「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年03月02日

映画『Hunger』、DVD出ました。

おすぎです!(え

カンヌで新人監督賞、ブリテン島とアイルランド島で映画賞総ナメ、2008年最大の話題作! 高い塀に閉ざされたあの刑務所の中、いったい何が起きていたのか、見れば必ずげんなりする最高の名画、見なさい。

B001L7XND2Hunger [DVD] [2008]
Liam Cunningham Larry Cowan
Pathe Video 2009-02-23

by G-Tools


※ただしこのDVDはRegion 2ですがPALなので、日本では普通のDVDプレイヤーでは見られません。パソコンなら見られます。聴覚支援目的の字幕がついているかどうかは、ちょっと確認できていませんが、字幕がないとかなり厳しいかもしれません(ダイアローグが中心になるのは、92分の中の17分と、あとごく短いシーンだけですが)。

※この映画についての当ブログのエントリ:
http://nofrills.seesaa.net/tag/hunger

※2008年10月の東京国際映画祭で見たときのエントリ(ネタバレ):
http://nofrills.seesaa.net/article/108447691.html

※↑から「ネタバレ」部分を極力削除したもの@NI FAQ:
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/115015387.html

※映画公式サイト:
http://www.hungerthemovie.co.uk/

■追記:
US版ポスター:
http://www.cinematical.com/2009/02/26/exclusive-hunger-poster-premiere/

US版トレイラー:
http://www.ropeofsilicon.com/article/domestic-trailer-for-steve-mcqueens-hunger-arrives
UK版と比較して、「劇映画」に見えるのと(なんか違う映画みたい)、焦点がサンズに合わせられているのと(看守の一番静謐なシーンがない)。

個人的には、この映画はもちろんサンズを演じたマイケル・ファスビンダーがあまりにすごかったと思っているのだけれど(ハンストの再現もだけど、目が……US版のポスターはそれですね)、看守のステュワート・グレイアムもすごくよかったと思います。映画の作り手によって「言葉」を与えられなかった彼がいかに雄弁であったことか。

※この記事は

2009年03月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 09:30 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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映画Hunger (ハンガー/静かなる抵抗)がオンライン配信でみられる。
Excerpt: 1980年から81年のロングケッシュ(メイズ)刑務所内でのアイリッシュ・リパブリカン(IRAとINLA)の獄中闘争を、新入りのリパブリカンの囚人と、看守と、治安当局の新人という複数の視点から「セリフ」..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-07-06 19:24

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