「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2008年12月29日

【ガザ攻撃】死者数、少なくとも310人に。(英メディア記事翻訳紹介)

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「2008年12月ガザ攻撃」のタグ
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ガーディアンに「死者300人突破」って出てるんだけど:
Gaza death toll tops 300 as Israeli air strikes continue
Rory McCarthy in Jerusalem
guardian.co.uk, Monday 29 December 2008 08.30 GMT
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/29/gaza-israel-attack

その前にBBC Newsのトップページのキャプチャ。画像内から記事にリンクしています。



ガーディアン記事:
原文:
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/29/gaza-israel-attack

写真キャプション(※写真本体はここには掲示しません):
薬品の倉庫の火災を消火しようとしている男性。近くにあった燃料タンクがイスラエルの空爆でやられた。ガザ地区南部、ラファの町にて。写真はAP。

今日、イスラエルはガザへの爆撃を激化させ、内務省の建物1件、有名な大学と、ハマス政権のイスマイル・ハニヤ元首相の自宅の隣の家を爆撃した。

ガザ市からの証言によると、イスラミック大学に対し、一晩のうちに6度の空爆があったという。この大学はガザ地区でトップクラスの大学で、イスラミスト運動ハマスとのつながりがある。イスラエルのジェット機はまた、ハマス政府に利用されているゲストハウスも攻撃した。ハニヤを含むハマスの指導者たちは自宅を出て身を隠している。

イスラエル軍は、武器の保管・製造に使われている建物を含め、前日に加えて12の標的を攻撃したと述べた。

パレスチナ側当局者は、イスラエルの爆撃が土曜日に始まって以来の死者数が少なくとも310に達した、と述べた。負傷者は600人を超えている。

ガザ地区のミリタントはイスラエル南部にロケット攻撃を行なった。ガザ地区の北に隣接するアシュケロンへは午前中に攻撃があり、イスラエル人1人が死亡、7人が負傷した。土曜日以降パレスチナ側のロケット弾で死亡したイスラエル人は2人。

過去8年で合計して、ガザ地区からは発射されたロケット弾はイスラエル南部で18人ほどを殺している。

イスラエルのアナリストやコメンテーターは、軍の直近の目標はハマスをはじめとする武装勢力にロケット弾発射をやめさせ、イスラエルによりよい条件の新たな休戦協定を結ばせることである、と述べている。「イスラエルはハマスに対し、厳しい罰を加えることができるし、そうせねばならない」と今日のマアリヴ紙にOfer Shelahは書いている。「次にまたロケット弾を撃ちこむ前に、その意識を焦がし(そう、その意識を焦がし)、躊躇するようなものを。そしてその他の武装組織もしかりとコントロールできるようなものを」

軍が空爆を展開しながらガザ地区との国境に戦車を配備しているなか、イスラエルの内閣は昨日、数千人の予備役の招集を承認した。これは、1967年の戦争以来、ガザ地区では1日では最大の紛争となった事態のあとに、大規模な地上戦が考えられているということを示している。

イスラエルのエフード・オルメルト首相は、ガザでの戦闘は「長く、苦痛に満ち、難しいもの」となるだろうと閣議で語ったと伝えられている。

このひどい状況を逃れようと、数百人のガザ住民がラファにあるエジプトとの国境のフェンスを破った。ラファではパレスチナのガンマンとエジプトの国境警備隊が銃撃戦となり、エジプト側、パレスチナ側双方に1人ずつの死者が出た。

ガザの病院は消耗品が切れつつあり、遺体安置所が満杯になって、病院の床に遺体が置かれている。

イスラエルの空襲は、あまりに多くの人が押し込められているガザ地区に対するイスラエルの封鎖を破ろうと、国境のフェンスの下に掘られている物資搬入用のトンネル40件を破壊した。

ヨルダン川西岸地区の占領地域一帯でパレスチナ人の抗議行動があり、群集がイスラエル軍に投石した。ニリーン村の西岸バリアのところでは、イスラエル軍は抗議行動に参加していたパレスチナ人1人を射殺、また1人は重態となるほどの重傷を負った。

国連安保理はガザにおける暴力の停止を求めており、国連人権苦闘弁務官のNavi Pillayは、イスラエルの武力の使用は「過度である」と述べている。米国はハマスに責任があるとしている。ハマスは3年前のパレスチナ占拠で勝利し、昨年ガザ地区の全権を掌握した。イスラエル政府とガザ地区のパレスチナ人武装勢力は6ヶ月にわたる停戦を守ってきたが[原文ママ]、11月にはそれも壊れ始めていた。

シリアの当局者が非直接的和平交渉から手を引くと述べ、これがイスラエルにとっては最初の外交的反動となった。両国はトルコの仲介でこの数ヶ月和平交渉を行なっていた。イスラエルの行動に対する非難は、アラブ世界ではほかのところからも出ている。

一般市民も犠牲になっているが、ガザの死者のほとんどは警官であるようだ。ある爆撃では土曜日のガザ市の混雑した通りで何人かの若年者が犠牲となった。死者のうち7人は、国連がパレスチナ人難民のために開設した職業訓練校の学生だった。このほか20人の学生が負傷している。

昨日の夜明け前の攻撃で、ハマスのテレビ局、「アル=アクサ」の本社が破壊されたが、同局は後に放送を再開している。ガザ市の治安当局本部はまた攻撃を受け、建物のほとんどが瓦礫と化し、4人が死亡した。

エルサレムでの週に一度の定例閣議の席で、オルメルトの政府は6500人の予備役招集を承認した。「イスラエルは、南部に新たなセキュリティ環境を確立するまで、住民のみなさんが恐怖におびえ、常態的なロケット弾攻撃を恐れて暮らす必要がなくなるまで、手を緩めない」と首相府スポークスマンのMark Regevは述べた。

リヴニ外相をはじめ、イスラエル当局者はガザ地区のハマスを転覆したいと公言している。しかしながらイスラエル軍のアナリストのほとんどは、軍が全権を掌握することはないと考えている。イスラエル軍兵士数百人の命が失われるかもしれないからだ。

イスラエルは2月10日に総選挙を控えて今回の行動に出た。リヴニ外相は首相にふさわしい人物についての世論調査で2位で、地上部隊による大規模な攻撃はないとしている。「私たちの目標はガザ地区を再占領することではありません」と彼女はNBCの番組、Meet the Pressで語った。

ガザでは昨日は街路は概してひとけがなかった。ほとんどの店が閉まっており、学校も門を閉ざしていた。ハマスは攻撃にあっても怯んでいない様子だ。亡命生活を送っている政治的リーダーのKhaled Meshaalは、パレスチナ人に「第三の蜂起」を呼びかけている。

しかしパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長は、ハマスに対し、停戦を延長しなかったことでイスラエルの攻撃を挑発した、として非難した。

※この記事は

2008年12月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:19 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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