「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月21日

ロシア、弁護士とジャーナリストの殺害

イズベスチャが犠牲者のリストを作って「次は誰か」と書いている、とBBCがモスクワから報じている。何という恐怖の支配。

19日、ロシアで人権の分野で仕事をしている有名な弁護士、スタニスラフ・マルケロフさん (Stanislav Markelov) が殺された。覆面をしたガンマンが近寄って、サイレンサーのついた拳銃で後頭部に一発、だったそうだ。それも白昼、モスクワの中心部で、人目のあるところで。マルケロフさんとガンマンの間に入ろうとしたジャーナリスト、アナスタシア・バブロワさん (Anastasia Baburova) も撃たれ、数時間後に病院の手術室で息を引き取った。

Lawyer Stanislav Markelov was shot in the back of the head at close range in broad daylight yesterday in Moscow by a gunman who followed him from a news conference, the Associated Press reported.

...

According to the AP, the state-run RIA-Novosti Russian news agency reported that Markelov's attacker wore a stocking-style mask and had a silencer on his gun. Local police reportedly said there were several witnesses.

http://www.guardian.co.uk/media/2009/jan/20/journalist-and-lawyer-shot-in-moscow


Mr Markelov was shot in the head with a pistol fitted with a silencer not far from the building where he had just held a news conference on the Kungayeva case, law enforcement officials said.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7838328.stm


殺されたマルケロフ弁護士は、チェチェンでの人権侵害に関する活動、具体的にはロシア軍によるチェチェン人に対する犯罪行為を明らかにする活動で知られており、この日は、チェチェン人の少女を強姦し絞殺したことで有罪となったロシア軍の大佐が刑期満了前に釈放されたについて、記者会見を行なっていた。ガンマンはその会見の会場から後をつけていたらしい。

マルケロフ弁護士とガンマンの間に入ろうとして撃たれたバブロワさんは、最初から標的として狙撃されたわけではなさそうだが、アンナ・ポリトコフスカヤが仕事をしていたノバヤ・ガゼータ紙で書いていた。年齢は20代半ば。(明確な根拠はないが、アンナ・ポリトコフスカヤの仕事で大きな影響を与えられた若い世代の人だろう。)

殺害された弁護士の活動分野を説明しようとすると、話は2000年にさかのぼる。当時、チェチェンでは第二次チェチェン戦争が行なわれていた。
96年にいったん戦争は終わった。このとき結ばれた「ハサブユルト和平合意」では、チェチェンの独立は5年後の2001年にふたたび検討されるはずだったが、99年にロシア側は合意を無視し、二度目の武力侵攻(第二次チェチェン戦争)を開始した。前回以上に無差別かつ大規模な、チェチェンの民間人への攻撃が続いており、隣国のイングーシ共和国では、当初25万人、現在も5万人のチェチェン人が難民生活を続けている。親ロシア派、独立派が共に認める数字によれば、94年以来、10年間つづいているこの戦争の死者は20万人以上にのぼり、その多くは民間人である。

http://chechennews.org/basic/whatis.htm


この「無差別かつ大規模な、チェチェンの民間人への攻撃」の犠牲となったひとりが、エリザ・クンガーエヴァさん (BBCの記事ではKheda Kungayeva、ガーディアンの記事ではHeda Kungayeva、別のBBC記事ではElza Kungayeva) という18歳の女性だ。
2000年3月に、ロシア軍のユーリー・ブダーノフ大佐は、チェチェンの少女エリザ・クンガーエヴァ(18歳)を拘束した後、自分のテントで輪姦して絞殺し、軍警察に逮捕された。
http://chechennews.org/archives/20020526nv.htm


