「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月11日

【やってますリスト】

現在作業中のもの。誰かとかぶると無駄なのでという理由と、自分でもそろそろ管理できなくなっているのでメモ。もしすでに着手している方いらしたら、メールフォームで連絡ください。私は降りますので。

10日BBC、これも部分的にはたぶん。
Bowen diary: The days before war
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7822048.stm

10日BBC。これはいい記事なのでやるつもり。
The unmeasurable price of war
By Paul Martin
BBC News
http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/from_our_own_correspondent/7819819.stm

以下、アイルランド成分含有系:
ベルファスト抗議行動
Rally demands end of Gaza strife
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7822138.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7822261.stm
これらは2本まとめて。あと、BBCのこれらが終わった時点でSluggerとベルテレ、アイリッシュ・タイムズ、RTEなどをチェック。

これはやります。
Ireland and Gaza: comparing like with like?
Tom Griffin, 8 - 01 - 2009
http://www.opendemocracy.net/blog/email/tom-griffin/2009/01/08/ireland-and-gaza-comparing-like-with-like

テレグラフは日付表示がタコなので(常にLast updatedで出される)いつのかわからないけど多分2008年4月のもの:
Fear of Islam is ruining our chance for peace
By Andrew O'Hagan
http://www.telegraph.co.uk/comment/columnists/andrewo_hagan/3557031/Fear-of-Islam-is-ruining-our-chance-for-peace.html
これはもうちょっと落ち着いたらやるかも、というもの。



10日ガーディアンのこれはやってます。
In Gaza, the schools are dying too
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/10/gaza-schools


あとハマスの停戦拒否の件もたぶんやる。9日ガーディアンを中心に。
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jan/09/hamas-gaza-ceasefire-un-israel

※この記事は

2009年01月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:33 | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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