「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月28日

【ガザ攻撃】「アハメッドは、死んだペットのことを話すときだけ、表情に動きを見せる」―― BBC, ジェレミー・ボーエンの日記(1月26日)

16歳のアハメッドは、死んだペットのことを話すときだけ、表情に動きを見せる。だがそのときでも、顔の表情はほんの少しだけしか動かない。

瓦礫の山をアハメッドは指差す。「あれが僕の家でした。みんな、幸せにあそこで暮らしてたんです。イスラエルが撤退する前に、僕の家とか他の家を壊していったんです」

「ヤギが2匹いたんです。ロバも1匹。でも殺されました。イスラエル軍はハトも10羽殺していった。うちの雛鳥も殺してったし、雄鶏も1羽、それとアヒルも2羽殺されました。ハトとヤギは僕ので、あとは家族のものでした」

「飼ってる動物が大きくなるのを見てるのが楽しかったです。赤ちゃんが見たかったなあ。あの人たちが動物を殺したことが、ロバとかヤギとかハトとかアヒルとかを殺したことが、とても悲しいです」

「理由ですか? だって動物を殺すなんて意味不明じゃないですか。鳥が危害を加えますか。うちの白いハトは銃で撃たれてました。死体を見つけたのは僕だから確実にそう断言できます」(※死体は銃痕があるだろうし、薬莢は近くに落ちているから。)

ペットの死のことを話すときにアハメッドの顔に少し表情が浮かぶのは、彼がガザ市で目撃した他のすべてのことを心から消してしまおうとしているからだ。


これは、BBCの中東エディター、ジェレミー・ボーエンの1月26日の日記です。ボーエンは現在、ガザ地区内で取材を続けています。

Bowen diary: Stranded with dead
Page last updated at 18:54 GMT, Monday, 26 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7852218.stm

このアハメッドという男の子が目撃したものについては、ボーエンのこの記事のすぐ後の部分で述べられています。

12月からのキャスト・レッド作戦についてニュースを追ってきた方は、彼の目撃したという事件について必ず覚えておられると思います。

この事件です。

アハメッドは、イスラエル兵士が彼らの家のある通りまで来た後に、通りの向かい側にある親戚の家に一族の90人と一緒に閉じ込められた、と語る。彼の話はほかの証言とも一致している。


ボーエンのこの記事のライティングがあまりに力強いので、流れを妨げないように今は先にいきます。

それから24時間以上も経過した後に、その家は何らかの発射物に直撃され、大きな爆発が起きた。地域の人々は、29人が殺された、と語っている。

国際赤十字委員会の代表団が現場に到着したのはその48時間以上後のことだった。そのとき彼らは、家屋の中に、ハイテクなロケットのように見えるものの破片/部品 (parts) を見つけた。

そして国際赤十字の代表団は、死体と一緒に放置されている子供たちを発見した。アハメッドはそのひとりだ。

それについて話すとき、彼の顔はまたお面のようになる。爆発があったときは、最初は自分は死んだと思った、という。

「でも眼を開けて、腕や脚を動かして、自分は生きているんだとわかりました。それでも言葉も出てこなかったし、体を起こすこともできなかった」と彼は言う。

家族はどうなったのか、と私は彼に尋ねた。

「兄弟の3人は、僕の隣で死にました。僕が横たわっていた隣には兄のイスマイルがいました。イスマイルの頭から50センチ離れたところに僕の頭がありました。兄のヤクーブ(ヤコブ)は怪我をしていました。おなかに穴があいていて、コーヒーカップがすぽっと入りそうな感じでした」

母親は死んだ。アハメッドは、毎日お母さんのことを考えるのだ、と言う。

生存者たちは、彼らにこの家に留まるようにと命じた兵士たちによって、その家から去ることを許可された。アハメッドは歩くことができず、他の人たちがいったん外に出て助けを呼んでくるからと約束していった。

アハメッドは、そうして家の中にいた間はおそろしい思いをした、と述べる。水はごく少量しか見つからなかった。アハメッドは体を引きずってドアのところまで行き、イスラエル兵を見た。彼は、イスラエル軍がブルドーザーでモスクをぺちゃんこにしているのを目撃した。

国際赤十字委員会は、イスラエルがアクセスを拒否したので、負傷者のところまでたどり着くのに2日以上もかかったのだと述べている。

だからこそ赤十字が珍しく沈黙を破り、怒りに満ちた声明を出したのである。その声明には、イスラエル軍は、負傷者を手当てするか、負傷者の他所への搬送の手続をするという戦時法のもとでの義務を果たしていないようだ、と書かれている。

兵士たちが勝手に使っていた家は、アハメッドたちが、死体の脇で、2日間も助けを待っていた場所から、10歩である。

アハメッドの父親は生きていた。弟たち4人と姉2人も生きていた。アハメドはまだ学校に戻っていない。彼が言うには、着るものも教科書もすべて、家がブルドーザーでつぶされたときに失われてしまったからだそうだ。通学に使っていた自転車もそうだ。数学が彼の好きな教科だった。


