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5日のRafah Kidさんのtweet(←これも、彼のほかのTweetも読んでね。ラファの青年がどんな思いでこの記事を読め読めと言ってるか考えながら)で知らされた12月31日のタイムズ掲載、Forward Thinkingという、特に中東での紛争解決専門のNGO(英国登録チャリティ団体)の設立者であるWilliam Sieghartの解説記事:
December 31, 2008
We must adjust our distorted image of Hamas
ハマスについての歪んだイメージを修正しなければならない
William Sieghart
原文:
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/columnists/guest_contributors/article5420584.ece
先週、私はガザにいた。滞在中に20名ほどの警官のグループと会った。彼らは紛争管理 (conflict management) の講習を受けていた。彼らは、ハマスが政権を掌握してから外国人はより安全に感じているかどうかということをとても知りたがっていた。実際、私たちは前より安全に感じている、と私たちは彼らに伝えた。疑いの余地なく、この18ヶ月間のガザの街路は、比較的平穏だった。銃を持って歩いているガンマンもいないし、誘拐事件も発生していない。彼らは大いに誇りを感じて微笑み、私たちにさようならと手を振った。
それから1週間もたたぬうちに、彼ら全員が死亡していた。卒業式を狙ったイスラエルのロケット弾に殺されたのだ。彼らは「危険なハマスの武装組織のガンマン」だったのか? 違う、彼らは非武装の警官だった。「ミリタントの訓練キャンプ」でではなく、ガザ市中心部にある警察署で殺された公務員だった。ちなみに、この警察署は、英国も、イスラエルも、ファタハも、ガザを統治していた間は利用していた警察署だ。
この区別は決定的に重要だ。というのは、ガザとイスラエルでの恐ろしい光景が私たちのテレビ画面に映し出される一方で、現地の現実についての私たちの理解を曇らせる言葉による戦争が進行しているからだ。
ハマスとは誰なのか、あるいは何なのか。イスラエルの国防大臣エフード・バラクが、あたかもウイルスのように一掃したがっている運動とは、誰で、何なのか。なぜハマスはパレスチナでの選挙に勝ち、なぜそれはロケット弾がイスラエルに発射されるのを許しているのか。この3年のハマスについて振り返れば、イスラエル政府、米国政府、英国政府がこのイスラミスト運動を誤解していることが、現在私たちを取り巻いているこの残酷でひどい状況の原因となった過程がはっきりとわかる。
……以下、
話は3年近く前に始まる。ハマスの政党(政治部門)である「変革と改革 (Change and Reform)」が、予想外にも、アラブ世界で初めての自由で公正な選挙を制したのだ。彼らはガザ地区と西岸地区に蔓延していた汚職をなくし、ほとんど存在しないも同然だった公共サービスを改善すると約束して勝利した。対立勢力が割れるなか、この表面的には宗教的である政党は、主として非宗教的な(世俗的な)コミュニティに強い心象を与え、投票の42パーセントを得票して勝利をおさめた。
パレスチナ人がハマスに投票したのは、それがイスラエルの破壊をテーゼとしているからでもないし、イスラエルの一般市民を殺してきた自爆を行なってきたからでもない。有権者たちは、ノーを突きつけられた政権にあったファタハは自分たちの期待を裏切ったと考えたから、ハマスに票を投じたのである。ファタハは、暴力を放棄しイスラエル国を認めはしたが、パレスチナ国家の樹立を達成していない。対イスラエル強硬派とされるハマスのポジションを理解するには、これを知ることが絶対に必要である。ハマスは、世界が本気でパレスチナ問題の公正な解決策に取り組んでいると納得するまでは、イスラエルを承認しようとはしないし、抵抗権を放棄することもしない。
この5年間、私はガザ地区および西岸地区を頻繁に訪問してきた。その間に、何百人ものハマスの政治家や支持者に会った。そのうちのひとりとして、パレスチナ社会のタリバン流のイスラム化という目標を述べた者はいない。ハマスは非宗教的(世俗的)な有権者あってのものなので、そんなことはできない。人々は今もまだポピュラー音楽を聞き、テレビを見て、女性たちはヴェールを身につけるかどうかは自分で決めている。
ハマスの政治的指導部は、おそらくこの世界で最もその地位にふさわしい人々だ。指導部には500人を超えるPhD取得者(博士)がいて、大半は医師、歯科医師、科学者、技師などミドルクラスの専門職だ。指導部のほとんどは私たちの(=英国の)大学で教育を受けており、西洋に対して一切のイデオロギー的な憎悪は抱いていない。ハマスは怒りに根ざした運動であり、人々に加えられた不正義を明らかにすることが主要な活動だ。60年以上も続いている紛争を解決するための息継ぎ場を用意するために、10年間の停戦を一貫して提言している。
2006年にハマスが選挙で勝利したときの、ブッシュ(米大統領)とブレア(英首相)の反応が、こんにちの恐怖の鍵である。ブッシュとブレアは、民主的に選挙で選ばれた政府を受け入れず、その代わりにそれを武力で除去する試みに資金を出したのだ。つまり、ファタハの戦士たちの集団を訓練し武装させ、ハマスを軍事的に追い落として、新たに選挙で選ばれていない政府をパレスチナ人に強要しようとしたのだ。さらにいえば、ハマスの代議士は45人が今なおイスラエルの獄中にある。