この事件で逮捕されたブダーノフ大佐は、地裁でいったん無罪となったあと(正気を失っていたとの申し立てが認められた)、最高裁で2003年7月に有罪判決を受け、10年の刑期を申し渡された(→当時のBBC記事)。チェチェンでの民間人殺害で有罪となったロシア軍将校は彼が最初だった(→BBC)。しかし、大佐は刑期を1年以上残した2009年1月15日に釈放された。これは、刑務所のある地方の裁判所が「大佐は罪を悔いている」との理由で判断したものだ(The municipal court in Dimitrovgrad, where Budanov was serving his sentence, ruled in December that he should be freed early because he had repented his crime.)。彼の早期釈放で、チェチェンでは、モスクワにべったりの現政権側の人たちもそうでない人たちも抗議していた。

マルケロフ弁護士はブダーノフ大佐が有罪となった裁判で被害者クンガーエヴァさんを代理する弁護士だった。そしてブダーノフ大佐の早期釈放という事態に際し、記者会見を開いていた。そこで彼は、大佐の早期釈放について法的に対抗すると語っていた、とロシアのRIAノボスティは伝えている(According to the Russian RIA-Novosti news agency, Mr Markelov had just told reporters that he planned to appeal against Budanov's early release.)。

マルケロフ弁護士は、襲われる数日前にBBCのロシア語放送のインタビューで、次のように語っていた。
In an interview with the BBC's Russian Service a few days ago, Mr Markelov said the decision to release Budanov showed that the Russian system was deeply flawed.
BBCロシアン・サービスのインタビューで、マルケロフ弁護士は、ブダーノフの釈放という判断は、ロシアのシステムにひどい欠陥があるということを示している、と語った。

"I understand now that there is no rule of law," he said.
「法の支配などありはしないということです」

"My task now is to find out who gave the order for Budanov to be released, and to present a criminal case to the chief prosecutor in order to find out who is guilty of breaching their legal authority."
「これで私には、ブダーノフを釈放するという命令を出したのは誰かを突き止め、司法の判断を破ったのは誰かということを明らかにするため検察に刑事告発するという仕事ができました」


ガーディアンの記事によると、マルケロフ弁護士はエリザ・クンガーエヴァ殺害事件だけでなく、いくつもの人権侵害事件で弁護士となっており、AP通信は彼がブダーノフ大佐の早期釈放を国際法廷に告発することを検討していると語っていたと書いている、という。またマルケロフ弁護士はアンナ・ポリトコフスカヤの弁護士としても仕事をしていた。

ガーディアンの記事には、チェチェンからの反応が書き添えられている。文は長いが、内容としては、チェチェン国会の議員のひとりは、マルケロフ弁護士殺害はブダーノフ大佐の件と関連していると考えている、ということだ。
A Chechen parliament deputy, Isa Khadzhimuratov, said yesterday he believed Markelov's killing was likely to be connected to the case of a former Russian army officer who was freed early last week after being convicted in 2003 and sentenced to 10 years for murdering a Chechen woman, Heda Kungayeva.


この議員がどういう人なのかは私では調べられそうにないので、ChechenNews.orgさんのブログにトラバしておこう。


20日のBBC記事が、この事件の衝撃をモスクワから伝えている。

Murder of lawyer shocks Russians
By James Rodgers
BBC News, Moscow
Page last updated at 12:41 GMT, Tuesday, 20 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7839858.stm

今のメドヴェージェフ政権(メドヴェージェフは元々法律の専門家)は法の支配の強化に尽力しているが、新聞の一面に路上に倒れた死体とか銃痕のあけられた自動車の写真が載ることは、1990年代に比べれば少なくなったにせよ、なくなってはいない、と記事を書いた記者は述べる。そしてその具体例として、昨年9月にモスクワのど真ん中、ロシア政府省庁や英国大使館のある一帯で、ラッシュアワー時に、信号待ちしていた車に銃撃があり、乗っていたRuslan Yamadayev(チェチェン人の有力な人物)が殺された件が挙げられている。

そしてその後、マルケロフ弁護士がチェチェン戦争での人権侵害事件を担当していたことが書かれ、続いて:
At the time of his death, Mr Markelov was also involved in the case of a newspaper editor from Khimki near Moscow. The editor, Mikhail Beketov, was severely beaten by unknown assailants.