ボーエンのこの記事をここまで読んだときに、私は固まっていました。「数学が彼の好きな教科だった Maths was his favourite subject」。この単純な文のどこがこんなに刺さったのか、まったくわかりません。わからないけどこの文ばかりを何度も何度も読み返している。そこにそれ以上の「意味」などないはずなのに。私は「数学」には何の思いいれもなく、単純な文としてしか読んじゃいないはずなのに。

こういうことは、例えば卑劣な犯罪の報道で、まだこれからというときに殺された人について、「○○さんは将来についてこのような夢を語っていました」という形で、ほぼ日常的に接することです。でも、そういうものに「気の毒に」と思わされることはあっても、同じ文を何度も何度も読んでしまうということは、私はありませんでした。

たぶん、この数学が好きな男の子が死者ではないということと、それなのに、というかそれゆえにこんなにひどい経験を抱えてしまったということと、そして「あの事件」の被害者のひとりなのだということがぐちゃっとなって、「数学が好きな教科だった」というあまりに平凡で当たり前の、何の変哲もない日常的なシンプルなことばで、何かが決壊したのだろうと思います。

ボーエンのこの記事には、このあと、精神的サポートのことなどが書かれているのですが、単語は拾えても読めてはいません。ここで止まってしまいました。

表情をなくしてしまい、圧倒的に無力でかわいそうな存在(ハトとかロバとかヤギとか)のことしか、本当の意味で「ことば」にできない状態にある16歳の男の子は、ガザ地区に何人いるのでしょう。15歳の女の子は? 10歳の男の子は? 8歳の女の子は?

そして、記事を書いたジェレミー・ボーエンは、この記事で一度も「地名」も「人々の名字」も出していません。「記号」となってしまっているそれらの固有名を出さず、アハメッドという16歳の男の子の体験としてこれを書くということは、大きな敬意にあたいすると思います。

アハメッドの体験は、その固有名詞に限定される特定の地点でのものではなく、規模こそ違うにせよ、12月27日からの3週間の間にガザ地区という小さな場所の多くの地点で人間によって引き起こされていたことの、ひとつの面です。



See also:
ICRC: Israel delayed access to wounded for days
By FRANK JORDANS Associated Press Writer
Jan 8th, 2009 | GENEVA
http://www.salon.com/wires/ap/world/2009/01/08/D95J086O0_eu_red_cross_gaza/

UN levels war crimes warning at Israel
Rory McCarthy in Jerusalem and Jo Adetunji
guardian.co.uk, Friday 9 January 2009 11.38 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/09/gaza-palestinians-israel-evacuees-zeitoun

2009.01.10
ガザ攻撃14日目 「集めておいて、一度に殺す」
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200901100445.htm
昨日書いた「殺された母と子どもたち」のニュースはこの事件の一部だったということが、やっとわかった。

負傷した者たちはそこにそのまま取り残され、攻撃がひどいなか、救出されないで7日までいたことになる。


2009,01,08, Thursday
「赤ちゃんは、お腹をすかせて、死んだの」...1/9追記
http://www.fabfour.co.jp/blog/index.php?e=346
サモウニ家の人々は、
イスラエルが攻撃の対象としている
パレスチナの政権党
ハマスの拠点地域、
ガザのゼイトゥンに住んでいた。

この2日間、赤十字社・赤新月社に、
自分たちを救出に来てくれるように、
要請し続けていた。

だが、誰も助けには来なかった。

そして、来たのは、
イスラエル兵だった。


'Some were decapitated. My cousin and his son died in front of me'
Rory McCarthy in Jerusalem and Hazem Balousha in Gaza City
The Guardian, Saturday 10 January 2009
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/10/gaza-zeitoun-attack-deaths

Zeitoun becomes a symbol
By Elliott D. Woods
Published: January 22, 2009 22:56 ET
http://www.globalpost.com/dispatch/israel-and-the-palestinian-territories/090122/zeitoun-becomes-symbol

ガザ攻撃 国連人権高等弁務官、戦争犯罪の調査を提案
2009年1月10日20時46分
http://www.asahi.com/special/09001/TKY200901100199.html
国連人道問題調整事務所(OCHA)が目撃証言をまとめた資料によると、ゼイトゥン地区に侵攻したイスラエル軍が住民約110人を1軒の建物に誘導、戸外に出ないように指示した。24時間後、この家を砲撃し、約30人が死亡した。

 ピレイ氏はロイター通信に「兵士が民間人を守ることは国際的な義務だ。このような事件は戦争犯罪を構成する要素があり、調査する必要がある」と述べた。

 一方、イスラエル軍は朝日新聞に対し「指摘されている日時に同地区で建物を砲撃した事実はない」と否定している。

※この記事は

2009年01月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