6ヶ月前、イスラエル政府はエジプトが仲介したハマスとの停戦に合意した。停戦と引換に、イスラエルは国境の検問所を開き、生活必需品のガザ地区への自由な出入りを許可することに合意した。そして、ロケット弾の攻撃はやんだが、検問所は決して完全に開かれることはなく、ガザの人々は飢え始めた。このひどい封鎖は、戦火停止 (peace) に対する報償などではない。
西洋人が、ロケット弾をイスラエルに発射することを命令したり許可したりしているときにハマスの指導者は何を考えているのだと問う場合、彼らはパレスチナのポジションを理解し損なっているのだ。2ヶ月前、イスラエル国防軍がガザに侵入して停戦を破った。これで殺戮の連鎖が再び始まったのだ。パレスチナの立場から語れば、ロケット弾攻撃はその1発1発がイスラエルの攻撃への反応である。イスラエルの側から語ればその逆だ。
しかし、バラク国防相がハマスを破壊すると話すとき、それはどのような意味なのだろうか。ハマスに票を投じたパレスチナ人の42パーセントを殺すということだろうか。3年前にあんなにも痛い思いをしながら撤退したガザ地区を、イスラエルが再度占領するということだろうか。あるいは、ガザ地区と西岸地区のパレスチナ人を、恒久的に、政治面でも地理面でも分離するということを言っているのだろうか。そして、常にイスラエルの安全保障をお題目のように唱えている人々にとって、自分たちを飢えさせ爆撃している人々に対するどうしようもない憎悪を抱きながらガザで育っている75万人の若い人々が与える脅威とはどのような種類のものだろうか。
この紛争は解決不能である、と言われる。実際にはとてもシンプルだ。イスラエルを動かしている最上層部の1000人と――つまり政治家や将軍や治安部門の職員と――、パレスチナのイスラミストの最上層部は、一度も会ったことがない。純粋な和平/平和は、これら2つのグループが無条件でともに座らなければありえない。しかし、この数日の出来事によって、このような展開が期待できるという感じはますますなくなってしまっている。これは、ワシントンの新政権とその欧州の同盟国にとって、手ごわい課題である。
2006年の選挙結果に対するブレア政権の沈黙、というか米国との同調は、紆余曲折の末、2007年7月に、つまり1998年4月の和平合意から9年後に、ようやく「オペレーション・バナー」(北アイルランドにおける英軍の治安維持作戦)を終結させるという「紛争解決の実績」のあるブレア政権のやることとは思えません。実際、英国政府は2006年後半に「北アイルランド和平の解決」をプロトタイプとして、スリランカ、バスク、イラク、中東などの紛争を「解決」すべくいろいろと動いていて、北アイルランド最大の武装組織IRAの政治ウィングの指導者として20年以上を過ごしてきたジェリー・アダムズは、バスクやパレスチナを訪問して「解決」について当事者と話をしています。(というか、IRAはPLOと非常に関係が深かったので、こういうふうにまとめてしまうのもちょっとアレだなと思いながらキーを打っていますが、あまり時間をかけられないのではしょった記述になります。)
ブレアは「北アイルランド紛争の解決」について、その目がほとんど消えたかという段階(2002年、2003年)で、「対立する両勢力の最も端にいる人たちによる対話」の重要性を語っていたと思います。2003年の北アイルランド自治議会選挙で第一党となったのは、ユニオニスト側では、用語で言うところの「穏健派」であるUUPではなく「過激派」(グッドフライデー合意に絶対反対)のDUPであり、ナショナリスト側では「穏健派」のSDLPではなく「過激派」のSinn Feinでした。しかしそこから、誰もが不可能と思っていたDUPとSFの党首同士の直接会談が現実になり、そうして数ヶ月のうちに、この両極端の2党が同じ自治政府で権限を分担する(パワーシェアリング)形で「和平」が現実のものになった過程は、それは見事でした。ただし形式はできていても中身は難しい、というのがあるのですが、それはもはや「紛争」というトピックではなく、英国でも米国でも日本でもあるような「政党と政党の対立」というトピックのほうが似つかわしいものになっています。
一方で、北アイルランドでは「反/非主流派 dissidents」と呼ばれるリパブリカン武装組織が今も活動しています(ここ1ヶ月はやけに静かですが)。1998年8月のオマー爆弾事件や、2000年から2001年にかけてのロンドンでの自動車爆弾事件を実行した「Real IRA」とか、80年代にIRA (Provisional IRA) から分派した「Continuity IRA」といった「超強硬派」は、今もなお「武装闘争」を放棄していません。しかし大雑把にいえばコミュニティがもはや彼らを支持しないので――70年代と違って、武装組織が支持を築き上げることのできる「差別、弾圧、不正義」が、70年代のような形では存在しなくなっている――、そういった「非主流派」の影響力は限定的です。(といっても、1960年代のIRAは非常に限定的な影響力しか持っていなかったわけで、RIRAなどについてもこれからどうなるかはなんともいえないのかもしれませんが。)
私はアマチュアなりに、ハマスについては、英国の、というより北アイルランドのこのような経験が最大限に活かされるはずだと思ってきました。
