「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2009年01月22日

【ガザ攻撃】「あの人たちは、もうひとつの側の声など聞きたくないのですね」――娘を殺された医師の落胆

21日のエントリ、「IDFによる一般家屋への砲撃で、3人の娘たちが殺された。父親はイスラエルで仕事をする医師だ」の続報。




イスラエルでテレビにも出演するなどしているパレスチナ人の医師の自宅にイスラエル軍の砲撃があり、お子さん3人と姪が亡くなり。ほかのお子さんや親戚が負傷した、という件について、イスラエルのメディアに続報があった。

これが、できれば読みたくないような内容だ。

だから最後に、ちょっと解毒剤として、兵役拒否者のことを書き添えておく。

ひどいことがある(イスラエル軍がひどいことをする)→うんざりする、ということがあるから、その分よけいに「声が大きい」という事情もあるのだと考えて、できれば読みたくないという気持ちをごまかしたい。

ハアレツの21日記事。

Hear the other side
By Avirama Golan
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1057370.html

記事は、「流暢なヘブライ語でイスラエルのテレビ視聴者に、3人の娘と姪を1人、イスラエルの戦車からの砲撃で失ったと語るエゼルディーン・アブ・アルアイシュ医師(イゼルディーン・アブルアイシュ医師)の残酷な悲劇が、ガザ作戦が始まって以来、イスラエルの大衆の耳を封じていた鋳造鉛(cast lead; この軍事作戦の名前でもある)の層をついに貫いた、ということに疑いはない」と書き始められている。

「流暢なヘブライ語」が重要なのだ。例えば2004年のイラクで(ただの「英語」ではなく)「アメリカ英語」を話せることが大きなポイントとなったように。

記事は続く。
He made the killing suddenly appear tangible, close, shocking and threatening.

彼は突然、殺戮に手触りを与え、それを身近な何かにし、ショッキングで恐ろしいものにしたのだ。


「流暢なヘブライ語」がなければ、どうだったのだろう、と思う。ここで私はしばらくぼーっとしてしまう。

そのことを、記者は次のように書く。
It's Abu al-Aish's bad luck that he's "one of us" no less than "one of them."

不運なことに、アブルアイシュ医師は「私たちのひとり」である以前に、「彼らのひとり」である。


そして、教育があり、医師として優秀で、イスラエルの有名な病院やカナダの病院で仕事をしたこの医師が「私たちのひとり」である理由は、「ヘブライ語」と「イスラエル人の思考と行動を律するコードの理解」である、というようなことが、次のように書かれている。
Moreover, and perhaps more importantly, he speaks Hebrew and is proficient in the codes that govern Israeli thinking and behavior.


つまり、アブルアイシュさんのような人だからこそ、「私たちのひとり」にはなりえているというのだろうか。

オスロ合意でのtwo state solutionは、「隣り合った別々の国」を作ろうというもので、「私たち」と「私たちではない彼ら」を敵対する者同士と位置づけ、その間を分けようというものではなかったのに。

実際に、「元テロリスト」と「元兵士」が語り合うこともできているというのに。

悲しい。

21日に書いた通り、アブルアイシュ医師は日々電話で出演しているテレビ番組で、娘さんたちの死を生で電話で伝えることになった。それが波紋を呼んだのだろう、医師は記者会見を開いたのだそうだ。

その席で彼はガザ戦争(Gaza warとハアレツには書いてある)を、そして戦争というものすべて (war in general) を終わらせてほしい、お願いしますと発言した。そのことについてハアレツの記者はこう書いている。
he unconsciously appealed to the agitated mix of familial dedication and longing for a peaceful life, the enlightened Western format that constitutes the Israeli self-image.


「イスラエルのセルフ・イメージ」。セルフ・イメージを高く持つことは結構なことだ。でもそれは、現実を否定するためであってはならない。実際には壁やら入植地やら、国際法もオスロ合意もなんのそのという行動を取っているイスラエルの姿を見えなくするための「私たちは先進的な民主国家」という自意識は、狂っている。

記事はこのあと、決定的に痛々しい描写へと進む。
Woe to Abu al-Aish; his efforts have come to nothing. While many television viewers who had previously followed only what had been presented to them as glorious military achievements shed a tear for his loss, a woman called Levana Stern - who was apparently granted blanket permission to speak abusively because of her status as mother of three soldiers - disrupted the press conference by shouting at the top of her voice: "I feel your pain, I'm totally with you, but who knows what was going on in your house!"

