kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2008年12月30日

「30年ルール」で機密解除となった公式文書(クリップ)

毎年恒例、「30年」の時限経過で公開される英政府の機密文書、今年は1978年の文書公開となっていて、北アイルランド関連がすごいことに。(特にNIに関しては「今年も」だけど。)

とりあえず、クリップ目的でBBC NIのトップページのキャプチャ:


ガザ空爆というとんでもない事態をリアルタイムで見ながら、La Mon bombing後の英国とアイルランド共和国のものすごい緊張状態を開示資料で見ることができるなんて、何て幸せな年末でしょう!(皮肉)

La Mon関連とLong Keshのノー・ウォッシュ・プロテスト関連のほかは、下記が一覧になっています。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/7803132.stm

UK全体のはガーディアンに一覧(12月30日付):
http://www.guardian.co.uk/uk/nationalarchives

1978年といえば「キャラハン政権末期」というか「サッチャー政権前夜」で……これ書いたな、最近。NI限定だけど。
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/111638055.html
1978年というと、こういう年です。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch78.htm

ざっとまとめると、アイルランド共和国(ジャック・リンチ首相)と英国(ジェイムズ・キャラハン首相、労働党)とは北部6州の帰属をめぐってかなり対立しており、「カトリック」の失業率は「プロテスタント」のそれよりもずっと高いという報告書が出され、欧州人権裁判所はロング・ケッシュでの「尋問方法(5つのテクニック)」について「拷問にはあたらないが非人間的である」という結論を下し、SDLPは「英国政府は第三の道をとるべき」と述べ(第一の道がユニオニズムの強化、第二の道が統一アイルランド、第三の道は「合意のもとのアイルランド」、つまり両者共存の道。今の「和平」はこの形)、IRAはあちこちで爆弾を爆発させ(2月のラ・モン・レストラン爆破が最大か。会食中にIRAの仕掛けた爆発物が爆発、プロテスタント一般市民12人死亡、23人重傷)、IRAの銃は人命を奪い続け、ロイヤリスト武装組織の報復がなされ、ユニオニスト強硬派がUUPに合流し、英国のキャラハン政権は末期でグダグダな「数の政治」で北アイルランドを(つまりUUPを)味方につけようと動き、アムネスティ・インターナショナルは北アイルランドでの拘置施設でRUCによって「虐待 ill-treatment」が行なわれているとの報告書をまとめ、英国政府(労働党政権)はこの報告書の公表を待ってほしいとAIに要請し(AIはそれを飲まなかった)、北アイルランドからの英国の撤退を求める声は日増しに高まり(英国ではデイリー・ミラーがこれを支持)、英国側(しつこいけど労働党政権)はこれを拒否し、ジェリー・アダムズはIRAのメンバーシップ容疑で起訴され、証拠不十分で無罪となり、1968年のデリーでの公民権デモの始まりから10周年を記念するデモがあり、ユニオニスト強硬派中の強硬派であるDUPがこれに対しカウンター・デモをやって警官隊と衝突し……という年です。

そして翌1979年5月には総選挙で政権が労働党から保守党になり、「鉄の女」が首相になって、さらにまた厳しいことになっていくのですが、それはそれ。


北アイルランドに限定せず、UK全体だとまたいろいろありそうですが、とりあえず見つけたのは:

1970s UK 'defenceless against Soviets'
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7795497.stm
テーマは「冷戦」。

Thatcher sidelined over suffrage
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7796261.stm
not human but ironでもやっぱり「女性」ってことか。

I'll fix it, Callaghan wrote – then came the winter of discontent
http://www.guardian.co.uk/uk/2008/dec/30/archives-callaghan-labour-memo-1978
「トホホ」感がすごい見出し。

(全部まとめて「あとで読む」。)



去年のエントリ:
http://nofrills.seesaa.net/article/75391141.html

※この記事は

2008年12月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 14:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