「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2009年01月09日

【ガザ空爆】国際法という観点からの解説、トム・ウェイツの曲など

ほんとに風邪引いてるようで、頭がぼうっとしてさっきもクリックしたら何かブクマした記事を1つ消したような気がするのだけど、やばいと思って画面を確認するつもりがタブ閉じてたりして、もうダメです。orz

という前置きはどうでもいいので、ブクマしておくだけだと流れてしまうものをいくつか。

国際法という観点からの非常に明解な解説。英語のビデオです。米ワシントンDCのthe Institute for Policy StudiesのPhyllis Bennisがメインで解説(インタビュー形式)。学校攻撃後のUNRWAのJohn Gingさんの怒りに満ちた声明(これは見ているのがつらい)もあります。1:30くらいのところで出てくるリチャード・フォーク教授のステートメントは、このブログで翻訳紹介しました(原文はZnet掲載。フィリス・ベニスもZnetでフォークの一件について書いています)。それから、12月末だったかな、欧州からの支援の船が海上からガザに入ろうとして公海上でイスラエルに踏み込まれたときの船長の談話など。全部で9分弱です。


http://therealnews.com/t/index.php?option=com_content&task=view&id=31&Itemid=74&jumival=3064

それからトム・ウェイツが下記で無料で提供しているMP3がまさに今のことじゃないかとのこと。英語圏のフォーラムで教えてもらった。2006年の曲ですけど。(今も音源は落とせます。)
http://www.pitchforkmedia.com/article/news/39134

歌詞は下記に。
http://www.oldielyrics.com/lyrics/tom_waits/road_to_peace.html
Young Abdel Mahdi (Shahmay) was only 18 years old,
He was the youngest of nine children, never spent a night away from home.
And his mother held his photograph, opening the New York Times
To see the killing has intensified along the road to peace

There was a tall, thin boy with a whispy moustache disguised as an orthodox Jew
On a crowded bus in Jerusalem, some had survived World War Two
And the thunderous explosion blew out windows 200 yards away
With more retribution and seventeen dead along the road to peace

...


それから:
2008年12月29日
【ガザ空爆】「私たちの目の前で、ひとつの社会が丸ごと崩壊しつつある」――ガザ地区経済封鎖について(英語記事翻訳)
http://nofrills.seesaa.net/article/111872671.html

これもZnet記事を翻訳紹介したものですが、この記事を書いたサラ・ロイさんの次の記事が、ロイさんを数週間後に招聘するUTCPの早尾さんの翻訳で読めます。

(翻訳:ガザ侵攻関連)サラ・ロイ「イスラエルのガザでの「勝利」には法外な対価がつく」
Posted by:早尾貴紀
http://palestine-heiwa.org/news/200901070629.htm

一部抜粋:
 私は25年近くガザ地区やパレスチナ人と関わってきているが、今日にいたるまで、焼かれた子どもの映像などという恐ろしいものを目の当たりにしたことはなかった。
 だが、パレスチナ人らにとって、それはたんなる映像ではなく現実なのだ。そしてそれゆえに、何かが根本的に変わってしまい、もう容易には元に戻れなくなるのではないだろうか。現在のガザの文脈において、解放への道としての和解や、相互理解の起点としての共感について、いったいどうやって語れよう。共存にとって必要不可欠な「人間の所業という共通の領域」(偉大なパレスチナ人学者の故エドワード・サイードからの借用)など、いったいどこに見つけたり創り出すことができよう。
 誰かの土地や家や生活を奪うこと、誰かの主張を唾棄すること、誰かの感情を踏みにじることはありうるだろう。だが、誰かの子どもをバラバラにするというのはそれとはまったく別次元のことだ。やり直すことが否定され、あらゆる可能性が潰えた社会は、その後どうなってしまうのか。

 そして、イスラエルに住んでいようといまいと、一つの民としてのユダヤ人はどうなっていくだろうか。どうして私たちは、パレスチナ人の基本的な人間性を受け入れることができず、彼らを自分たちの倫理的境界の内部に含み入れることができないのだろうか。それどころか私たちは、自分たちが虐げているパレスチナ人と、いかなる人間的な繋がりをも拒絶してしまっている。結局のところ、私たちの目指すところは、痛みの同族化、すなわち、人間的な苦痛の範囲を自分たちユダヤ人だけに狭めることなのだ。


それから地図。AFP BBにかなりわかりやすいものが出ています。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2555810/3662786

あと、ブクマするだけしてある重要な記事がいくつもあるのですが、とりあえずここまでで。

※この記事は

2009年01月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