kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月31日

【訃報】Sharat Sardana (Goodness Gracious Me)

BBCのコメディ、"Goodness Gracious Me" (モンティ・パイソンやリトル・ブリテンのようなスケッチの連続したコメディ)と "The Kumars at No. 42" (フィクショナルなトークショウ)の台本を書いていたシャラット・サルダナ (Sharat Sardana) が亡くなった。40歳という若さで。死因は持病などではなく感染症 (連鎖球菌の: streptococcal infection)。

BBCの報道記事に、GGMのキャスト&スタッフのコメント:
Goodness Gracious Me writer dies
Page last updated at 09:33 GMT, Saturday, 31 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7862374.stm

ガーディアンのオビチュアリはGGMの中核、Sanjeev Bhaskar が執筆:
Sharat Sardana
Sanjeev Bhaskar
Friday 30 January 2009
http://www.guardian.co.uk/media/2009/jan/30/television-television

were all drawn from his acute observations of Britain's multicultural melting pot and the comic possibilities therein.


Goodness Gracious Meは、ブレア政権が「多文化主義」という言葉を頻繁に用いていた時期、ロビン・クックが「チキン・ティカ・マサラが英国の国民食」と述べる何年か前からBBCで放送されていた。

たまたま私がロンドンに行っていたときにも放送されていたのだが、あまりに強烈で頭が痛くなったコメディだ。「エスニック・マイノリティ」の「エスニシティ」を、その「エスニック・マイノリティ」に属する人たち自身が、笑いのネタにする――インド系英国人が、「インドからの移民」のステレオタイプのさまざまな面を、そのままナンセンスな笑いの枠に落とし込むというスクリプトで、エドワード・サイードの提示した「オリエンタリズム」をねじねじとより合わせて丸めたものをぶつけられたような、というか、そういう感じ。

ガーディアンのオビチュアリで言及されている "Going for an English" のスケッチ(2005年のチャンネル4の「史上最高に笑えるコメディのスケッチ」で6番目に選ばれた):
http://www.youtube.com/watch?v=zOo8cgg34OU
「英国人もすなることを、『インド人』もすなるとてしてみむ」、的な。(外部にいる私にはそんなに爆笑はできない。)

それから、サンジーヴが「シャラット個人の経験に根ざしている」とガーディアンで書いているもの。

例えば、「あたくしたち、英国人でございますのよ」的な「インド人」のKapoor一家(Cooperと発音する、無理やりに)のスケッチが見せる過剰な「英国らしさ」をめぐる多重の笑い。What could be more English than ...?
パブ(オチが強烈すぎるブラックコメディ):
http://www.youtube.com/watch?v=2h-t8vVi0zc
教会:
http://www.youtube.com/watch?v=aKc9EXo_CoU
空港 (There's nothing ethnic about it!):
http://www.youtube.com/watch?v=DZkyYkKKnns
※上記はBBC Worldwideのアップロードなので、英国内からの接続では見られません。

「何でもかんでもインド系」のおじさんの、「英王室はインド系」のスケッチ (because she's an Indian!):
http://www.youtube.com/watch?v=9HJzy3WSYFM

同じく、「レオナルド・ダヴィンチはインド人」:
http://www.youtube.com/watch?v=hjWd9a8Ck8U

サンジーヴが例に挙げている "Check please" は、ちょっと見つからないのだけど、「インド人」の男性が女性とデートしていい雰囲気で飲んでるんだけど段々過剰になってきて最後には愛想をつかされる、という様式のスケッチのシリーズ(ドリフの「もしも」シリーズみたいな感じ)。

GGMといえば、ほかに……
「インドかぶれのサラ」のスケッチ:
http://www.youtube.com/watch?v=HsY5PML9q-8

「英国」の「慈善」を笑いのネタにした短いスケッチ:
http://www.youtube.com/watch?v=WufGGzxZvrc

そして、「ついに両親にカム・アウトするゲイの息子」のスケッチ:
http://www.youtube.com/watch?v=XjNmXkzuYrg
オチが……。これは「インド人らしさ」にこだわりぬく家庭にありがちなこと、という視点でのコメディで、下記の「典型的なインド人の家庭」(これも無茶苦茶)と同じ系統:
http://www.youtube.com/watch?v=vFL0w1ruiCM
「うちの子はミルウォールのファーストチームなのよ!」、「なんとかさんの息子はリヴァプールじゃないか!」。(笑)

それと、Wham! の「クラブ・トロピカーナ」の替え歌ビデオの「クラブ涅槃」:
http://www.youtube.com/watch?v=Xdde97LRGrk
ぼろい商売してますな、うさんくさい「東洋」の系統が。

Pulpの「コモン・ピープル」の替え歌、「ヒンディ・ピープル」:
http://www.youtube.com/watch?v=LL3H8nzs7T4

サンジーヴが書いたガーディアンのオビチュアリによると、シャラット・サルダナは1968年8月、ロンドン東部のWansteadで、インドから移民してきた両親の間に生まれた(お母さんはお医者さんで、専門は産婦人科)。地元の学校で、彼の切れ味の鋭いユーモアのセンスは周囲の頭痛の種だったが(だろうな)、学友のリチャード・ピントと意気投合、ふたりは後に、GGMをはじめとするコメディを制作していくことになる。このコンビは鉄壁で、シャラットが最初にアイデアを出し、リチャードがそれを完成させるという形で進められ、GGMからはサンジーヴもそのチームに加わった。

GGMは、ラジオで1996年、テレビで1998年から開始され、2001年まで続いた。「インド人」の女の子がプロサッカー選手になる、という成功物語を描いた「多文化主義の英国」の宣伝映画、Bend it Like Beckhamは2002年だ。
タグ:訃報 BBC

※この記事は

2009年01月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