アブルアイシュ医師にとっては落胆することに、彼の訴えは何にもならなかった。輝かしい軍事的功績として見せられるものしか追ってこなかった多くのテレビ視聴者が、彼の喪失に涙を流した一方で、レヴァナ・スターンという女性が――3人の兵士の母親であるがゆえに、いついかなる場合もひどい口の聞き方をしてもよいと許可を与えられているかのような女性が、声をあらん限りに振り絞って記者会見に割って入った。「お気持ちはわかります、さぞやおつらいでしょう。けれど、あなたの家の中で何が起きていたか、誰にもわかりませんよ!」


そして、この女性のこの言葉を皮切りに、その周囲の人々が、イスラエルの兵士たちがガザで戦っているときにパレスチナ人に発言の場を与えるなど、病院もあつかましいことをする、と騒ぎ始めた、という。

(何日か前にイスラエルが一方的にceasefireを宣言していたのに、「兵士たちがガザで戦っているとき」もない。)

中にはアブルアイシュ医師に「ゴミ」という言葉を投げつける女性すらもいた、という。

アブルアイシュ医師は落胆して、「あの人たちは、もうひとつの側の声など聞きたくないのですね」とつぶやいた。

これを書きながら、記者は明らかに怒っている。泣いてさえいるかもしれない。「ポスト・コロニアルの社会における他者の声というものについては学問として研究され尽くしてきたし、イスラエル社会は『異なる民族のるつぼ』という段階はとっくに通り過ぎて、多文化社会という段階に入っているという会議や記事がいくつも存在している。けれどもアブルアイシュ医師は、これがいかに嘘 (false) であるかを思いがけず暴いてしまったのだ。ガザに住んでいる人たちのことなど、イスラエルの意識にはまったく存在しない。『他者』という存在ですらもないのだ」と一気に書いている。

そして、アブルアイシュ医師のようなイスラエルとのつながりの深い人だから、発言の機会を与えられたけれども、そうでなければ……ということを記者は書く。

そして、同様の構図がイスラエル国内にも存在することを指摘する。

今回のあまりに大規模な軍事行動のきっかけとなったのは、イスラエル南部のスデロットなどに対するハマスのロケット攻撃だった。スデロットにはメディアセンターが設営され、バラク・オバマが訪問するなどしていた。

しかしスデロットに対するイスラエルの他の地域からの目は、決してあたたかいものではなかった。幼い子供たちといっしょにそんなに危ない地域に住んでいるなんて、親がどうかしているといったことを言われ続けていた、と記者は書く。記者でさえ、根拠もなく、スデロットから出て行ける人はとっくに出て行っていて、今残っているのは不運にもほかに行き場のない人たちなのだという感情を共有している、と。スデロットの人たちは、パレスチナ人のような憎悪の対象ではないけれども、いずれにせよ顔のない、声もない存在なのだ、と。

……この先はあまりに痛くて、今は読めません。報道じゃなくて記者さんの怒りとして読むべき記事で、そういう前提で読んでもこの先に進めない。右派も右派だし、左派も左派。得をするのは扇動者だけ。なんでこんなことになっちゃったんだろう。

解毒剤。

Last update - 18:33 21/01/2009
View from Ramallah / Israeli refuseniks confront the IDF, from Ni'lin to Tel Aviv
By Jesse Rosenfeld
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1057491.html

昨年、ニリーン村(ヨルダン川西岸地区)で始まった「壁」反対の非暴力抗議行動には、パレスチナ人もイスラエル人も参加していた。イスラエルは抗議行動を力で押さえつけようとし、西岸地区に入るイスラエル人左派活動家やアナーキストを境界線でチェックしようとしたが、この非暴力抗議行動は広がり、急進左派を超え、兵役拒否の動きを広げていった。2年前にニュースになった「兵役拒否者 refuseniks」がまたニュースになった。
"If the army backs off in Ni'lin it will be an example to the refusal movement and Israeli society. It will show that the army can't break us," explains Omer Goldman, a Ni'lin solidarity activist who went to military prison this past September at age 19 for refusing to enlist on her conscription date.