殺害時、マルケロフ弁護士はモスクワ近郊のKhimkiの新聞編集長の事件も担当していた。ミハイル・ベケトフというこの編集長はひどい暴行を受けた。誰がやったのかはわかっていない。

Mikhail Beketovという人については、ウェブ検索するとすぐにthe Other Russiaのページが出てきた。やはり、プーチン政権(ではないけど、今は)批判の小規模な新聞を出していたとのこと。
http://www.theotherrussia.org/2008/11/14/editor-of-russian-opposition-newspaper-badly-beaten/

ロシアの政権批判のメディアのオーナーとか編集長とかが襲われていることは、前にもこのブログで書いているかもしれない。(はてなブックマークかも。)

……と思いつつThe Other Russiaのトップページを見たら、マルケロフ弁護士殺害事件(19日)に続いて(BBCより詳しい。この記事によると、弁護士が撃たれた時刻は午後2:45、場所は地下鉄Kropotkinskaya駅近く、アナスタリア・バブロワは25歳でモスクワ州立大の学生でノバヤ・ガゼータでブダーノフ大佐のことを書いていた)、ナショナル・ボルシェヴィキ党のメンバー(20歳)が今月14日に撲殺されたというニュースが20日付で出ている。14日に血まみれで倒れているのを発見され病院に搬送されたが死亡、19日に身元確認のために友人に連絡があって彼だとわかったのだそうだ。

BBCの記事に戻って:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7839858.stm

捜査当局は、マルケロフ弁護士殺害は、弁護士としての活動に関係していると見ている、とインターファクス通信に語っている。

また、リベラルのYabloko Partyは、声明を出し、「この殺害は、政治的殺人 (political murder) と力の行使がロシアの社会生活で決定的なファクターとなっているということを示している」と述べている。



マルケロフ弁護士殺害が報じられる数日前、オーストリアで起きた事件について、オーストリア警察がクレムリン(ロシアのシークレットサービス)との関連を捜査しているとの報道があった。

Austrian police investigate Kremlin link to Chechen dissident's murder
Luke Harding in Moscow
guardian.co.uk, Thursday 15 January 2009 14.25 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/15/chechen-murder-austria-russia

火曜日(13日)にウィーンでウマール・イスライロフ(Umar Israilov)という27歳の男性が射殺された。彼は2006年に、チェチェンの現在の大統領であるラムザン・カディロフ(親モスクワ)に拷問されたと欧州人権裁判所に申し立てており、火曜日の午後1時ごろ、自宅フラットを出たところにある食料品店から出てきたところを2人の男に襲われた。

イスライロフは元反乱勢力戦士で、2003年に逮捕され、身柄を拘束されているときに電気拷問を受けたと述べ、同じく拘束されていた人々がカディロフらによって暴行されているのを目撃したと語っていた。特赦で釈放後、短期間だけカディロフの身辺警護をし、その後オーストリアに亡命した。

オーストリア警察によると、殺害の数日前から、イスライロフは尾行されているようだと届け出ていた。火曜日に2人の男に襲われたとき、彼は人で混雑した通りを駆け抜けて逃げようとしたが4発発砲されて転び、最終的には頭に2発撃ちこまれて絶命した。

事件の目撃者は、2人組の男について、「1人がピストルを手に持っていた」とか、「軍パンを履いていた」と証言している。

そして記事の書かれた15日、オーストリア警察は2人組の片方を逮捕したことを発表した。逮捕された男は、イスライロフは「裏切り者 traitor」だと述べ、処刑は「当然」と語っている。

殺害されたイスライロフは、オーストリアで、身重の妻と3人の子供と一緒に暮らしていた。

また、ヒューマン・ライツ・ウォッチがこの日、カディロフを批判しているチェチェン人が行方不明となり、おそらく死亡していると述べている。8月にチェチェンで姿を消したMokhmadsalakh Masaevさんという人で、行方不明になる数週間前に、カディロフの出身地の村にある秘密刑務所で4ヶ月にわたって何度も拷問されたとインタビューで述べていた。

