「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2009年01月16日

「『テロとの戦い』は誤りだった」――デイヴィッド・ミリバンドのCiF寄稿

ガーディアンのComment is Freeに、デイヴィッド・ミリバンド(労働党議員、英外務大臣)が「『テロとの戦い』は誤りだった」との小論を寄稿しました。

War on terror' was wrong
David Miliband
The Guardian, Thursday 15 January 2009
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2009/jan/15/david-miliband-war-terror

大して長くないので読んでください。私は読みながら何度か欠伸を噛み殺したんですが(ガザでイスラエルという国家によって国連機関が砲撃を受けているときに読むのだからなおさら)、「テロとの戦い」という「概念」を当たり前のものとして他者に押し付けてきたジョージ・ブッシュがあと数日でホワイトハウスを去るという今になって、ようやく、数年前から「テロとの戦い」という言葉を使わないようにしていた英外務省のトップが、「あれは間違い」と述べていることは、一応記録しておく価値はあると思うし、その論説に目を通しておく価値はあるかもしれないと思います。

結びのパラグラフ:
The call for a "war on terror" was a call to arms, an attempt to build solidarity for a fight against a single shared enemy. But the foundation for solidarity between peoples and nations should be based not on who we are against, but on the idea of who we are and the values we share. Terrorists succeed when they render countries fearful and vindictive; when they sow division and animosity; when they force countries to respond with violence and repression. The best response is to refuse to be cowed.

「テロとの戦い」の呼びかけは、武器を手にとれという呼びかけであり、ひとつの共通した敵に対する戦いに備えて連帯しようということであった。しかし複数の国家国民の間の連帯は何を敵としているかに基づくべきではなく、自分たちは誰であるのかという考えと共有する価値観に基づくべきである。(以下、寝そうなのでサボります)


うにゃ。the values we shareね。それには国連機関を攻撃することとか、何年にも渡る違法行為の末、18ヶ月もがっちがちに経済封鎖しておいて、人が栄養失調になったり薬品が足らないとか水道設備が修理できないとかいったことを発生させておいて「そこに人道危機など存在しない」と言い放つ厚顔無恥な現実否定とかは含まれてませんので。

1965年生まれのデイヴィッド・ミリバンドが議員に初当選したのは2001年ですが、90年代から労働党の政策部門で大きな役割を果たしており、1997年総選挙のマニフェスト(ニュー・レイバー)を実現する上で彼の役割は大変に大きなものだったとか、議員に当選して1年で役付きになったとか(いわゆる「ブレアライト」の若手、ということで)、ゴードン・ブラウンの次はデイヴィッド・ミリバンドだということでほぼ決まっているらしいとか、そういうことを調べたい人はウィキペディアあたりでどうぞ。ちなみに弟のエド・ミリバンドも閣僚で、お父さんは政治思想界の超大物です(故人)。
http://en.wikipedia.org/wiki/David_Miliband

なお、2001年に議員になったミリバンドが、「テロとの戦い」の掛け声が最も激しかった2003年とか2004年にそれに反対したという事例は、私は記憶にありませんし、データベースで調べても出てきません。
http://www.theyworkforyou.com/mp/david_miliband/south_shields
Voted very strongly for Labour's anti-terrorism laws.
Voted very strongly for the Iraq war.
Voted strongly against an investigation into the Iraq war.
Voted very strongly for replacing Trident.


そうだ、トライデントといえばこんなん出てます。

Generals in 'scrap Trident' call
Page last updated at 03:57 GMT, Friday, 16 January 2009
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7832365.stm
he UK's nuclear deterrent should be scrapped, according to a group of retired senior military officers.

In a letter to the Times, Field Marshal Lord Bramall and Generals Lord Ramsbotham and Sir Hugh Beach denounce Trident, calling it "irrelevant".

They argue that rather than spending £20bn renewing the scheme, more funds should be spent on the armed forces.

Supporters say it is still essential that the UK should maintain its independent nuclear arsenal.


そういえばこれ、書いてなかったね。

Nuclear firm passes to US control
Ian Johnston
The Guardian, Saturday 20 December 2008
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/20/british-nuclear-fuels-sells-awe-management-stake
British control of the plant where the UK's nuclear warheads are produced has been relinquished, with the sale of a third stake in the Aldermaston facility to an American company.

※この記事は

2009年01月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:14 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。