「軍がニリーンから手を引いたら、拒否運動にとって、イスラエル社会にとってお手本になります。軍は私たちを破ることはできないということを示すものに」と、ニリーン連帯活動をしているOmer Goldmanは言う。彼女は徴兵の期日に登録を拒否したことで、昨年9月に19歳で軍刑務所に送られた。

... The refusenik movement first emerged during Israel's invasion of Lebanon in 1982 and was re-launched at the height of the second Intifada with a refusal letter of 200 high-school graduates in 2001.

徴兵拒否運動が始まったのは、1982年のレバノン侵攻のときである。2001年、第二次インティファーダの最盛期に、高校卒業生200人の徴兵拒否の手紙が出て、再び活発化した。


記事によると、2008年の夏から、また多くの人々が徴兵拒否をしている。8月にはYedioth Aharonothという新聞に、バラク国防相宛ての公開書簡が掲載された。そこには「防衛の名の下で誰かを傷つけること、自由の名の下で誰かを投獄することは私たちにはできません。したがって、私たちは良心にかけて、占領に参加することはできません」とある。

彼ら兵役拒否者について、軍は「義務を果たさず、違法行為をしている連中」という見方をしているが、実際には兵役につかない人の数はものすごく多い、と記事にある。
Defense Ministry statistics show that 25 percent of Israeli's avoided military service in 2007. While 11 percent of those were exempt for religious reasons, the majority falls into what is commonly referred to as "grey refusal." This category refers to those exempt for mental or physical health reasons, or marriage, in the case of women.

国防省の統計では、2007年、イスラエル人の25パーセントが兵役についていない。この11パーセントは宗教上の理由で兵役を免除されているが、その他の大多数は一般に「グレーの拒否」と呼ばれるカテゴリーだ。これは精神的、また身体的理由や、女性の場合は結婚によって免除される場合をいう。

In response to these statistics, Defense Minister Barak and IDF Chief Ashkenazi called for a "war on draft dodging" - an operation to publicly shame those avoiding service.

これらの数値について、バラク国防相とアシュケナージ参謀総長(<たぶn)は、「兵役逃れに対する戦争」を呼びかけた。つまり、兵役を逃れた人々を公然と辱めるという作戦だ。

A vigorous television and billboard campaign was launched across Israel last year, under the slogan "A real Israeli doesn't evade the army."

昨年、テレビやビルボードを使った熱心な広告がイスラエル全土で展開された。「本当のイスラエル人は敵を回避したりしない」というスローガンのもとに。


この記事はまだまだ先が長く、いろいろなことが書かれているのだけれども、とりあえずここで。

とにかく、「イスラエル人は」とか「パレスチナ人は」とか、「イスラエル側」とか「パレスチナ側」とかいう二分法に、私はかなり疲れていて、そのトドメがアブルアイシュ医師の記者会見での(一部の)人々の反応で、何かこう、「イスラエル人は」etcという一般化を逃れることのできる、この上もない具体的なものを読みたかったし、そのことについて、指でキーを打ちたかった。どっちの側につくとかじゃなくて。

「占領」への抵抗をしているからといって(「占領」をそういうものとして受け入れないからといって)、「ハマス」じゃない。Rafah Kidさんが何度も繰り返して書いている、「パレスチナ≠ハマス」だ。

兵役拒否についての記事から少しだけ。
Since the beginning of Israel's offensive on Gaza three weeks ago, the refuseniks have been furiously organizing anti-war action, demonstrating at army bases and joining in mass demonstrations demanding an end to the war.

3週間前、イスラエルによるガザ攻撃が始まってから、兵役拒否者は怒りに燃えながら反戦行動を組織し、軍基地でデモを行ない、戦争の終了を求める大規模なデモに合流している。



※この記事は

2009年01月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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