どうやらそれは期待はずれだったようです。限定的な影響力しか持っていないのはRIRAのような武装組織だけではなかった。英国政府(の中の「対話」論者)が「国際社会」に対して持っている影響力も、極めて限定的なものだったのでしょう。
「カルテット」(国連、EU、米国、ロシア)の中東和平特使であるトニー・ブレアが、メディアに取り上げられるような内容のある発言をしていないのを確認するにつけ、すべて形式は整えたけれど中身はないのだな、ということが実感されるばかりで、心底げんなりします。12月27日に、特に注目すべき点もないようなことをハアレツでしゃべっていましたが、それっきり。地上戦に突入しても沈黙しています。
まあ、トニー・ブレアは「名誉職」みたいなもので、本人も宗教をサポートする活動(キリスト教)に取り組みたいようですからほんとにどうでもいいのでしょうが。(っていうか、じゃあ「中東和平特使」とかいう肩書きつけてんじゃねぇよと思いますが。何しろ、2008年夏にイスラエルに封鎖されて人道的危機に陥っているというガザを訪問すらしていないのだから。)
→6日、ブレアの発言が出ました。
http://nofrills.seesaa.net/article/112254557.html
なんでブレアブレア言ってるのかっていうと、ここはtoday's news from UKというブログだからです。んで、なんで北アイルランドなのかというと、ブレアのご自慢の「紛争解決の実績」が北アイルランドだからです。そのことはこれまでにもここで何度か書いていると思います。
ブクマのコメントへのお返事を、例外的にここで。
ハマスは信頼を失っている。/Irelandの問題はそんな簡単なものではないよ。なぜシンフェインがでてくるかといえば、まだササナが占拠しているからだ。ユネスコの世界遺産では、IrelandとNorthern Irelandで区別されている。
http://b.hatena.ne.jp/wiseler/20090106#bookmark-11546180
まず、上で言及しているのは「Irelandの問題」ではありません。「Northern Irelandの問題」(というかその「紛争解決」、もしくは「ピースプロセス」でブレア政権がとった主導権と、状況の利用)です。
シン・フェインが中東和平に出てきた経緯については、私はジェリー・アダムズの文章(<これがどこまで信頼できるかどうかは別問題ですが)もブレア政権側の文章も読んでいますが、また私は基本的に、非常に意識的に「英国のスタンス」をふまえるようにしているのですが、ええと、ちょっと今別件で頭がぐちゃぐちゃになっているので意味のわからないことを書くかもしれませんが、基本的には英国のやったこと、もしくはやろうとしたことはかなりシンプルです。つまり、「80年もカタがつかなかったあの『問題』(the Irish question and/or the Northern Ireland problems) を終わらせた私たちにできたこと」を、世界各地の紛争解決のプロトタイプにしていこうという取り組み。そしてその基本は、「対立する両派の対話」です。NIピースプロセスにおいてブレア側近だったジョナサン・パウエル(元外務省官僚)が――彼は今は公職を退いていますが――、確かガーディアンのポッドキャストでその点ははっきり語っていました(2008年3月。コンテクストは「アフガニスタン」でしたが、アフガンは英国がヘルマンドでタリバン支持者との対話を進めようとしていました。担当のアフガニスタン専門家がカルザイによって国外退去処分になったのでたぶん頓挫していますが)。
NIについては自分でも何をどこに書いたのかわからないくらいにメモのようなものから翻訳から何からごちゃっとこのブログに書いてありますので(左サイドバーの「北アイルランド」のタグ、もしくは「Northern Ireland」のカテゴリ参照)、適当にご参照ください。ガザ攻撃が始まって更新ストップしていますが、NI専門のFAQサイトもあります。http://nofrills-nifaq.seesaa.net/ (NI問題/紛争/和平が「簡単」なものだと思ってたら、ここまでリソース割いていません。)
UNESCOが世界遺産をIrelandとNorthern Irelandに分けているのは、単に、以前から、国連的にはそうだからです。また、1998年グッドフライデー合意でのアイルランド共和国の憲法の修正で、アイルランド共和国は「アイルランド島全土を領土とする」という条文は消して、「アイルランドは共通の文化を有する一つのネイションである」という曖昧な(「領土」を明記しない)定義に差し替えましたので、1998年以後はアイルランド共和国的にもIrelandとNorthern Irelandという認識である、ということになっています。ただし、現在でも、アイルランド共和国の文化事業(heritage dayなど)ではボーダーはなく、マンスター、レンスター、コノハト、アルスターの4地域ごとにオーガナイズしていたりします(アイルランド共和国の政府機関のサイトで日程表を調べたときに確認済)。
タグ:2008年12月ガザ攻撃
※この記事は
2009年01月05日
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1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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