「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年02月19日

「アルコールと風邪薬」の件

おちゃけお茶ふいた……
My hero this week is without a shadow of a doubt the Japanese finance minister, Shoichi Nakagawa. He denies having been drunk at a G8 press conference, and we are honour-bound to believe him. But we can safely say he misread the dosage on the side of his cough-medicine - and was all the better for it.

Every day, our televisions are filled with people who haven't the first idea, not a scooby, flapping their big stupid mouths, inviting us to admire their haircuts and urging their sober analyses of the financial crisis upon us. Wah wah wah. Like big babies. How much more truthful a message from someone in power, and how much more adult, is Nakagawa's.

He didn't say it in words, but he didn't need to. His message was clear: "Is Keynesian pump-priming or ruthless control of the money supply the way out of this mess? Search me. We're all screwed. All of us. Screwed! I ought to know, buddy. I'm - ha ha! - the finance minister of Japan. Imagine! Japan! Want a glug of this here Night Nurse?"

http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/feb/19/sam-leith-submarine-crash

※末尾にあるNight Nurseというのはひどい風邪やインフルエンザのときに使う家庭用の風邪薬ですが、ポップカルチャー的には、日本でいう「咳止めシロップ」のようなものとして言及されることが頻繁にあります。

これとは別に、さっき、歯を磨きながらテレビを見てみたらNews 23で「来日中の英国のどなたかが外国人記者クラブで記者会見をしたときに、『お酒と風邪薬は欠かせませんね、にやにや』というジョークをぶちかましました」ということと、ゴードン・ブラウンまでもが酒をネタに下院で何か言っていた(G20ではそんな時間はありませんよ、的な)、ということを伝えていた。ブラウンのほうはあんまりおもしろくなくて、来日中のどなたかがどなただったのかの箇所は見ていなかった。(どなただったんでしょう。)

英国の政界では「酒」が問題となったケースが実際にあった。2006年、英下院第三党のLiberal Democrats(つまり「自由民主党」)の党首、チャールズ・ケネディが、その理由で党首を辞任した。

Embattled Kennedy quits as leader
Last Updated: Saturday, 7 January 2006, 22:26 GMT
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/4590688.stm

Charles Kennedy has resigned as Liberal Democrat leader.

In a statement at Lib Dem HQ, Mr Kennedy said he had been "inundated" with support from party members since admitting having a drink problem.

But he had decided to quit immediately because it had become clear he did not have strong enough support among MPs.


ケネディの党首辞任の本当の理由が「酒」だったのかどうかは私にはよくわからないのだが、それがきっかけで「ケネディに対する包囲網」みたいなことになったのは事実だ。

それから、今月初め、何かのニュースを探していたときにちょろっと見かけたのだが、1月末にThe Evening Standardが 'Too drunk to speak' ... then Mayor quits on health grounds という記事を出していた。これは、Epsom and Ewellという地方自治体のmayor(地方自治体の首長)が、自治体の行事で「どう見ても泥酔している」状態でスピーチを行なうなどしたことで住民から批判され、公式には「酒の問題」ではなく「健康問題」を理由にしているものの、職務を退くことを余儀なくされている。(まあ、これは英国では「全国ニュース」にはならないと思いますが。)



タイムズのリチャード・ロイド・パリーさんの記事(ブログ):
http://timesonline.typepad.com/times_tokyo_weblog/2009/02/shoichi-nakagaw.html

LibDemのケネディのことが引き合いに出されているのと、最後の締めで日本での「報道」(記者クラブ制度)についての言及。

Finally, it is a reproach to the Japanese press, and another example of the emasculating effect of Japan's system of reporters' "clubs". It took too long to out poor old Charles Kennedy as a problem drinker, and he was merely the leader of a small British opposition party. Japan's political journalists all knew about Mr Nakakgawa's partiality, and they all chose not to report it. They may claim that it did not matter as long as he was doing his job. But the truth, I believe, has more to do with a widespread and lamentable reverence for authority, and the fear of losing future access to power by exposing it.

※この記事は

2009年02月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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