記事によると、オーストリアには2万人ほどのチェチェン人が暮らしており(合法、非合法あわせて)、戦争から逃れてきた人もいれば、カディロフ政権を支持しない分離派もいる。チェチェンでの拷問は現在もまだ当たり前に行なわれている、とHRWなど人権組織は述べている。



マルケロフ弁護士殺害が報じられた日、北アイルランドから10年前の弁護士殺害事件についての報道があった。1999年3月15日(1998年のグッドフライデー合意の後)に、ローズマリー・ネルソン弁護士が、自動車に仕掛けられていた爆弾で爆殺された事件についての真相究明のインクワイアリーで、当時の北アイルランド警察署長が証言する、というもの。証言は3日間にわたって行なわれるが、1日目は「私は何も知りませんでした」という証言が出ただけだ。(あと、IRAがいかに悪辣であるかということについての本筋とは関係のない話と。)

ネルソン爆殺はロイヤリストの武装組織が犯行声明を出しているが、この事件はロイヤリスト武装組織と警察との結託(警察がロイヤリスト武装組織に情報を流した、など)が最も濃厚に疑われている事件のひとつだ。被害者のローズマリー・ネルソンは当時40歳で、リパブリカンの――というかIRAメンバーの弁護士として仕事をしていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rosemary_Nelson



追記:
「チェチェン連絡会議」さんの呼びかけによる緊急声明(1月23日付)を、リード文とフッターに相当する部分を除いて、転載します。全文を閲覧するには、転載元URL(下記)をご参照ください。なお、元がメールマガジン「チェチェンニュース」なので、この緊急声明をメールではない形で知った方は、文中の「返信」の部分を「メール送信」に置き換えてください。
http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20090123/1232684738
スタニスラフ・マルケーロフ弁護士と、
アナスタシア・バブローワ記者殺害についての緊急声明



 1月19日の午後2時、チェチェン戦争の被害者救済にあたってきたスタニスラフ・マルケーロフ弁護士と、若いジャーナリストのアナスタシア・バブローワ記者が、モスクワの路上で殺害されました。

 日本でチェチェンの平和と人権の確立を求めてきた私たちは、二人の犠牲者に心からの哀悼の意を表するとともに、このニュースの持つ意味を、一人でも多くの方に知っていただきたいと考えます。

 そもそも今回の暗殺劇の発端となった事件は、第二次チェチェン戦争が激戦だった2000年3月26日、チェチェンの小さな村、タンギ・チュから始まりました。この近くに駐留していたロシア陸軍の第160戦車部隊のブダーノフ連隊長(大佐)が、飲酒の上、夜遅く部下とともに装甲車で村に入り、以前から目をつけていたエリザ・クンガーエワさんという18歳の女性を誘拐し、自分の宿舎で強姦、絞殺しました。

 この事件により、ブダーノフは2001年に逮捕され、紆余曲折のすえ、ようやく2003年に10年の刑を宣告されました。しかし、刑には逮捕から判決までの拘置期間も含められたので、刑期は2011年までとなりました。

 同様の人権侵害を繰り返してきたロシア軍は、ブダーノフを徹底的にかばいましたが、それに対してエリザさんの遺族が粘り強く法廷闘争を続けたために有罪判決が下り、同様の人権侵害が裁かれる可能性が切り開かれました。そしてこの法廷で、遺族の代理人を務めていたのが、マルケーロフ弁護士だったのです。(同氏は、2006年に暗殺されたジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんの代理人でもありました)

 しかし、エリザさんの遺族は、繰り返し脅迫を受けたため、海外への亡命を余儀なくされました(ブダーノフ本人からも脅迫されたといいます)。さらに、2008年12月24日にブダーノフの恩赦が発表され、実際に今年の1月15日に釈放されてしまいました。

 マルケーロフ弁護士はこれに強い憤りを覚え、モスクワ市内で抗議の記者会見を開いたのですが、そのわずか数分後に、路上に出たところを何者かに銃殺されました。彼をかばったために同時に撃たれたバブローワさんは、モスクワ大学を卒業したばかりの若者で、ポリトコフスカヤさんと同じノーヴァヤ・ガゼータ紙で契約記者として働いていました。

