、怒った軍が報復したらしかった。
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/guineabissau/4926469/President-of-Guinea-Bissau-killed-by-army.html

しかしながら無知な私は、その「ギニアビサウ」が「ギニア」や「赤道ギニア」ではないということは知っているという程度で、場所も「何となくあのへん」(つまりアフリカ大陸の西の出っ張ってるところの沿岸のどこか)ということしか知らず(地図見てもどこなのかわからない国のひとつ…orz)、大統領暗殺の報道にも特に関心を掻き立てられることもなく(ごめんなさい)、今ごろになってから外務省の基本情報のページを見ている。ふむふむ、1973年にポルトガルから独立、80年にクーデターで「革命評議会」な国になり、84年に「革命」が「国家」になり、その後は一党独裁から複数政党制になるもクーデター未遂があり、軍の反乱が発生し、99年には80年から大統領の座にあったヴィエイラが亡命、2003年にクーデターで暫定政権、05年大統領選挙で、99年に亡命していたヴィエイラが当選……で、この大統領が今回暗殺された、と。

外務省のページから:
独立後しばらくは親東側路線であったが、ヴィエイラ政権以降経済再建重視の政策をとり完全な欧米先進国寄り路線に変更。……


ふむ。そして地理的には、東と南はギニアに接し、北はセネガルに接し、西は海。

ふと見ると、3月2日の大統領暗殺について、日本の外務省報道官が談話を出している。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/21/dga_0302.html

ここの「参考」がコンパクトだ。
1. 各種報道によれば、3月2日午前4時頃(日本時間2日午後1時頃)、ヴィエイラ大統領は、タグメ参謀総長側近筋のグループにより自宅近くで殺害された模様。

2. これに先立ち、タグメ参謀総長は、3月1日午後8時頃(日本時間2日午前5時頃)、参謀本部の事務所で爆弾攻撃され、瀕死の重傷を負った結果、死亡。今回の事件はタグメ参謀総長殺害がヴィエイラ大統領によるものと考えるグループによる報復と見られている。

3. ……略…… (※在留邦人について)

4. ギニアビサウでは1974年にポルトガルから独立して以来、3度クーデターが発生。ヴィエイラ大統領は2005年の大統領選挙で選出され、民主化プロセスが進展していたが、2008年11月に大統領暗殺未遂事件が発生するなど、政情不安は依然続いていた。


なんでこのような基本的なことを今ごろになって調べてみたのかというと、こんな記事を見てしまったからだ。

'Jackal' author finds himself in the middle of a thriller
By Todd Pitman The Associated Press
Published: March 5, 2009
http://www.iht.com/articles/2009/03/05/africa/forsyth.php

「『ジャッカル』の著者」とはすなわちフレデリック・フォーサイスのこと。(この件では『ジャッカルの日』ではなく『戦争の犬たち The Dogs of War』に言及すべきだろうが、それでは記事見出しにするには語数が多くなりすぎるという判断だろう。)

フォーサイスのことなら、テレグラフが詳しいだろうと思ってみてみると、あったあった。(しかし、何という怪しい見出しをつけるんだ。)

'Dogs of War' author Frederick Forsyth in Guinea-Bissau as president assassinated
By Mike Pflanz, West Africa Correspondent
Last Updated: 2:34PM GMT 04 Mar 2009
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/africaandindianocean/guineabissau/4938164/Dogs-of-War-author-Frederick-Forsyth-in-Guinea-Bissau-as-president-assassinated.html

※どっちを読んでもお茶ふけるけど、テレグラフのほうがライティングがお茶ふき向きなので(しかも著者近影つき)、どちらかひとつを読むならテレグラフがいいかも。

テレグラフ、リード文と写真に続く記事の書き出し:
"I can assure you I had nothing to do with the coup d'etat," said the author, who has previously admitted to helping fund a 1973 coup attempt in nearby Equatorial Guinea, and whose 1974 book The Dogs of War recounted a failed plot to topple the government of a fictional African country.

「このクーデターには私は一切関係ありませんよ、断言します」と作家は言う。彼は以前、(今回の大統領暗殺事件があったギニアビサウの)近くの赤道ギニアでの1973年のクーデター未遂に資金を支援したことを認めている。そして彼の1974年の作品、『戦争の犬たち』は、架空のアフリカの国の政府転覆計画の失敗を描いたものである。

※なお、APの記事では1973年の件は「本人は噂として一蹴した」といったように書かれています。(書かれていることがバラバラすぎて、真相はよくわかりません。でも少なくともフォーサイスが「イノセントな取材者」だったとは言えないようです。)

AP記事(IHT掲載)から:
"I didn't come for a coup d'etat or regime change, but that's what I ran into," Forsyth said over coffee at his hotel.

「私は、クーデターや政権転覆(レジームチェンジ)のために来たわけではありませんよ。来てみたらそういうことが発生したんです」と、フォーサイスは宿泊しているホテルでコーヒーを飲みながら語った。


いわく、フォーサイスは新作の取材のため(何を書くんだろう)、たぶん日曜日からギニアビサウを訪れていた。そして月曜日の夜明け前、眠ることができずにベッドの中で読書をしていたら、突然大きな音がした。「車のドアを乱暴に閉める音ではない」と思ったそうだ。

そして月曜日、街に出たフォーサイスは兵士が町をパトロールしているのを見たが、特に止められるなどのことはなかったという。その晩、撃たれた大統領の手術をしたオランダ人医師とともに夕食をとった。

大統領は自宅にいたところをRPGなどで攻撃され、家は破壊されたが大統領は落命せず、次に銃撃を受け、それから兵士たちに鉈でめちゃくちゃに切りつけられた(記事には「切り刻まれた」とある。実際にそういう状態だったのだろう)。

その何時間か前に、軍の参謀総長がスーツケース爆弾で暗殺されており、それが大統領の仕業だと考えた軍人が、大統領を襲ったらしい。

首都ビサウからBBCのWorld Todayのインタビューに応じたフォーサイスは、記事が出た時点でまだ現地にいる。「本来は明日の午後に帰国便に乗る予定だった」そうだが、空港が閉鎖されていて出国できる状態ではない。

今書いている新作は、ギニアビサウを舞台にしたもので、プロットには派手な暗殺などは出てこないのだが、今回の経験は作品に取り入れることになるかもしれない、とフォーサイスは述べている。(←テレグラフ記事)

このギニアビサウについて、彼はAP記事でこんなことを述べている。
"I thought, what is the most disastrous part of West Africa, and by a mile, it's Guinea-Bissau," he said. "If you drive around you'll see why: one wrecked building after another, one mountain of garbage after another. A navy with no ships, an air force with no airplanes. No infrastructure, no electricity. Everything is purchasable."


『戦争の犬たち』での架空の小国、ザンガロへの目線もこうだった。35年という年月が間にあるけど。



フレデリック・フォーサイスの著作あれこれ@amazon.co.jp
※あ、なんかいろいろ「なか見検索」がついてる。(フォーサイスで数ページだけ読めても小説のことはほとんど何もわかりませんが、翻訳の雰囲気はつかめるかも。)

※この記事は

2009年03月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ギニアビサウでクーデター? (そして、フォーサイスどこー?)
Excerpt: BBC Newsのトップページに最近、毎日、「アフリカ」カテゴリのニュースが表示されている。ここ数日はスーダンと南スーダンの間が緊迫というニュースが最も継続的に注目されているが、ふと見たら、ギニアビサ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2012-04-14 07:22

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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