 いま、この事件を知った人々が、モスクワでも、チェチェンでも、それぞれに抗議の集会やデモを行っています。

 歯に衣を着せずにプーチン政権を批判したジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさん、ロシア政府の内部告発を続けた元連邦保安局職員のアレクサンドル・リトビネンコさん、そして今回のマルケーロフ弁護士と、次々に暗殺され、言論を封じられていく人々の共通点は、みなチェチェン問題に関わり、プーチン・メドベージェフ政権に対して批判的な人であることです。

 そしてこれらの事件は、つねに十分な捜査がされず、うやむやにされたり、あるいはチェチェン人の容疑者が逮捕され、一時的に脚光を浴びては、結局釈放されるといった、不可解な経緯をたどっています。

 今回の事件には、世界の他の地域が抱える多くの問題に通じ、根本的に批判しなければならないものが隠れていると私たちは考えます。それは、国の政策に反対する人々を殺害し、あるいは暴力で威嚇することで、言論の自由を否定し、真実の追求をも諦めさせようとする悪質な意図が存在することです。

 暴力に溢れたこの世界のあり方を変えたいと願う私たち市民には、事実を知る権利と、それを社会へ伝える責任があります。そしてそうした活動を通じてこそ、戦争や暴力を終わらせることができるのだと、私たちは信じています。

 今回のような暗殺は、直接に事件に関わった人々を殺すだけでなく、真実を求め、正義と平和を願う私たちみんなの心を打ち砕こうとするものであり、絶対に許すことはできません。

 私たちは次の事柄をロシア政府に対して要求します。

1、ロシア政府は、マルケーロフ弁護士およびバブローワ記者の殺害犯と、それを指示した人間を必ず逮捕し、公開された公正な裁判を通して真相を明らかにすること。アンナ・ポリトコフスカヤおよびアレクサンドル・リトビネンコの暗殺事件についても、同様に、公正な手続きを行うこと

1、ロシア政府は、ブダーノフ大佐の釈放を取り消し、判決どおりの刑期を、他の囚人と同じ環境で終えさせること

1、ロシア政府は、これらの事件の根にある対チェチェン政策を根本的に見直し、チェチェンの人々の政治的権利を含む基本的人権を保証し、チェチェン領内での国際機関、報道機関、NGOの自由な活動を保証すること。

●緊急声明への賛同のお願い

 このような時に、もし私たちが沈黙を続ければ、事件を起こした人々の意図は達成されたことになります。また、メディアが萎縮して報道をためらうなら、戦争と口封じが交互になされるようになり、私たちは今以上にそのような体制にコントロールされるでしょう。

 そんな世界は、犠牲になった人々がもっとも望まないものだと思います。そのような未来にしないためにも、どうかこの事件に注目してくださるよう、皆さまにお願いいたします。ぜひこの声明に賛同者として名前を連ねて下さい。下記のフォームに記入し、メールでご返送ください。

2009年1月23日 

呼びかけ  チェチェン連絡会議

呼びかけ人
 青山 正(市民平和基金)
 伊藤憲一(財団法人日本国際フォーラム)
 大富 亮(チェチェンニュース)
 岡田一男(チェチェンの子どもたち日本委員会)
 小塚 太(ピースネットニュース)
 林 克明(ジャーナリスト)
 村山敦子
 山口花能

賛同人(順次追加します)

http://d.hatena.ne.jp/ootomi/20090123/1232710013

▲次の部分を返信してください


 マルケーロフ暗殺についての緊急声明に個人として賛同します。 

 氏名:
 肩書き:
 連絡先:
 氏名・肩書きを公表する
 氏名・肩書きを公表しない  (どちらかを消してください)
 ※連絡先はすべての署名について公開しません。

 あなたのメッセージをどうぞ:



返送先メールアドレス: clc@chechennews.org

このリリースについての連絡先: チェチェン連絡会議

電話の方は、電話番号を上記アドレスにメールでお送りください。
こちらから折り返しおかけします。


※この記事は

2009年01月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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